21話 両道教育の賜物。
「あれから静かなものだな」
執務室にてジャックが呟いた。
「ん?あぁ。ルガーの故郷の人達の事ですか」
「そうだ。向こうに一切の非はないはずだが、何も行動を起こさない事が不思議でな」
ジャックがハーレバーに戻ってきてから三日の時が経っていて、ルガーの故郷をラスプーチン達が襲撃してからは、かなりの日数が経っていた。
「恐らくですが、この前の襲撃の事は自然災害程度にしか捉えられていないのではないでしょうか」
「そんな風に考える事があるのか?」
集落の人達からしたら襲撃も自然災害も変わらないと述べるソウに、ジャックはその考えがありえるのか?と疑問を呈した。抗議の声を上げるか、報復の二択しか選択肢がないと思っていたからだ。
「彼等は長い年月を自分達だけのルールで生きてきました。そのルールは森で静かに暮らす。生贄を定期的に捧げる。外部と関わらない、です」
「そうだな」
「仕返しをするという事は、人と関わるということになります。なので今回の件は嵐に見舞われたと考えて、またこれまで通りに普通に暮らしているのではないのでしょうか?」
外部と関わらない。その考えは簡単なようで実は難しい。殴られても殴り返さない。話しかけられても話さない。
それはもはや別世界で暮らしているに等しいものなのかもしれない。
「…ルガー。どう思う?」
「ソウ様の言う通りっす。集落の掟は絶対っす」
「そうか…こちらからすれば有難いが、何だか不思議な感覚だな」
ジャックからすればその生き方はただ呼吸をしているだけで、それはもはや人としての営みにはならないのではないか?
ジャックは何故だか、その者たちの事を不憫に思った。
「それは本当ですか?」
その日もいつもの執務室にいつもの顔ぶれはあった。しかしいつもと違うところが。それはそこにバハムート少将がいることだ。
「本当です。我等の推薦により、ソウ曹長には士官試験を受けてもらいます」
「ありがとうございます。本来であればこちらからお願いに行かなくてはならないところを。感謝申し上げます」
バハムート少将の言葉にはジャックが答えた。
元々ジャックがソウに受けさせようと思っていた試験である。その時にこれまでの功績からディオドーラ大将なりに平民が試験を受けるのに必要な推薦のお願いに伺おうと思っていたのだ。
「ありがとうございます。ところで士官試験とは?言葉の通りであれば士官になるための試験だということは想像できますが…」
「すみません。まだ話してはいなかったもので…」
「構いませんよ。試験の説明と準備は任せます。それでは」
「「はっ!」」バッ
ソウはよく分かっていなかったが、上が黒といえば黒なのだ。ジャックを見習いしっかりと敬礼した。
「それで試験とは?」
バハムート少将が去った執務室で早速ソウは疑問の解消に取り掛かった。
「ソウが先程言っていた通り、士官になる為の試験だ。正確には『軍学校卒業試験』になる」
「一度も出席していないのに卒業出来るのですか?」
「出来る。その為の推薦状だ」
ジャックは先程バハムート少将から預かった書状を持ち上げてみせた。
「そもそも軍学校には平民でも入る事が出来る。もちろんかなりの狭き門になるがな。
貴族はまず学園に入りそこを卒業すると、人生の岐路に立つ事になる。家を継ぐものはそのまま上の学院に進み、文官を目指す者もまだ進路が定まらない者も基本はそこに進学する。
そこで別の道がある。それが軍学校だ。
帝国は軍事大国だ。貴族であっても馬鹿は入れない。そんな子供の時から学んでいる貴族でも入れない場合がある軍学校に学ぶ機会が少ない平民が入るのは至難と言える。
そんな平民からすれば難関の軍学校ではあるが、ソウであれば入学する事は可能だろう。しかし俺は卒業までの三年を待つつもりはない。能力のある奴が無駄に時間を浪費する必要はないからな。
だからその三年を飛ばす方法を取ろうと考えた。それが将官からの推薦というモノだ」
ジャックは試験の説明にそれまでの流れも含めて説明をした。
「なるほど…中佐が以前から言っていた事はこの事だったのですね」
「そうだ。以前、サザーランド中将に頼んだことがあっただろう?あの時はまだ先の事だと思っていたからソウに説明をしなかったんだ」
「ああ。ありましたね。そんなこと」
自身の事なのに無頓着が過ぎる。
「俺の予想を越えてソウが早くに出世してしまった。そしていよいよ準備に取り掛かろうとすればこうして解決されてしまったな」
「あの…悪い風に言うのやめてもらえます?」
まるで仕事の早さを怒られているかのような言葉にソウは文句を垂れる。
「ははっ。まぁソウが言うように良い事だ。問題はない」
「問題があるとすれば私がその試験に通過できるかですね…」
「それが少将閣下が仰られていた試験への準備だ」
バハムート少将は説明と準備を任せると言っていた。それの準備がこれからの事だ。
「まず基本的な事だが、試験は三つの項目に分けられている。それぞれ100点満点でその合計得点で合否が決まる。その一つが剣技。もう一つが筆記だ。これは両道教育ですでに学んできたモノだな」
ソウが軍に入る前にやらせていた両道教育はこの時の為のモノであったのだ。
「試験は冬の終わりと春の始まりの間にある。その時まではもう一度この二つの見直しをしておくんだ」
「わかりました。…って?あれ?もう一つは?」
「ああ。もう一つは受ける必要はない。その二つの試験だけで合格するんだ。簡単に言うと他の者達より100点のビハインドがあるという事だ」
「はい?」
何故態々そんな茨の道を歩かなければならないんだ!?
ソウは納得出来ず思わず聞き返してしまう。
「魔法なんだ」
「えっ?」
「最後の試験は魔法だから、ソウがいくら練習しても意味がないんだよ」
「あ…そうですか…」
それなら仕方ない…のか?とソウは試験の理不尽な内容に言い返す事も出来なかった。
人が人を評価するなど、そもそもが理不尽な事なのだ。
権力のないモノはただ与えられた中で頑張るしかない。ソウは前世から思っていた事を思い出して受け入れる事にした。
むしろ他の者からすればソウは理不尽の塊なのだが、その事に自分自身では気付けないのもまた人なのである。
「俺は当時260点で主席だった。あのイェーリーは160点で大喜びしていた。合格ラインが半分の150点とギリギリだったのにも関わらずな。アイツでもクリア出来た試験だ。ソウなら楽々とクリア出来るはず。むしろ200点満点でなければ抗議の文をディオドーラ大将辺りが出すかもしれんから、合格云々よりもそれを気にしとけよ」
「…気をつけるのは無理なのでこれから試験勉強を頑張ります」
もはや何の為に勉強するのかよくわからなくなるソウだった。
大陸暦1314年冬の時
「肘が開いているぞ!もっと脇を絞めろ!」
寒空の下。第四大隊の訓練場にジャックの声が響いた。
「はっ!」
ブンブンブンッ
「よし!そのままだ!」
二人の訓練を周りは固唾を呑んで見守る。
ジャックが指導をしているのを見るのは殆どの者が初めてである。
見た事があるのはジャックが軍曹だった時から知っている古参の曹長くらいだ。
「身体能力に頼りすぎだ!ちゃんと構えていればそんな無理をする必要などないっ!」
「はっ!」
素振りから形稽古までジャックが基礎を叩き込んだ。
若い者達は二人の訓練を見て、如何に自分達が甘い訓練をしていたのかに気付く。
ソウの齎した訓練方法により、ある程度の基本は出来ていた。しかしここまできっちりとしたものではなかった。剣を一振りする事がこれ程大変なのかと、大隊内に刺激を与えていた。
もちろん二人にその意図は一切ない。
「まさか型を一切教わっていなかったとはな…」
そう漏らすのは訓練を終えて執務室に戻ってきたジャックだ。
これまでソウはレンザ大尉指導の元、座学の見直しをしていたのだ。
それが一段落した事で、剣技の見直しをする為にジャックが指導教官を買って出たのだが…この結果であった。
「イェーリー先生は強くなるには身体で覚えるのが一番早いと言っていましたよ」
「…確かに間違ってはいないが、それについて来れる者などソウくらいだ。それに今回は強さだけではダメだ。
実技試験の内容は教官との模擬戦だ。ソウが負けるとは思えんが、剣技の細かい所も採点には影響する。
その辺りは反復練習でしか身につける事が出来ん」
「はい。剣を振るのは苦ではないので、これから毎日行いますね」
剣を振っている時だけは無心で居られるのだ。
これはイェーリーが与えてくれたもの。
もしソウが始めからマトモな教官に指導されていたのなら、そう思う事はなかっただろう。
イェーリーとの訓練は余計な事を考えて行える程、生易しいものでは無かった。そのお陰で無心になる事が出来たのだ。
さらには無心になる事で過集中への切り替えが自在に出来るまでになれた。
ソウの今の強さはイェーリーの指導在りきである。
それからの日々は日中は剣を振り、それ以外の時間では本を読んで過ごした。
そんなソウのストイックな姿は隊員達にどう映ったのだろうか。
秋の風は次第に冬の香りを運んできていた。




