10話 磨かれた才能と二人の関係。
「それで…話とは何でしょうか?」
訪れたガイルは黙ったままだ。この部屋にはお茶入れの道具などなく、黙ったままだと手持ち無沙汰を強く感じる。
ソウがそう考えていると漸く口を開いた。
「エルメス少佐が悩んでおられた」
「はぁ…」
言葉の意味が分からず気のない返事しか返せない。
「ソウの事でだ」
「私の?」
「ああ。私はソウと同じく平民で、軍にこのまま使い潰されると内心諦め始めた時に、エルメス少佐に拾われたのだ」
何だか急に身の上話が始まったな…
と、ソウは思ったが、すぐに本題へと戻った。
「その大恩あるエルメス少佐の悩みの一つを解決出来るのであれば、私は何でもしようと思っている。
ソウ。エルメス少佐が褒めた時に素直に喜んでくれないか?」
「…えっと。ジャック少佐が悩んでいるのは私を無理して褒めているということですか?」
ダンッ
「そうではないっ!」
机を叩き、強く否定したガイルにソウは唇に指を当ててジェスチャーで騒音を伝えた。
もう夜であり、ここは規律の厳しい軍の施設内である。
「す、すまない。しかし先程の否定は本当だ。
エルメス少佐はソウを心から誉めている。そしてもっと気軽に誉めたいと悩んでおられるのだ」
「何ですか…その可愛い子供にオヤツを与え過ぎてしまう人の悩みは…」
あの人は本当に軍のお偉いさんか?
「その喩えは合っているのか微妙なところだが、そんな感じだ。
エルメス少佐に褒められるのは嫌か?」
「いえ…そもそも褒められるような事をしていないのに、褒められると居心地を悪く感じるだけです。
ジャック少佐は褒めすぎなので」
子供が家の手伝いをして褒められれば、素直に受け入れて喜ぶだろう。
では大人では?
ソウの気持ちはそういう事だ。
自身がやって当たり前、出来て当たり前の事を大袈裟に褒められて喜べる大人は少ない。
少なくとも額面通りには受け取れないだろう。
夫が普段褒めない妻に褒められれば『何かある』と感じるように、夫婦ですら裏があるのだ。これが赤の他人であれば尚更。
「埒が開かないので正直に話そう」
やはり嘘か…
そう身構えるソウにガイルは予想外の言葉をかける。
「私から見てもソウは褒める所しかない」
「……冗談ですよね?」
「私は正直に話した。更に言うなら羨ましくも思っている。そこまで期待されて、期待以上の結果を常に出し続けられる事も。その相手が私の憧れの人物である事も」
普段の態度から嘘をつく人ではない事はソウもわかっている。
わかっているからこそ、今の状況がむず痒く、答えに窮しているのだ。
しかし、相手が真摯に伝えてきたからには応えないわけにはいかない。
「わかりました。それとなく、ジャック少佐に伺って解決を図ります」
「そうか!ソウが言うなら間違いなしだな!では、邪魔をした!ゆっくりと休んでくれ」
ガイルの事は話さないよと、『それとなく』を強調したのはどうやら伝わったらしい。
上手くいけばガイルのお陰だと伝える気ではあるが…
ガチャ
バタンッ
「上手くいくのか?」
自身も落ち着いて食べられる食事の時間は欲しいので、割と真剣に悩むことになった。
「改まってどうした?」
いつもの朝食の時間。ガイルから聞いていたこの後の予定の話が出る前に、ソウはジャックに人払いを頼んだ。
初めての自主的な行動にジャックは内心穏やかではいられなかったが、おくびにも出さなかった。
「実は私の事を話そうかと思いまして」
そう切り出したソウは、自身については『田舎の孤児』程度にしか情報を与えていない現状を変えようと話す。
「それは興味深いな」
「期待には応えられませんが…」
ソウは現状できる事、出来ない事、これから出来る様になれそうな事を話した。
普通自己紹介と言えばそんなモノではない。
「それは凄いな!俺が13の頃は・・・」
何故か盛り上がる話。そしてべた褒めの時間が始まった。
ソウの思惑はこうだ。
『ジャックの褒めるラインを見極める』『現状の褒めそうな所はいま吐き出して褒めさせておく』
そうしておけば、現状の生活で褒める所がなくなり、将来的な予防にも繋がる。
要は、ジャックはソウを知らなさすぎるから褒めていたのだ。
出来て当たり前の事は普通、褒めない。
ただの13歳ではないよ。と、伝えたのだ。
世の中ではハードルを上げるとも言う。
「いや、良いことを聞いた。ところで誰の差し金だ?当てようか?ガイルだろう?」
バレていた。
「そうです」
すぐにガイルを売った。
「そんなに直ぐに白状してもよかったのか?」
「はい。元々お伝えするつもりでしたので。そもそもこんな事を私が急に言えば、ジャック少佐であれば直ぐ異変に気付かれると思っていました。
お気を害したのであれば謝罪します。罰も何なりとお申し付けください」
ソウからすればガイルは余計なモノを持ち込んだわけではない。
ではジャックが悪いのか?
人付き合いで一々他人のせいにしていれば、上手くいくはずがない。となると、ソウは全て自身の行いが招いたモノだと認識する他ない。
罰を受けるなら、現状に気付き、他人の為に動いたガイルではなく、立場的にもただ養われの身である自分が受けるべきだ。
「罰はない。といえば、お前の気が済まないだろう。それに悪意のない謀とはいえ、立場上何もしない訳にもいかないしな」
これはジャックの言い訳だ。
「ソウには文の講義が無くなり空いた午前中を、これからは俺の補佐として働いてもらう。以上だ」
「わかりました」
ジャックはソウの意図を全て汲んだ。
今回のやりとりは罰と銘打って『ソウを褒めずに動かす』為の作業だった。
もし単純に補佐を頼むのであれば、それは現状無職のソウからすれば大出世になる。
補佐などという重要な職につかせるのは褒美でもあり、実力を認めるといった作業が間に挟まる。
褒めずに褒める。
二人が出した今回の騒動の着地点はここになったのだ。
何かをさせられるとは思っていたため、よく考えずに反射的に応えていた。
軍人あるあるだが…
ジャックの言葉の意味を吟味すると、まずは驚きが出たようだ。
「えっ!?補佐ですか?それは流石に…」
「いきなり出来るとは思っていない。だがソウであれば出来……これだと今までと変わらんな。
命令だ」
「はっ!謹んで拝命いたします!」
ソウの切り替えの速さは既に立派な軍人そのものであった。
「ちょっ…ちょっと待って!!」
あれからひと月後の冬の月の午後。いつもと同じ様に
午後の武の訓練が行われていた。
「はっ!」バッ
「ソウくん。強くなり過ぎ。何で僕が押されてるのさ?」
待ったの声にその場で立ち止まり敬礼を返したソウに、イェーリーが文句を垂れる。
「何でと申されましても…教官の指導の賜物だと」
「おべっかはいいよ。僕の指導で強くなるのは心だけだってもっぱらの噂だもん」
「私には合っていたのかと、愚考いたします」
「…そう言われると、そうなのかも」
ソウは目が良い。目は前世でも良かったのだが、そういう意味ではなく、動体視力が良い。
これは空腹の中、魚を捕らえる為に養われたのか、それともそれがあったから捕まえる事が出来たのかは定かではないが。
何にせよ、極限の集中の中ではモノが止まって見えるほどだ。
そしてイェーリーの指導は、その極限の集中の持続力を養うのにもってこいの訓練方法であった。
何せ、一瞬でも気を抜くと拳が、木剣が、飛んでくるのだ。
寸止めなどではない。痛みを伴うのだ。
そんな訓練で磨かれた集中力と、天性か、はたまたそうならざるを得なかったのか、常人にはない動体視力を持っていた。
その二つの相乗効果により、ソウの武は急成長を遂げたのだ。
もちろん本人が死に物狂いの努力を出来なければ花咲く事はなかった。
ソウにとっては、『最愛のひと』に会うために実際に死なないのであれば、死に物狂いなど些細なことだと思っている。
そんな成長の冬を越え、春が訪れた。
「招集命令だ」
訪れたのは春だけではなかったようだ。




