29話 調練の日々は続く。
「は?」
いつもの天幕の中で驚きを隠せない者が一名いた。
「書いてある通りだ」
ジャックに見せられた書類は大隊の新たな編成が書かれていた。そこに記されている事にソウは驚愕していたのだ。
「第六中隊……中隊長…ソウ…」
「バハムート少将閣下に、人員が増えたので第四大隊にもう一つ中隊を作る事の許可を得てきた。
良かったな。軍曹での中隊長は北軍全体でも少ないんだぞ」
編成を押し付けられた逆恨みが人をここまで変えるのか…
ソウはイヤらしい笑みを浮かべる上官にただ項垂れるしか出来なかった。
「ソウ殿には悪いですが、かなりの名案かと思います。これで既存の中隊長の負担は大きく軽減されるでしょう」
「私の負担が尋常ではないのですが?」
「『死にたくない』から出世したいのだろう?良かったじゃないか。利害の一致だな」
ソウは自身の目的をジャックに教えていた。
『早く安全な位置まで出世したい。死にたくないですから』
下士官では前線は免れないが、ジャックには考えがあるようで、いずれ士官に上げると約束していた。
「早すぎます…まだ成人まで一年もあるのに…」
また多くの嫉妬や妬みに晒される。そこから派生するトラブルにも…
そう考えたが、それはジャックに否定される。
「その後の人生の方が長いんだ。イヤな事はさっさと済ませるに限る。どちらにしてもいくら出世しようと妬みなどは無くならないがな。俺がいい例だ」
下からの妬みがなくなる頃には上からの嫌がらせが待っている。
なんの慰めにもならない事を伝えられて、さらに項垂れるのであった。
「それで何なのですか?この編成は」
気を取り直したソウはジャックに内容を聞いた。
「新たに組み込んだ特殊部隊、精鋭部隊、弓兵部隊の全ての隊が入っているのですが…」
「それは仕方ないだろ?そいつらを訓練できるのはソウだけなのだからな。特に精鋭部隊はソウが指揮しなければ効果は減る」
一応の納得はするが『特殊部隊はもうどうにもならないのでは?』と諦めも入る。
それほど人材育成は難航していた。
「特殊部隊については高望みはせん。今やっている斥候としての技術が身に付いたらとりあえずは合格だ」
「そうですか。話は変わりますがその後進展は?」
実は最近知らされた事にハーレバー王国がターメリック帝国皇帝宛に親書を送っていたそうな。
中身は戦争についての事だろう。今後を左右する可能性が高いのでジャックに聞いているのだ。
「さぁな?だが、どんな内容であれこの戦争を終わらせる効力はないだろう。
陛下は一度始めた事を途中やめにするような方ではない。
今帝国は諸外国の動向を探っている段階だ。それが終わり、準備が整えば王国の歴史に幕を下ろす」
「そうですか。わかりました。それまでに形にしておきます」
そう言うと天幕を後にした。
やる事は山積みなのだ。考えるのは先でいい。
「調練は順調です。中隊長を侮るような者もいません」
ソウに報告してきたのは第六中隊副中隊長のトリストン軍曹である。
あれから三日が経っていて、あの時天幕を出た後は中隊の幹部達に顔見せをしていた。
このトリストンがこれからソウを補佐していく。
侮る者がいないというのは、ソウが挨拶がてらに実力を見せたからだ。
色々と面倒くさくなっていたソウは、どうせいつもと同じトラブルが起こるなら未然に防ごうと考えた。
方法は簡単で、中隊全体の挨拶の時に『俺の事を気に入らない奴も多いだろう』と不満を抱える隊員に向けて指導を行ったのだ。
もちろん罰ではなく指導なのだから木剣を使い、怪我をさせないように手加減をした。
その指導、見せしめ、演舞(?)を見た中隊員達に不満はなくなった。
北軍軍曹の地位とは実力と実績、そして風格で下の者を従わせる階級である。ソウに風格はないがそれを補って余りある実力で黙らせたのだった。
「そうか。これから隊員達の心を一つにする為に大規模演習をする。この紙に書いてあるものを用意してきてくれ」
「はっ!」
トリストン軍曹は同じ階級である。初めはトリストンもソウにどうやって接するべきか悩んでいた。
中隊長と副中隊長という違いはあれど、そこまで差があるものではない。どちらかというとトリストン24歳とソウ13歳という年齢差の方が気になるものだ。
トリストンは長い軍歴から年下であっても上官は敬うのは当たり前という考えが根付いているが、ソウは割とフランクに話す事を望んでいるという噂も聞いていた。
その事から接し方を悩んでいたのだが、中隊員達へのソウの挨拶で心は決まった。
中隊長は舐められている事を改善しようとしている。
それならば自身が他の隊員達の模範にならねば。
この若く、普段は虫も殺さないような優しい表情の軍曹を、一人前の軍曹に自分がするんだ。
そう思うが…
この三日間、挨拶の騒動の時以外は、特に命令らしい命令をしない心優しい軍曹のイメージは、すぐに崩壊する事になる。
「これだけの食糧をどうするのですか?」
ソウが用意させたモノを前にトリストンが説明を求めた。
「隊員達のモノだ」
「…」
それはそうだろう。もし違うのであれば、この食糧を受け取ったトリストンは軍に虚偽の報告をした事になる。
「これより三日分の食料を配る!小隊長は第一から順に取りに来い!」
運ばれた食糧などを前にしてソウが命令した。
食糧やナイフなどが行き渡ると命令を続ける。
「これより我等第六中隊は森にて四日間過ごす!向こうで鎧など装備を外す事は認めるが、必ず持ち帰るんだ!質問は今だけ認めよう」
ソウの説明に顔を見合わせた隊員達の中で手を挙げる者が出始めた。
「なんだ?」
「あの…食糧が三日分なのですが?」
「足りない分は現地調達だ。次!」
「寝る場所は?」
「好きなところで寝ろ。但し期間中は森を出る事は許さん!軍事目的以外の理由で出てきた者は除隊希望者と判断する!」
隊員達は気付いた。
これはありのままを受け入れるしかないのだと。
「他はないな。では説明に入る!場所はここより1時間の距離にある山の麓だ。他の小隊と協力する事は認めない。
自分達の隊だけでやり通せ」
説明になっていない説明を終えて、第六中隊は歩を進めた。
流石にソウ一人で森全体を見張る事は不可能である。
今回のサバイバルには二つの目的があった。
一つ目は新しい小隊内で絆を深める事。
もう一つは特殊部隊に見張りをさせる事で斥候の練度を高める事と、長らく狩から離れて生き物を射ってこなかった弓兵部隊に狩をさせる為だ。
完全なる思いつきではあるが、予想以上の結果をもたらすかもしれない。
〜少し前〜
「くだらん」
そう吐き捨てたのは、この部屋に唯一ある豪華な椅子に座る30半ばの長い銀髪を揺らす男。
「やはり中身は王国の泣き言でしょうか?」
「そうだ。話にならんな。ランベルト。適当に返事しておけ」
ランベルトと呼ばれた同じ銀髪だがこちらは短く、歳も40を越えている男は恭しく手紙を受け取った。
「北軍の大将はランベルトの親族だったな?」
「はい。叔父上にございます。陛下」
長い銀髪の男はこの国の皇帝ヴィルヘルム・ジ・ターメリックその人だった。
話し相手のランベルト・ド・ディオドーラは帝国の宰相である。
この部屋は玉座の間であり、三十人からの人がいるが、殆どが近衛騎士であり、皇帝と直接話す事が許されている人物は宰相含め数人のみ。
「あの傑物であれば、王国攻めが決まればすぐに攻め込むであろう。報告が上がり次第、総攻撃を命じておけ」
「かしこまりました。陛下、それとは別にお伝えしたいことが」
「なんだ?」
「その叔父上からなのですが、エルメス家の次男を軍の要職候補にあげても問題ないか確認するように言付かっています」
「そんなことか。あの武の事しか頭にない男が変な事はしまい。好きにせよ」
「ありがとうございます」
まさか自分の事が、一瞬とはいえ玉座の間で語られていたとは夢にも思わないジャック。
そして、決戦の日は刻一刻と迫って来ていた。




