5話 本格的な異世界生活の始まり。
「では、出発する」
「「「はっ!」」」「はいっ!」
ジャックの号令に、大人に混じり元気な声で返事をしたソウ。
ゴチンッ
「いってぇー!?」
馬上のうえ、予想もしていなかった後ろからの拳骨に、ソウは声を出し痛がった。
「朝から耳元で、でかい声を出すな」
(そんな…不条理な…いや、ダメだ。不条理は普通。不条理は普通)
実際に不条理な事ではあるが軍では上官の判断が絶対だ。
しかしソウはそれとは別の考えの、また『憤死』しないように己の黒い感情に蓋をした、のである。
もちろん頭が痛いのは血管が切れたからではなく、殴られたからだが…生きることに執着しているソウは、少し過敏になっているのかもしれない。
実際の軍隊も、個々の感情には蓋をするように教え込まれる。
ソウは奇跡的に軍人向けの思考へと成長していたのだ。未だ思考だけだが、それが一流の軍人へと至る一番の難関である事は紛れもない事実であった。
多くの軍人が最初に躓き、そして最多の軍人が挫折するのが、厳しい訓練ではなく自分の感情を殺す事である。
逆に人が人として生きる為には感情は必要不可欠。
軍人という生き物は相容れぬ存在を無理矢理共存させる事でしか存在出来ない、非常に不可思議なモノであった。
「どうした?」
昼前、馬上でキョロキョロしていたソウを不審に思いジャックが声を掛けてきた。
「あのぅ…一つ伺っても宜しいでしょうか?」
「…かまわん。答えれる事にしか答えんがな」
ソウを高く評価しているジャックは何を聞かれてもいいように、布石を打ったが…
「町は村から歩いて一日半の距離にあると聞いていました。馬だともう過ぎているのではないのでしょうか?」
…なるほど、それで不審な動きをしていたのか。と合点がいったジャックはすぐに答える。
「その町は道が違う。ここはこの領地を統括している領主が住む街に続いているんだ。……お前は賢いが知識はないんだな」
「そうなのですね。すみません…何分村から出た事もなく…」
「いや、怒っているわけじゃない。ソウはまだ若い。よし。少しプランを変えよう」
プラン…?ソウは疑問に思うが怒られたくはないので質問も出来ない。
ジャックの思考タイムにまたも無言の時が流れた。
「俺の配属先に着いたらソウは勉強しろ」
「べ、勉強ですか…」
「ああ。それに伴い空いた時間は訓練だ。それ以外の時間に俺の世話をしろ」
「は、はいっ!」
返事は『はい』か『イエス』だ。
「もう少しで街に着く。そこに俺が所属している帝国軍のアトミラス伯爵領常駐部隊がある。そこで暫く暮らす事になる。
勉強と訓練は適任者を充てがうからしっかりと学べ。わかったな?」
「はいっ!」
ソウは何も考えず返事をする術を身に付けた。
もう返事に淀みはない。それに笑顔で答えたジャックだが、フルフェイスの鎧兜を装着している為、ソウの瞳には何も映らなかった。
土が剥き出しの、日本で言えば畦道のようなところを一行は進んできた。
目的の街が近くなるとその道は変化を見せる。
道幅は荷車がギリギリ通れるサイズから馬車がすれ違える事ができる程の広さへ。
拳大の石は一切見られなくなり、土もしっかりと踏み固められていて、馬の蹄により砂塵が舞うことも少ない。
「あれがアトミラス伯爵領領都『アトミラス』だ」
領地持ちの貴族が治める領都はその貴族家の家名が付けられているようだ。
覚えなくてはいけないことが少し減り、ソウは安堵した。
そのソウの瞳に生まれて初めてのちゃんとした建造物が映り込む。
「あ…あれが領都…」
ソウ達がやってきている方向からは一部しか見えない。しかしそれでもソウを感動させるには十分だったようだ。
ソウの視線の先には切り揃えられた石が規則的に積み上げられ、重厚感たっぷりの城郭都市の外壁が姿を現していた。
「ここが王都だった大昔の名残だ。今はここが戦地となる事はありえんから唯の飾りだな」
「飾りでこのスケール…」
もちろん唯の飾りではない。不正移民を防ぐ為や税の管理にも有用だ。
ソウはこの後これらのことも学ばねばならない。
「俺達軍人は一般の入場口を使わん。ソウが一人で使うのは大分先だろうが、覚えておけ」
「はいっ!」
話しながらも馬は歩みを止めない。
ソウの視界にはすでに街の入り口が見えており、そこには20人程の人達が並んでいるのを確認していた。
馬はそこへは向かわず、その隣にある誰も並んでいない別の入り口へと向かっていた。
「所属と階級、名を名乗られよ」
先程の入り口とは違い、閉ざされた門の上には開口部があり、そこから顔を覗かせていた兵士が言葉を告げた。
「北軍所属エルメス少佐と部下10名だ」
・
・
「開門!」
兵士が何かを確認するのに20秒ほど待つとその兵士の掛け声の後に門が開いていく。
「先程の兵士とは顔見知りだが、このやりとりは必ず行わなければならない。どこの街でもだ」
「わかりました」
なんだかんだ言っていたが優しく教えてくれるな…と、ジャックの評価が揺れるソウは、馬に揺られながら漸く街へと辿り着いた。
門をくぐるとそこは異世界だった。
元々異世界転生をしたはずのソウであったが、これまで異世界らしさは皆無であった。
ソウのこれまでのこの世界の感想は自給自足の弥生時代。
しかし一度門をくぐればその感想は考え直さなくてはと思ったのだ。
ソウの目に最初に飛び込んだのは石畳。綺麗に切り揃えられた石が、これまた丁寧に並べられていた。
少し視線を上げると煉瓦造りの家屋が目に飛び込んだ。
この世界のレンガを焼く方法はもちろん手作業の為、色にばらつきが出る。むしろそれがいいアクセントとなって建物に彩りを添えていた。
カッポカッポと石畳と蹄が奏でる規則的な音と、ソウがイメージしていた異世界情緒溢れる街並みに目と耳を奪われて暫し、馬は歩みを止めた。
「降りろ。ここが俺達の目的地だ」
頭の後ろから聞こえる、慣れ始めた声にすぐに反応して馬から降りた。
「少し進むぞ」
「はい」
ジャックの言葉と同時に馬が歩みを再開した。ソウは離れないように馬の歩調に合わせてついて行く。
降ろされた場所から塀沿いに50mも進まない内にそこへ辿り着いた。
「エルメス少佐に敬礼!」
ババババッ
塀の開口部。門に待機していた数名の兵士がジャックに向かい敬礼をした。
この軍の敬礼の仕方は右の握り拳を肩と水平に前に出し、拳を突き出したら肘を折り、左胸に当てるといったもの。
「ご苦労」
そう一言だけ告げてソウ達を伴いジャックは門の内部へと向かった。
軍の建物も街の他の建物と変わらず煉瓦造りであったが、大きさは全く違う。
常時1,000人以上が暮らすのだ、その大きさがかなりのモノになるのは言うまでもない。
さらに建物と塀との間もかなりの距離がとられており、訓練などで使用しているのであろう事が窺えた。
「よし。着いてこい」
「はいっ!」
乗ってきた馬を外で待っていた兵に預けるとソウを伴って建物内へと入る。
建物内は木造で出来ており、床は重い鎧の重量にも耐えられるように厚く作られているのだろう。
家では床鳴りがしていたが、完全武装の大柄のジャックが歩いてもびくともしない。
ソウはそんな静かな床に感動しながらもジャックの後ろを着いて行く。
当たり前だが調度品もなく、武装した兵が簡単にすれ違うことが出来る広い廊下と階段を進み、目的の部屋へと辿り着いた。
場所は二階だが、それ以外の情報はソウには皆無だ。
扉に付けられたプレートには何かしら書かれてあるがソウには読むことも出来ない。
「ここが俺の仕事部屋だ。下士官の軍曹から専用の部屋が与えられる。それ以外のモノは平時は訓練と治安維持が仕事だ」
部屋へと入りながら告げられた言葉にソウは一切の感想が浮かばなかった。
部屋には執務机の他に応接セットのソファと机がある。
その一つのソファに装備を外したジャックが身体を投げるように腰掛けた。
装備は部屋の中にいた二人の兵が外して持ち去った。
上官の指示がない限り付き添いは挨拶も出来ないのだ。
それが許されるのは付き添っている上官よりも目上の者に出会った時のみ。
そんな常識を知らないソウが挨拶(敬礼)をしなかったのは単に考え事が多過ぎたからだ。
「おい!」
「はいっ!」
ソウは元気に返事をするが…
「…ソウじゃない。少し黙っていろ」
今回はフライングだったようだ。
ガチャ
「はっ!」
一人の兵が扉を開けて入ってきた。
「この者に両道教育をさせる。それも最上位の。準備しろ」
「承知しました」
バタンッ
ジャックの命令を聞いた兵はすぐに何処かへと向かった。
「簡単に説明する。死ぬ気で覚えろ」
「は、はいっ!」
返事に慣れたソウだったが、死という言葉に動揺を隠せなかった。




