33話 滲む文字。駄洒落多数。
「人を溺れさせようとするから、策に溺れる事になるのです」
流された備品を回収しながら、ソウが伝える。
「上手いこと言っているつもりなのだろうが、この作業の事も含めるなら、ソウも溺れているぞ?」
ジャックも拾いながら応えた。
ソウとジャックは将軍から手放しで褒められたが、その後が問題だった。
濁流に流された備品の回収作業である。
これはジャックの事を嫌っている者から出た言葉がキッカケだった。
『気付いたのであればその時にすぐに報告するべきだ。報告が早ければ備品を流される事も無かったかもしれない。
他にも別の作戦が練れて兵の被害も抑えられた』
側から聞いていれば『じゃあお前は気付いたのか?』『案があるなら言え』などの意見を言いたくもなる。
しかし、ディオドーラはこの者の意見を聞き入れた。
「私が溺れているのは少佐が嫌われているせいです」
「それは否定しない。今回の件は隠し通すには余りにも大きすぎる戦功だからな。軍に大きな利益を齎しただけではまずい。そう将軍閣下は考えられたのだろう」
「はぁ。信賞必罰はどこへやら…」
二人は特に罰を受けているわけではない。この作戦の後始末をディオドーラに命じられただけだ。上には上の目的がある。下々の者達はそれに従わなければならない。その法則が崩れる時は国や軍であれば内乱が起きる。……崩す気のない二人には関係のない話だが。
この一時ではあるが、ジャックは北軍の兵全てに対して命令権を持っている。
備品集めのだが…
水が引いた川原には至る所に備品が天日干しされていた。
泥水を啜っている備品の臭いは酷いものだが使わない訳にはいかなず、かと言ってこれだけのモノを洗う労力など今の帝国軍にはなかった。
水の中での乱戦に少なからずの被害を出しているのだ。
「王国軍の残党は今頃街か王都にいるのでしょうね」
「そうだな。王国の命運は今や風前の灯だが、屋根がある所で寝られるのは羨ましい限りだ」
早朝すぐに決着は着いたのだが、流された備品を拾い集めるのに丸一日を要した。
個人の備品や天幕などは洗ったのだが、夏だとしても流石に夕方からは乾くことはなく、野宿となった。
「明日も一日洗い物でしょう」
「今が夏で助かった。春や秋に天幕がないどころか纏う物もなく夜を明かさねばならなければ死人が出ていたことだろう」
洗い物も大変だが、地面に寝ると言うのは過酷なモノだった。せめてもの救いは夜でも暖かい夏であったことくらい。
湿っている木に苦戦しながらも火をつけて、その夜を静かに迎えるのであった。
「二人とも助かった。危うく帝国史に汚点を残すところであったぞ」
翌日。いち早く乾いた天幕内にジャックとソウは呼び出されていた。
呼び出したのはディオドーラ将軍。天幕内には他にサザーランド副将軍とバハムート第三師団長がいた。
バハムート少将はこれまでディオドーラの補佐としてこの王国戦にやってきていた。
色々な理由が出来て、師団長に自らがなったのである。
「お二人とも、大変言いづらいですが、今回の事は公言しないでおいてください」
バハムートがジャックとソウに優しく命令した。その言葉は優しいが、有無を言わせぬモノがある。
「「はっ!」」ババッ
二人の返事を聞いてバハムートが鷹揚に頷いた。
「一々言わんでもこの二人ならわかっておろうに…」
「確認は大切なので。特に我々軍人には」
ディオドーラの言葉にバハムートは、何を言っているんだとばかりに返す。
「それで今回の事はソウ軍曹が見抜いたと?」
これまで黙っていたサザーランド副将軍が口を開いた。
「はっ!仰る通りです!」
「その知識はどこで?」
サザーランドはソウの事を孫の様に見ていた。だが、手放しで褒めることはしない。いくら賢かろうとも知識が無ければ分からないことが多かったからだ。
今回の事はただの平民が気付くのはおかしい。そこに何かを感じ取ったサザーランドは尋問する事にしたようだ。
これに対してソウは答えを用意していた。
「川については故郷の村の近くにも川があるので、村の年寄りから聞かされていた水害の事を思い出して気付きました」
これは水位の変化についての事だ。
もちろんそんな話など聞かされた事はない。前世の知識によるものだ。
「そこから水責めを疑ったのは少佐から与えられた両道教育の賜物です」
ソウは兎に角ジャックを持ち上げたかった。
ジャックが昇進した方が自分の出世の難易度が下がるからだ。
ついでにジャックが出世をしてより安全な所へいければ、ソウはジャックに着いて行くことが出来る。そうなるためにはジャックに手放せない奴だと思わせる事と、ジャックの昇進だ。
そしてジャックが人事に口出しが出来るほど昇進すれば、必然的に自分も昇進できる。
大前提としてソウは昇進する事が目的ではなく、死なない事が全てなのだから、自身の評価など二の次三の次だ。
ジャックがそうなった暁には、是非内勤にとソウは願う事だろう。
「ほう?エルメス少佐。何故平民であるソウ軍曹にそれを課した?」
先見の明があったとジャックが褒められて終わると思っていたソウだったが、サザーランド副将軍の矛先が変わっただけであった。
「…はっ!ソウ軍曹にはいずれ士官試験を受けさせる予定だったからです」
「それはソウ軍曹が知識をもっている理由にはなっても、何故それがソウ軍曹なのかの理由にはなっていない。そこを答えるんだ」
何と答えればいいのか、すぐに良い答えが浮かんでこなかったジャックは、無難に答えるがそれではダメだったようだ。
「…」
「答えれんのか?」
「いえ……これは直感の様なモノなのですが、ソウに初めて会った時から何か違和感を感じていました。
よくよく話をしてみると知識や常識は身に付いていないものの、目の付け所が自分にはないモノでした。
ソウの存在が今後私には必要な時がやってくると思い、いつでも話が出来る立場にソウを引き上げる為に知識を授けました。
ご納得できない事と思いますが…」
ジャックは本心を話した。
ここで簡単な嘘を並べても、出世争いを勝ち上がってきたこの老獪な三人を誤魔化せるはずがない。そう思ったのだ。
「いや。納得した。お二人もそうでしょう?」
「うむ」「はい」
たとえ理に適っていなくとも、人の感情が乗った本心とは説得力があるものだ。
特に長い人生を歩んできた者には、理屈よりも感覚を重んじる者達が多い。
「我々も少佐と同じモノを見ているのだろう」
サザーランド副将軍は最後にそう付け足した。
「寿命が縮まる思いだった…」
夕刻、大隊の乾いた天幕内に二人の姿はあった。
「何ですか…当てずっぽうで私を選んだみたいな言い草は……
もっとこう?あるでしょ!?」
ソウはジャックの説明に納得がいっておらず、ジャックは歴戦の将軍達の尋問の様なものに、生きた心地がしなかった。
「ないな。確かに細かい理由はあったんだろうが、ソウを連れ帰ったのは殆ど感のようなものだったからな」
「えっ…?その言い方だと細かい理由すら忘れていませんか?」
「…最近忙しかったからな」
まるで怒っている妻に言い訳をしている夫、みたいな事を言うジャック。
「忙しいのは私もです!」
まるで夫の言い訳を許さない妻、みたいな事を言うソウであった。
『拝啓…最愛…娘へ。お父さん…危うく川の水に流され…そうだったよ。その後、お父さんは上司に酷いこ…を言われたんだ。それも…には流さないつもりだよ。 敬具』
「中々燃えないな…文字も滲んじゃったし」
書いた手紙の文字は滲み、生乾きの紙は中々燃えなかった。
「ゴホッゴホッ」
燃えづらい紙は黒煙を吐き出していた。
今回は気付きがなければ死んでいたかもしれない。ソウの人生は始まったばかりだ。まだまだ綱渡りの人生は続いていく。




