二人だけの秘密、だよ? 2
太陽のように豪奢な金の令嬢は傍らに立つ栗毛の色男に初々しい笑みを向け、青年も同じく美しい人に心奪われたかのように頬を染めていた。
お互いを見つめあう姿を見かけた道行く人々は、舞台の一幕のような光景に幸せのお裾分けをもらったかのように笑み通り過ぎる。
────しかし、この二人の間にあるのは春の訪れではない。
「あなた、休日なのにロアン様の後をつけまわして……末期ね」
「そっくりそのままアンナに返すよ。なぜここを通るのかわかったのかな? 君のその無駄に良い勘と執念があれば諜報に入隊できるよ」
お互いほほえみを貼り付け、小声で毒の応酬である。
二人の視線は未だ花屋の前で仁王立ちをするロアンだ。花売りは鋭い視線に晒され、挙動不審気味になっている。
「諜報も何も、執務室の壁に勤務表が貼られていたし、ロアン様にはお姉様の好みの手土産を聞かれたわ。4回も。そして、ロアン様に用意する時間は当日まで無かったわ。無駄に騎士舎に通い詰めた甲斐があったわ」
作り物のようなほほえみから一転、アンナはふふんと得意げな顔でクレインを見上げた。
その表情を見たクレインは、無意識に手をポフンとアンナの頭に置いた。
クレインは一拍遅れ、自分の無意識の行動に驚愕していた。
いやいや、これはアンナの得意げな顔が実家の犬に似ていたからついうっかりであって!
目を丸くするアンナとバチリと目が合ってしまい、ごまかすようにその手をわしわしと動かした。しつけ中の子犬を褒めるように撫でた。
「アンナは偉いね。えらい、えらい。ちゃんと隊長を”ロアン様”と言えたね」
「馬鹿にしているの?不愉快だわ」
ペシリと叩き落とされた、先日からおかしい己の右手を凝視するクレインをよそに、アンナはロアンのそばへ向かって行った。
ロアンもアンナの存在に慣れたのか、とても近い距離で会話をしている。
ほほえみ合う二人は事情を知らぬ者が見ればとても親しい仲に見えるだろう。
やれやれと肩をすくめ、その二人の間に近づいていく。
こうすれば二人きりには見えないだろう。ロアンのため、職務のため、だ。
「そうですか、確かに宝石はずっと手元に残り見るたびお相手のことを思い出してしまいますが、花も良いものです。香りも記憶に残りますし、何よりこの花が枯れる前にまた会いに来るという約束の意味もありますもの」
そう言ったアンナの横顔は少し寂し気だったことにロアンは気付いただろうか。
その表情を音も無く消したアンナは、どの花がおすすめかアドバイスを始めた。
「アンナ嬢、感謝するよ。俺一人では決めきれなかった。包むまで時間がかかる、その間にクレインを連れて買い物に行ってはいかがか。目的地は同じだ。邸まで送ろう」
ロアンは晴れやかな笑顔でテキパキと指示を出した。
なんだかウインクまで送られた気がするが、男から、ましてや隊長からウインクを飛ばされても薄ら寒いのでやめてほしい。
そして、このウインクや期待の籠った目でロアンが何を勘違いしているのか。
有能な補佐官であるクレインは正しく、正確に察してしまった。
文句はあれど別に訂正する必要はないと判断したクレインは、では早速とばかりにアンナの背を押し歩く。
アンナは何やらごちゃごちゃと呟いていたが、早く二人で話したかったのだ。
この略奪劇になんの意味があるのか、を
*
「それはもちろん、ロアン様がアンナお姉様にふさわしいのか見極めているのよ。当然でしょう?」
アンナは真剣に何本かのブルーのリボンを並べ見比べているが、クレインには同じ色に見えていた。
「それがなぜあの珍妙な作戦になったのかな?」
「失礼ね。理にかなっているでしょう」
どうやら右から二番目のリボンが良いらしい。同じ色だが。
荷物をアンナからとりあげ、クレインは腕をアンナに差し出した。
この腕の意味を察したアンナは苦い薬を煮詰めたものを飲まされたかのような顔で、エスコートを受けた。
「アンナの誘惑に負けてマリア嬢を裏切れば、隊長を認めないってこと?」
「簡単に単純に言えばそうね。お姉様とロアン様の幸せを願うあなたには申し訳ないけれど、これは譲れないわ。わたくしはお姉様の幸せが第一優先なの。浮ついた男なんてとんでも無いわ」
「隊長はマリア嬢を深く愛しているから心配要らない」
「……まあ、ここまで苦戦するとは思っていなかったわ。でも、今までお姉様に言い寄って来た方々には負け知らずよ」
「何と戦ってるんだ? あと、今までマリア嬢の縁談の妨害をしていたのは君だったのか?」
「今回、まさか陛下経由で婚約を先にまとめられるとは思わなかったわ。それは反則よね。ここから巻き返すには全力で行くしかないと思っているの」
突っ込みどころが多くて時間が足りないな、とクレインは天を仰いだ。
「えっと……マリア嬢はアンナの作戦を知っているのかな?」
「そ、そんなことを知られたら怒られてしまうに決まってるじゃない……!! 今まではお姉様が困った顔をしていらして、相談されて、だからわたくしも正々堂々勝ちに行けたのよ。でも、今回、お姉様がロアン様を見る目は……っ」
急にうろたえたアンナは怯えた表情で視線をウロウロとさせた。
そ、そうだよな、そうだよな???
と、クレインの胸に謎の安心感が広がった。それはそう。普通そうだろう。
妹がこんなことを勝手にやっていたら、それはそうだろう……!
自分の価値観が間違っていなかったことに安堵した。
「お姉さん、悲しむんじゃないか……?」
まるで犯人に自首を促すかのごとく、クレインは同情的な視線を向けた。
しかし、アンナは逃走経路を塞がれ極限状態まで追い込まれた犯人かのような自暴自棄な目を見せた。
「ロアン様に泣かされるお姉様を見るぐらいなら、お姉様がわたくしのせいで涙する方がマシ……いえ、むしろそちらの方が良いわ。もはやご褒美よ……!」
「いや、まだ他に方法があるだろう。自棄になるな、全員が幸せになる方法がきっとあるはずだ」
例えば何が出来るだろうか。
ロアンは誠実な男だ。一度縁があった令嬢を忘れられず、武功を立てて想いを遂げる気概もある。
もはや第三騎士団の男たちのほとんど全員を掌握したアンナにも、誠実かつ兄のような態度を崩さない。
何年も背中を守るクレインが見て疑う余地などないのだが、信じられないというならば何年も納得するまで行動を見守るしかない。
そう、ロアンの近くにいる男のそばであれば何年でも見守れるだろう。
しかしクレインは伯爵家の次男である。
侯爵令嬢を貰い受けるには爵位が不十分だ。
それこそ、先日のロアンのように武功を立てれば、あるいは
クレインは思わず腕に掴まるアンナの細い指を包み込むように手を重ね、うるうると潤む瞳を覗き込んだ。
………………………………いやいやいや。
アンナに乗せられてしまった。
自分は何をやっているんだと前に向き直り、足を進めた。
少し色づいてしまった頬を落ち着かせるため、ゆっくりと。
「……ではアンナと勝負だな。初めての敗北を味合わせてあげよう」
「受けて立つわ。わたくしは勝利の美酒しか飲まないの」