3話 上カルビよりオウカク派です!
野営地で過ごし、翌朝から再び行軍を再開した。そしてその日の夕方には別の町へと着いていた。
「臭いにさえ目を瞑れば良いところですね」
「そんなに気になるか?」
「都会育ちなので動物の臭いには不慣れなのですよ」
「……あの村が都会だと我々の本拠地はどうなるんだ?」
ソウ達が来ている町は山間ではあるが、見渡す限り木が伐採されていてとても広々としていた。
「冗談は置いておいて。村には家畜が居なかったので慣れないのですよ。兵舎にある厩舎ですら苦手です」
ここは畜産で生計を立てている町のようだ。
辺りは木の柵で囲まれており、町に塀などは見当たらない。
その木の柵の中では牛や豚など地球でも見られた動物が闊歩していた。
「美味しい肉を食べる為なら?」
「どんとこいですっ!」
臭いは慣れないが、この世界唯一の楽しみと言って良い食事の為ならいくらでも我慢出来るのであった。
「ハーレバーに帰ったらソウには馬番をしてもらおう」
「何故です!?職権濫用ですよ!?部下を理由もなく虐めては駄目です!」
民主主義はどこにいった!?と抗議の声をあげるが、そもそもここは民主主義ではなく帝国主義であり君主制である。
「安心しろ。理由はちゃんとある」
「…えっ?」
まさか本当の事とは思わず、呆気に取られる。
「馬の扱いに不慣れすぎだ。士官を目指すなら行軍中に尻が痛いという理由で馬から度々降りるなどありえん。しっかりと扱える様になるまでは馬の管理を命じる」
「……だって歩くのと変わりませんよ?」
「それは走らせていないからだ。軍馬は賢く、強い。窮地に追い込まれた時に扱えるのと扱えないのとでは雲泥の差だ。
モノを運んでよし、逃げるのに使ってもよし、連絡を急ぐのに使ってもよしだ」
「…わかりました」
不承不承ながらも受け入れたのは生き残る可能性が上がるからだ。
恐らく1パーセントも上がらないだろうが、それでも上がるならやるべきだ。
そう思う事にした。
ソウが動物臭さを苦手としているのは前世の記憶と今世の狩りが影響していた。
前世では愛娘である紗奈を喜ばせる為に動物園に行った時に起因している。
近所にはなかったので泊まり掛けで連れて行ったのだが、連日のハードワークのせいで体調を崩してしまっていた。
しかし幼い娘に『お父さん風邪をひいたからやっぱり無しで!』などと言えるわけもなく、無理を通して動物園に行った。
普段であれば臭い程度問題はなかったが、熱もあり、吐き気も程々にあった当時の宗一郎は、吐かないように我慢し続ける事でいっぱいいっぱいであった。
そこから動物の臭いが苦手になってしまった。
今世では幼少期に食事の為に狩猟をしていた事に起因している。
方法はご存知の通りもっぱら罠である。
食事の為には臭いを我慢できていたソウだったが、罠は時に悲惨な状況を引き起こしていた。
罠にかかった獲物が暴れ回った結果、グロテスクな状況が度々あったのだ。
その時の辺りに散乱した獣臭が記憶にこびり付いて、嫌いになったのだ。
臭いは記憶に多大な影響を及ぼす。
視界よりも臭いの方が記憶に残るとも言われているくらいだ。
そんな前世と今世の嫌な記憶が獣臭にはあった。
「元王国以外にも帝国内にはこの様な畜産を主産業にしている町がいくつもある。
ソウがいつも食べているのは山羊肉だ。
軍は大量の食糧を消費する。比較的安価な山羊肉を使用するのがある意味で伝統だな」
ジャックが帝国軍蘊蓄を披露した。
ソウはレンザ大尉から受けていた授業では習わなかった知識に興味津々だ。
理由はもちろん食に繋がるからだ。
「では、私はまだ牛肉も豚肉も食べたことがないというわけですね!」
「それはしらん。軍では無いだろうが、ハーレバーで食事に行っていただろ?その時に口にしていたかもしれん」
「大丈夫です!外食はもっぱら魚料理でお肉は鶏肉でしたから」
何が大丈夫なんだ?とジャックは思うが、理由はこのキラキラした年相応な表情を見れば一目瞭然だった。
「…経費では落とせんぞ?」
基本生活費の範囲内である食費は軍で賄う。しかし、贅沢が許されているわけでは無いのだ。
特に行軍中に使った経費は責任者の責任でしっかりと管理されている。
「馬鹿にしないでください!自分の食い扶持くらい自分で賄います!」
「しかし…まぁいい。行ってみると良い」
「少佐は行かないのですか?」
「…奢らんぞ?」
「いいですよ?割り勘と行きましょう」
軍人の給料はそこそこだ。
命懸けの報酬はあくまでも退役した時に纏まったお金が貰えるくらいだ。
士官になるとそれが年金として支給される。
ジャックは中佐ではあるが、給金(月賦)は意外に多くは無い。
こうして町に着いた二人は軍内での夕食を断り、町中で食事を摂ることにした。
「いい匂いがします!ここにしましょう!」
町中をあてもなく歩いていたソウ達は、一軒の店の前で立ち止まった。
看板には肉屋と書かれており、案内板に『店内で飲食出来ます』とデカデカと書かれていた。
「何処でもいいぞ」
「では、ここで。入りましょうか」
店内に入ると、カウンターに並んでいる客がチラホラ見える。
カウンターの右にテーブルがいくつかあったのでそこへ二人は腰を下ろした。
「いらっしゃいませ。店内での飲食でよろしかったでしょうか?」
席に着いた二人の元に40代くらいに見える女性が声をかけてきた。
「はい!お肉が食べたいです!」
「ふふふっ。わかりました。こちらがメニュー表になります。注文の際はお声がけください。今七輪をお持ちしますね」
どうやら日本の焼肉店のようなモノらしい。
二人のやり取りを聞いていたジャックは溜息混じりに呟く。
「ったく」
年相応…いや、幼児退行しているソウに呆れるのであった。
「ではこれとこれとあとこれもお願いします!ジャック様にはおすすめのお酒を。私にはお水をお願いしますね」
注文が決まり、先程の女性にオーダーしたところでソウが話を振った。
「予想よりリーズナブルでしたね!これなら街でもたまの贅沢に食べれます!」
「…本当にそう思うか?」
その言葉にジャックは懐疑的だ。
「お待たせしました。追加のご注文の際はまたお声がけ下さい」
注文の品が届いてやっと食べ始める。
「美味い!!やはりお肉は牛肉ですね!」
「いや、初めてだろ?何で食ったことのある程なんだよ…」
「ははは…」
日本で食べていた牛の味とソウにとっては遜色なかった為、つい本音が溢れてしまった。
笑って誤魔化すが、ジャックはそれ程気にしてはいない。
ジャックの中でソウは元々不思議っ子だったからだ。
「あれ?もうこれで全部でしょうか?」
「そうだろ?どうだ?俺の言っていた意味がわかったか?」
盛り皿から肉が無くなり、ソウは愕然とする。
「…本当に高級なのですね」
「確かに贅沢な部類に入るが、そこまででは無い。お前の一食が多過ぎるだけだ」
牛肉や豚肉は庶民にも広く親しまれている。
贅沢品ではあるが、そもそも大量には使用しない。
ソウの大食漢ぶりを知っているジャックはソウに奢りたくない理由を述べた。
別にジャックはケチではない。
モノには限度というものがあるのだ。
「そもそもこれは中佐とイェーリー先生のせいです…」
イェーリーは大尉だったが、戦死した事で中佐へと二階級特進していた。
ソウにとっては大尉呼びが慣れていた為、亡くなってから話題にあげる時には敬意と親愛を込めて『先生』呼びが定着していた。
「俺はアイツ程無茶振りはしていないぞ。それに軍の経費で賄える範囲なら、俺は構わんと思っている」
ある物は好きにしたらいい。無ければ我慢しろ。の精神だ。
「…これからの褒美はお肉にしてもらえる様にディオドーラ大将にお願いしておきます」
「…それはやめろよ?」
「牛肉がこんなにも美味しいのがいけないのです!」
そんなしょうもないモノに栄誉ある褒賞を使うなと、ジャックは注意したが、ソウの決意は揺るがなかった。
「牛肉の為に戦果をあげるなど聞いたことがない…」
「世の中には何事にも先駆者と言うものがいるのですよ」
「お前で最後だろうな」
ジャックは納得しなかった。
その日の晩。
『拝啓、最愛の娘へ。牛肉は異世界産でも牛肉だったよ。紗奈が好きだったユッケやタンはないけど、是非食べてほしいな。
向こうでも焼肉があればまた一緒に食べよう。
敬具』
その日燃やした手紙からは焼肉の香りが匂った気がした。




