9話 成長期と褒め悩み。
大陸暦1314年冬の時
「そうそう!それだよ!」
どれだよ。ソウの心の声がそう聞こえてきそうだ。
イェーリーに剣の指導を受けて半年、今は雪の中での模擬戦中である。
イェーリーは言葉では上手く伝えれないが、身体に叩き込むことは得意であった。
今もどのことを言っているのかは不明だが、どうやら教えた事をソウは体現出来ているのだろう。
「かぁっ!強いね!もう素手だと勝てないや!」
イェーリーは素手で木剣を相手にしていた。
「…ようやく剣を持ってもらえるのですね」
いくら子供とはいえソウの身体は大きく、イェーリーとそう変わらないのだ。むしろもう抜かしているかもしれない。
漸く対等に相手をしてもらえる。ソウはそこまで来ていた。
「流石にコイツを持ったら簡単にはやらせないよ?」
イェーリーは不敵に笑うと木剣を中段に構えてソウに突っ込んでいった。
「なるほど…それでか」
久しぶりに痣だらけになっているソウを見て事情を聞いたら納得した。
納得はするが驚いてはいた。
表情には出さないが。
「はい。イェーリー教官の剣は目で追うのが精一杯で、身体は全くついていけませんでした」
ソウはふと気付いた。
あれ?少佐と世間話をいつからしていたっけな?と。
初めは余計な事を言えば、聞けば、ただそれだけで怒られていた。
だが今はどうだ?
少し疑問に思うも、それだけの事だと思い直した。
ここはいつものジャックの執務室。夕食をつまみながら習慣になっていたいつもの報告会。
「見えるのか…イェーリー大尉が褒めちぎっていたのは本当だったようだな」
ジャックは元々イェーリーに世辞が使えるとは思ってはいない。しかしそれと同じくらいイェーリーの話は話半分でしか聞いていなかったが……
イェーリーの話は真面目に聞いても冗談なのか本気なのか昔からわからなかったのだ。
しかし学生時ではあるが自身が一度も土をつけられなかった相手と、この前までただの村人だったモノが剣を交えていると聞けば、武も一流の領域に足を踏み入れている者としては黙ってはいられなかった。
「俺は学生の時には終ぞ見えなかったな。良く頑張っている」
「…ありがとうございます」
最近…というか、ここに来てひと月も経たないうちからジャックに褒められることが増えてきていた。
ソウはこの褒める行動に何か裏があるんじゃないかと思うと、素直に受け止める事が出来なくなっていた。
そのせいでの間だ。
その間がすっかり食卓と化している執務室に微妙な空気を作った。
ジャックはジャックで、褒めると変な空気になり話が終わってしまうので褒める事を減らそうとしていた。
(しかし、つい褒めてしまう出来事が多過ぎるんだよな)
ジャックの驚きは止まるところを知らなかった。
「基本的な講義はこれで終わりです。ですが学問に終わりはありません。
特に我々軍人には時代と共に移り変わる定石を学び続けて、敵の策に溺れないようにしなくてなりません。
軍略、策略、色々な呼び方の知識が山の様にあるので、自身の身を守り、仲間を守り、そして勝てる様に日々一緒に研鑽していきましょう」
翌日、両道教育の一つである、文の講義が遂に終わった。
本来であれば教官が付きっきりであっても、2年は掛かる。
さらにソウは一番基礎の字を書くことが出来なかった。
そんなソウが魔法の講義の分を文の講義に当てたとして、ここまで早く終わらせられた理由は一つ。
転生者だからだ。
文字は日本語と英語を習っていたので覚え方のコツは問題ない。
軍略などに関しても前世の知識から答えを導き出せた。
中でもレンザを驚かせたのは計算だ。
この世界にも四則演算はある。分数の概念も、筆算の概念も。
レンザが驚いたのは計算の速さと立体的な計算の正確さだ。
軍事のテストの一部で、数万人を擁する戦では右翼と左翼に伝達による時間の差が生まれる。という、引っ掛け問題のようなものがあった。そういったことをすぐに気付き、計算し直し、正確に軌道修正する事が出来たのは特に絶賛された。
レンザ曰く『兵は生き物です。その日の気温一つで動きが変わってきます。ソウ殿はそれに気付き修正する能力はすでに一流であると太鼓判を押しましょう』
ソウの社会人経験では、思い込みで行動しない。確認は三人以上で行う。などは当たり前のことだった。
そういった意識の高さが戦場では生きてきて、レンザはそれを褒めたのだろう。
何はともあれ、ソウは無事に文の講義を修了した。
その事に少し不安も覚えるが『これで生き残れる可能性が増えた』ことを何よりも喜んだ。
一方、別の人物はさらに頭を悩ませていた。
「どうしたらいい?」
部屋の主のセリフに専属の兵士はどうしようか悩む。
その前にこの問いは自分に投げかけられたのか?
そもそも何の事を言っているのか?
真面目で正確性の高さを買われてここに配属された兵士。
そんな兵士の葛藤を知ってか知らずか部屋の主は唸っている。
自分を認め、傍に置いてくれた主に報いるために兵士は固く閉ざされていた口を開いた。
「…エルメス少佐。それは何についてでしょうか?」
「ん?どうした?」
無断で声を出した事を問答無用で叱責をしてくるとは、ここまで積み上げた信頼が否定していたのでそれはいい。
しかし問いに問いで返されるとは考えてもいなかったようだ。
「いえ…先程『どうしたらいい?』と言われたので…」
本当のことを言っても怒られるのが軍人だ。
しかし無駄な言い訳になったとしても『もしかしたら自分の発言で重要な何かを思い出すかもしれない』可能性はゼロではない。
それに賭けて発言した。
「…!ああ。独り言になっていたか」
「し、失礼しました!」
「いや、折角だ。教えてほしい」
独り言とは考え事である。それの邪魔をしたと思い、兵士は謝罪した。
そんな真面目な兵士をいじめる様に部屋の主は問いかける。
この優秀という言葉を欲しいままにしている部屋の主ジャック・エルメス少佐に自分が教えることなど何一つない。
兵士はそう思うが上官の命令は絶対である。
息を呑み、上官の言葉を待った。
「ソウを褒めずに済むにはどうすればいい?」
「はっ!…は?」
真面目な兵士は上官の言葉に即応した後、その言葉を正確に咀嚼して気付く。
何を言っておられるのだ?と。
「それは…業務連絡以外を口にしないというのは如何でしょうか?」
真面目な兵士はくだらない質問にも真面目に答える。
「それでも褒めなくては話が進まない事が多いんだ」
「であれば…逆に日常会話に終始して、業務連絡は紙に書いて知らせる…というのは…すみません。浅知恵です」
「…いや。悪くないかもしれん。すまんな。変なことを聞いた。忘れてくれ」
「いえ!少佐のお役に立てるのであれば何なりとお申し付け下さい!」バッ
敬礼の後、兵士はいつも通り物言わぬ置物と化した。
ジャックの悩みは予想の数倍の速さで両道教育の一つを終えたソウの、空き時間についての報告が待っているからだ。
別に『空いたようだからその時間はこれをしろ』でいい様に思えるが、軍に染まりきっているジャックは信賞必罰の精神も染み付いていた。
部下に何か褒める事があれば必ず褒める。
逆もまた然り。
この精神が染み付いている為、皆(他の教官など)が褒めるのに、自分だけが褒めずに別の事に移行するのはむず痒いのだ。
結局いい案が思いつかなかったジャックはギクシャクしながらソウと食事を摂った。
コンコン。
ソウがベッドに入ろうかと思っていると、この部屋に来て初めて扉がノックされた。
「はい。今開けます」
ガチャ
扉の向こうに立っていたのは…
「夜分にすまんな」
「いえ。お話ですよね?部屋でいいですか?」
男が頷いたので部屋へと招き入れ、椅子をすすめた。
この部屋には椅子が一脚しかないのでソウは立ったままだ。
「すまんな」
男は言葉だけの謝罪をしながら椅子へと腰掛けた。
「いえ。それで話とはなんでしょうか?ガイル軍曹」
ガイルと呼ばれた男はあの真面目な兵士だ。




