11話 何をしても上手くいかない日。
大陸暦1314年春の時
「招集命令ですか?」
ジャックの補佐の仕事にも漸く慣れ始めた頃。以前と変わらず朝食を食べるために、執務室を訪ねたソウにジャックが伝えた。
「ああ。軍人にとっては出世のチャンスだ。長く待たされたがソウに会えた事でこの期間もプラスに働いたな」
ジャックは北軍に所属している。北軍も一枚岩ではなく、例によってジャックを遠ざけたい上役の者がここアトミラス領へと送っていた。
アトミラス伯爵領はこの乱世の時代にあって帝国内では戦地になりずらい平和な領の一つだ。
ジャックを嫌っている上役はジャックを戦地に送ると活躍してしまうから戦場から遠ざけたのだ。
しかし、この度の招集命令までは止める事が出来なかった。
そして遠ざけられていた本人は、この機会を使い戦地以外でできる事に注力した。
中身は部隊の練度を上げる事であったり、戦法の見直し、そして人材発掘であった。
ソウの故郷であるハジ村は領内の僻地だ。戦争が起こり兵士を集めている時でさえ、人口の少なさから声を掛ける事とその手間を天秤にかけて外された村である。
そうしたことが記録として残っていた。それを見つけたジャックはもしかしたら有能な人材が眠っているかもしれない。と考えて少佐である自らが出向いたのだ。
結果は知っての通り。
「私は…」
「安心しろ。ソウも一緒だ」
違うっ!
ソウの心の声が聞こえるようだ。
まだ納得いっていない表情をしているソウを見て、ジャックは続ける。
「戦地といってもソウはまだ軍に属していない。俺の従者として身の回りの世話をしてもらう事になる。
もちろん何か気づいた事があれば遠慮なく教えてくれ。お前の変わった知識が必要になるかもしれん」
「…それは、戦場には出ないということですか?」
「戦場には立つぞ?但し最前線ではなく、後方だがな」
ソウの表情が晴れやかになった。
「わかりましたっ!微力ながら変わった知識で貢献出来る様に頑張ります!」
命の危険が少ない事を知ると、肉体に引っ張られた精神年齢の低さが、珍しく顔を覗かせた。
「おっ。やる気だな。ソウに足りないと思っていた事だったが、杞憂だったようだな」
ジャックは常にリーダーだった。学園も軍学校も卒業してからも。
そんなジャックは人の事をよく見ている。
ソウの危うさは感情の見えない普段の姿だと思っていた。戦場では生きるという事に熱い感情を持って最後まで立っている奴だけが生き残れる。
経験に裏付けられたその感覚は確かだろう。
しかし。間違っていることがある。
ソウは生き残る事だけには情熱を向けているのだ。
それにしかそれが向かない事を危惧してあげてほしい。
出世にしか情熱を向けられないジャックとは、似た者同士なのかもしれない。
「よし。命令では明日出立だ。今日を準備に充ててしっかりと体調を整えておくように。
ソウはガイルの手伝いをしろ」
「「「はっ!」」」
部屋にいた三人がジャックの言葉に応えた。
「ソウ。まずは部隊への連絡だ。ついて来てくれ」
部屋を出たソウにガイルが指示を出した。
どうやらまだ四人しか知らない事らしく、ソウ&ガイル組は連絡係のようだ。
「はい!少佐の部隊はたしか600人でしたね」
「そうだ。連絡するのは曹長の十人でいい」
曹長以下には曹長が伝えるようだ。
「曹長の部下は何人かわかるか?」
「はい。曹長は百人長とも言われていて百人の部下を纏める職だと学びました」
「そうだ。そして帝国軍では一番下の二等兵は新兵を指す。ようは戦地に向かう時に新たに組み込まれるんだ。
ここでは600といったが、戦地に着く頃にはその数は1,000を超える予定だ」
国にはそれぞれ兵を動員できる数がある。
計算方法は一概に言えないが、食料と金があればどれだけでも雇う事ができる。
簡単に言えば限られた予算があるということ。
そして新兵がそれだけ入っても予算を確保できるという事は、それだけ死ぬという事の裏返しでもある。
もちろん予想より多く生き残るのに越した事はない。それだけ経験者が増えるのだから。
ソウはそれを聞いて生唾を呑み込んだ。
(どれだけの計算なのか知らないが、恐らく100は死に、100は再起不能の怪我を負うくらいには考えていそうだな…死亡率10%か。多いのか少ないのか…)
400人新たに雇うから400人死ぬということではない。
もしそんな計算であればこれ以上帝国は強くなるつもりがないという事だ。
帝国を名乗る以上覇権を目指している。
時の皇帝が目指していなくとも対外的にはそう見えるように振る舞っているはずだ。
まだ銃火器が開発されていない世界。
それに代わる兵器として魔法があるが、銃火器ほど使い勝手の良いモノではない。
もし銃火器のようなモノが開発されれば前線の兵士の死亡率は10%では済まないだろう。
あくまでも剣や槍が主力の時代。
逆に言えば個人の腕一本で成り上がる事も可能な時代だ。
本人にその気がなくとも『生き残る為に』戦地で活躍すれば……
閑話休題
「はい。命令は以上です。では失礼します」
ババッ
ガイルは軍曹である。
上位者への報告なので少し堅い話し方になる。
二人は曹長に敬礼して連絡を終えた。
「しかし…どこに行っても聞かれるな?」
「はい…すみません。ガイル軍曹には時間をとらせてしまいました」
二人が話しているのは10人の曹長についての事だ。
連絡に訪ねる度にソウの事を聞かれた。
曹長達はジャックからソウの事を聞いてはいた。しかし聞いていただけで何かこちらから尋ねたわけではない。
それほど上官に何かを尋ねるとはし難いのだ。
そこに自分に連絡をしてくる人物が。
さらにそれは噂のソウ本人。
少佐の説明では近いうちに軍属になるが現在は少佐の従者という身分。
質問するなら今だ。
という感じで行く先々でソウは質問攻めにあっていたのであった。
「いや、構わん。ソウの事が広まると都合が良いからな」
「……」
ガイルの都合ではない。もちろんジャックの都合だ。
ソウが軍に属した時。その時の為の布石のようだ。
ソウにとっては生き残れれば何でも良いぐらいにしか思っておらず、目立つのは控えたいとは思っている。
中にはソウがジャックの隠し子との噂まであったようだ。
流石に年齢が高すぎてそこまで広がらなかったが。
一番の噂はイェーリーとの訓練だった。
『よく耐えた』『よく死ななかったな』『最後の方は大尉が手を抜いていたんだよな?なっ?』
と、曹長でこれなのだ。非常に多くの部隊員に見られているのは間違いなかった。
ソウはイェーリーの攻撃を見切る為に過集中をしていたため、周りを気にする余裕などなかったのだ。
「次は買い物でしたね?この一年で大分力がついたので荷物持ちは任せて下さい」
「ああ。任せよう。と、言っても少佐に頼まれた私物だけだからそこまで量はないがな」
進軍するのに普通の兵は私物を持ち込めない。
手紙くらいしか持ち込めるモノはないのだ。
しかし少佐くらいになると事情は変わるようだ。
何を頼まれたのかは知らないが、久しぶりの街中にソウの心は躍った。
「何故こんな事に…」
ガイルに尋ねられたソウはウンザリした顔をしている。
「私に言われましても…」
「軍人様はご結婚は!?」「結婚相手をお探しなら是非っ!」
ソウは女性に囲まれていた。傍にいるガイルは完全な巻き添えだ。
ソウの身長は175になっていて、鍛えた事によりかなり筋肉も付いている。そして与えられて間もない軍服をビシッと着こなしている。
小さな村に閉じ篭っていたソウは知るよしもなかったが、かなりモテる顔のようだ。さらには全くいない事はないが、珍しい黒髪でより目立つ。
色々な要素が交わり、この街の女性のナニカに触れたソウの周りには、人だかりが出来ていた。
「わ、私はまだ13です!」
そう伝えるが
「13歳でこれって…」「姉さん女房を持つと軍で大成するそうですよ?!」
何も変わらなかった。
この世界では若い方の年齢はあまり気にされないようだ。
「そ、ソウ!私は一人で行ってくる!何とかして帰って来なさい!」
「えっ!?そ、そんなぁ…」
ガイルはソウを見捨てた。
見捨てられた場所が戦場ではないからと思えば良いのか…ソウは死んだ目をしながら女性達の話を聞き流した。
「それは災難だったな?まぁモテるのは悪い事ではないから気にするな。限度はあるが」
一人で帰ったソウは理由を聞かれたので正直に話した。
「ガイル軍曹に申し訳ない事をしました。連絡の時もそうでしたが、買い出しでは着いて行くことすらできないとは…」
これまで有能さを示し続けたソウに、初めてやって来たスランプだ。
全て些事だが。
「気にするな。そもそもガイルに付けたのはソウをリフレッシュさせる意味もあったからな。
逆効果になってしまったから…書類仕事でもするか?」
「はっ!お供します!」
結局いつも通りの仕事を終えて旅立ちの日を迎える。
変わった事をしてはならない。
新たな教訓が一つ加わったソウであった。




