34話 気違いに刃物。
「王国軍の物資が殆ど残っていたのは幸いでしたね」
翌朝、川向こうの王国軍陣地に北軍は移動していた。
移動のため前日に一部の土塁を崩して橋をかける作業をしていたのだ。
進軍のためだけであれば橋など架けなかっただろうが、態々橋を架けたのは進軍するにしても、撤退するにしても、王国を滅ぼした後に移動するにしても必ずあった方がいいためだ。
特に何かしらの理由で早期撤退することになった時に『あの時橋を架けていれば』となっては目も当てられない。
策に溺れて乱戦に敗れた王国軍は余程焦って敗走したのだろう。物資を処分することもなく殆どそのままにしてあった。
「特に荷車は助かるな。天幕など一々持って移動していたら王都に着く前に夏が終わってしまう」
「後は前回の街に置いてきた辺境伯軍の合流を待って、出立でしょうか?」
「そうだ。輜重部隊も同時に来る予定だから万全の体制で次に挑める」
まるで石橋を叩いて渡るようだ。
万全に万全を期す。
長く戦乱に身を置く帝国軍に油断の二文字はなさそうだ。
「何だそれは?」
川向こうに張り直した大隊の天幕内で、ジャックがソウに問う。
「カッコいいですよね?…あげませんよ?」
「いらんわっ!それより拾得物ならキチンと報告しないとダメだろうが。預けてこい」
「えぇ…高そうだから絶対取り上げられてしまいます…」
ソウは大切そうに抱えている剣を名残惜しそうに見つめた。
「それでもだ。戦地で得た物は等しく帝国軍のモノだ。そんなに欲しいなら将軍にお願いしてこい。手柄との相殺で貰えるかもしれんぞ?」
ジャックはそう伝えるが、流石にそれが拙い事はソウも理解している為諦めようとした時。
「本人の前で噂話か?」
何故かディオドーラ将軍本人が大隊の天幕にやってきていた。
自体は飲み込めないが、二人はすぐさま直立不動で敬礼をした。
「楽にしてくれ。実は二人に話があってな」
敬礼を返したディオドーラは話し始める。
「輜重部隊を迎えに行って欲しい」
「はっ!」
二言目などない。はい、と返すのみだ。
「その剣は…」
ディオドーラがソウの前に置かれた剣を見つめて呟いた。それに対してソウが答える。ジャックは何か知らないのだから。
「はっ!この剣は乱戦時に討ち取った王国兵が所持していたモノです!
あまりにも綺麗で…申し訳ありません!直ちに提出してきます!」
そう答えたソウの顔面は真っ青であった。将軍であるディオドーラにとっては軍曹の首くらい、どんな理由であれいつでも刎ねられる。
身体を硬くして答えたソウを見てディオドーラは口を開いた。
「そうか。次からはキチンと報告するように。何。サザーランド副将軍が可愛がっているソウだ。取り上げたりはせん。今回の任務の報酬にそれはそのままやろう」
剣技の優れているソウの事は、将軍自体も可愛いと思っているが、軍内では鬼神で通っている為、そこは上手く隠した。人の印象とはその人が作り上げるものだったりもするのだから。
周りが勝手に騒ぐソウみたいなモノもいるが…
閑話休題。
剣は剣士の命だ。ソウくらい聡明であれば拾得物をそのままにするリスクはわかっているはず。それなのに手放さないとは、その剣にそれだけの価値を見出し、惚れ込んだということ。
自身も長らく剣に身を任せていた将軍にはそれを取り上げるような事は出来なかった。
「あ、ありがたき幸せにございますっ!」
ソウは娘に会えなくなる恐怖から解放されて、剣を掲げて礼を述べた。
「うむ。エルメス少佐」
「はっ!」
「これはバハムート少将からの指示書である。では健闘を祈る」
そう告げるとディオドーラは天幕を後にする。二人は足音が聞こえなくなるまで姿勢を崩す事はなかった。
「何が書いてあるのですか?」
ディオドーラが去っていった天幕内でソウが手紙の内容を聞いた。
「辺境伯軍が街を離れられなくなったようだ。それに伴い輜重部隊の護衛がいない為、我が大隊から迎を出すように指示された」
「離れられない?街で暴動でも起こったのですか?」
「起こってはいないが、そういったモノが記された紙が見つかったようだ」
煽動者がいるのか?と、ソウは考えたが、直ぐにその考えを一蹴する。
「そういう策ですか。帝国軍の戦力を少しでも削る。涙ぐましいことです」
「…いや。それで割を食うのは俺達だぞ?」
ソウの考えでは暴動はフェイクで王国の策略だろうと思って、素直な気持ちを吐露するが、ジャックに呆れられるだけであった。
かくして第四大隊は輜重部隊を迎えに行くことになった。
もちろん大隊全軍では向かわない。ここにはまだまだ人手が必要なのだ。
「俺は本隊から離れるわけにはいかない。将軍直々の命令なのに両方が行かないわけにもいかないから、必然的にソウが行くことになる」
「えっ?狡くないですか?」
「報酬をすでに受け取っている奴のセリフとは思えんな。そもそも上官の命令は絶対だ」
こうしてソウが輜重部隊の護衛隊を率いる事となった。
「第一中隊及び第六中隊、出立する」
翌朝まだ日が出て間もない頃に、二個中隊が北軍野営陣地を出立した。
一個中隊だけだと人数が心許ない為、ソウの馴染みのある中隊を借り受けたのだ。
初めはジャックが選ぼうかと思ったが、ソウに聞いたところ第一中隊だと勝手がわかり都合がいいと言われてロイドに話を通した。
ロイドはソウが将軍に頼まれたのだからと、護衛部隊の隊長をソウに譲ろうとした。
ソウは流石に階級が違うし、向こうに行った時に説得力がなさすぎるからとその申し出は辞退した。
よってこの護衛部隊の隊長はロイド、副隊長はソウに落ち着いた。
「何だ?得物を変えたのか?」
ソウの腰に下がっているモノを見つけてロイドが聞いた。
「はい!カッコいいですよね!?」
「それは否定はせんが…支給品以外は実費だぞ?」
「修理代ですよね。給金の使い道がなくて困っていたので問題ないです」
「なんじゃそりゃ…そんなもんに困っているとは相変わらず変わってるな…」
ソウが昇進して二人の接点は少なくなっていたが『コイツのおかしさは何処に行ってもかわんねーか…』とロイドに呆れられたのだった。
「それにしても中々の剣に見えるな。何か斬ったのか?」
「まだです。何だか変な物を斬って欠けたらと思うと…」
「馬鹿かっ!いざ使ってみてナマクラだったらどうするんだ!?」
ロイドが怒るのも当然だ。戦場ではソウ一人の命ではないのだ。中隊を預かる身としての自覚が足りんと怒りを露わにした。
「大丈夫です。その時は鈍器として使って、敵の剣を奪いますから」
「いや、重心が違えば…いや、ソウには関係ないか…」
普通の兵であれば『何を訳分からんことをっ!』と叱責するところだが、あのソウが言うのなら問題ないのだろうと丸め込まれそうになる。
「だが、いつかは使うんだ。試すぞ」
「そうですが…今ですか?」
「馬鹿言うな。行軍中にそんな事が出来るか!もうすぐ休憩を入れるから、その時だな」
命を大切にするソウがまだ試していなかったのには理由がいくつかある。
先ずは時間がなかったこと。これは自分のモノになってからまだ一日も経っていないからだ。
もう一つは王都とは反対側に進む為、敵と出会す可能性が低いからだ。
出会すとすれば、副都戦で本隊に置いていかれた敗残兵の生き残りや部隊くらいだろう。
輜重部隊のように襲ってもメリットのない軍隊は盗賊にも襲われない。
以上の事から試す機会はなく、猶予だけはあったのだ。
しかしタイミング良く提案されたので、そこは素直に受け入れた。
昼時になり、護衛部隊は長い休憩時間を設けた。
食後にロイドは部下に命じて、木を拾いに行かせた。
「さあ。斬ってみろ」
ロイドは部下二名に直径五センチ程のまだ腐っていない倒木を持たせた。
兵士達はそれを鉄棒の様に肩に乗せて、来たる衝撃に備えた。
「ふぅぅ」
剣を上段に構えて、呼吸を細く長く吐く。
集中力が限界まで高まった時、呼吸を止めて渾身の一撃を振り下ろした。
チッ
木は叩き折られる事もなく、そこを剣が通り過ぎた。
剣身が黒いせいか、見ていたロイドには剣の軌跡すら追えなかった。気付いたらそれは振り下ろされていたのだ。
「えっ?」「うわっ」
木に僅かながらも体重を預けて持っていた兵達がよろける。
木は元々そうだったかのような断面を晒して綺麗に切断されていた。
「抵抗がなかったですね…」
斬ったソウも本当に木を斬ったのか半信半疑である。
「普通『ザクッ』とかだろ?何だよその音は」
木を斬ったはずなのに鉄が掠った高い音を残しただけである。
ソウは未だに剣と自身の手を見つめたままだ。




