気になっちゃう、でしょ? 1
王国の守護を司る魔物討伐部隊は日夜訓練を欠かさない。
各地それぞれ部隊を配置しており、もちろん王都にも駐在している部隊がある。
その王都、王城の敷地内にかまえる訓練場の外周には、今日も色とりどりの令嬢が賑わいを見せていた。それはここ最近の魔獣討伐部隊の目覚ましい活躍があったからだろう。
王都を魔物から守護するのは公爵家の三男ではあるが、先の魔物襲撃の折に一の功績を残したロアン・グレイデン率いる部隊だ。
隊長であるロアン・グレイデンは、その功績を認められ侯爵家へ婿入りする運びとなったのだった。
その褒美に魔獣討伐部隊の男どもは奮い立たされた。
夢だと諦めていた望みでも叶うのではないか。地位も、王族の婚約者と目されていた令嬢も手に入るほどの無謀な望みであろうとも。男たちは第二のロアン・グレイデンを目指した。こうして魔獣討伐部隊は活気づいていた。
令嬢たちは訓練場の外周から魔獣討伐部隊を見物し、お気に入りの団員を見つけては噂話に花を咲かせていた。
ここからお互いに見初めれば交際に発展する可能性もあり、言わばここは出会いの場でもあった。
その横を颯爽と横切り、厳しく出入りが制限されている騎士舎に向かう一人の令嬢がいた。
その姿に視線を吸い寄せられた令嬢たちは浮足立っていた囁やきをピタリと止め、食い入るように見つめる。
その令嬢は圧倒的な存在感を放っていた。羊の群れの中に降り立った女神のように、異質で、視線を逸らせないほどの魅力があった。
令嬢はそんな視線に気付いていないのか、機嫌よく騎士舎へ近づいた。
豪奢な金の髪をゆるりとまとめ、品良くシンプルな装いだったが、それがかえって令嬢の美貌を際立たせていた。
かの令嬢は慣れたように門番へニコリと微笑み、腰を軽く落とし敬意を見せる。
────アンナ・シュナウザー侯爵令嬢
騎士舎の前に立つ門番よりも、この騎士舎の中にいる者たちのほとんどより高位の令嬢である。
しかし、誰よりも礼節を重んじ謙虚であった。
門番も厳しい表情を崩し、敬礼を見せ中へと招き入れた。
この光景に異議を唱える者などいない。
それに、かの令嬢は魔獣討伐騎士団隊長ロアン・グレイデンの婚約者
────の、妹なのだから。
*****
慣れたように執務室の扉をノックし、返事を待ってアンナは顔を覗かせた。
「ロアン様」
「あぁ、アンナ嬢。ようこそ、今日も来てくれたんだね」
隊服を椅子の背にかけ軽装のまま執務机に向かっていたロアンは、アンナの顔を見て伸びをするように立ち上がった。来客を心待ちにしていたのか、いそいそと執務机から離れ、未だ扉の外に立つアンナを部屋の中へと招き入れる。
この騎士舎の深部にあるロアンの執務室にアンナは何度も訪れているのに、こうして許可を待つ節度ある姿勢がロアンの目には好印象に映っていた。
「本日も精が出ますね」
「はは。実はまだ何も手を付けていない。先程まで外で訓練だったんだ。汗も流さず、こんなむさ苦しいところを申し訳ない」
ロアン・グレイデンは鍛錬後でも爽やかな笑顔を見せるのだと、アンナだけは知っていた。
そんなロアンの額から汗が流れ落ちてきた。それを見たアンナは優しい表情で微笑み、ハンカチを当てた。
「いいえ。こうして日々欠かさず訓練を行い、有事に備えることが大事なのです。ご出陣の際はご活躍の時かもしれませんが、家を守り待つ者は毎日何事も無くお戻りになることを願っているのですから。訓練こそ疎かに出来ません」
ロアンは目を見開き、アンナの顔をまじまじと覗き込んだ。
その視線に気付いたアンナは勝ち気にすら見える顔を微かに染め、ちらりと視線を返す。
「……と、マリアお姉様の受け売りですわ」
その表情は親しい者にしか見えない気安さがあり、二人の距離が少し近付いたような錯覚を覚えた。
アンナの言に素直に感心したロアンも、また1つ気安い表情を返した。
「姉妹の仲が良いようで何よりだ」
「ええ。お姉様は私のような至らない妹にもお優しいのです」
先程までの無邪気な表情は一転して、なんとも寂しげな顔で姉のことを話した。それは常に太陽に喩えられる勝気な美女の、まさに陰の部分だった。
思わず、ロアンは慰めたくなり俯いてしまった顔を覗き込む。
「そんな、アンナ嬢は素敵な令嬢だ。ここの団員なんて、君がこうして来るようになってから目の色を変えて動いている」
「まぁ。そうなのですか」
「はは、アンナ嬢の視界には入ってなかったと知ったら、あいつらは落ち込んでしまうな」
驚いたように目を丸くしたアンナを元気づけるように、少しからかえば。
アンナの若草色の瞳が少し揺れ、ゆっくりと、ロアンのそれを見上げた。
「………わたくしが見ているのは一人だけ、ですので」
婚約者の瞳とは違う、若草色の瞳に射抜かれる。
なぜか一瞬ドキリとする。
それは誰のことかを聞き直す間もなく、アンナの視線がロアンから外れた。
「アンナ、こんなところにいたのか」
「……………………まぁ、ごきげんよう」
先程、外から戻る際に用事があると抜けていたはずの補佐官のクレインが、親しげにアンナの肩を抱いた。
思わず華奢な肩に触れる手と、アンナの表情と、クレインを確認してしまうロアンがいた。
「アンナに早く会いたくて探してしまったよ」
「………あなたが探していたのは、こちらの焼き菓子の方ではなくて?」
アンナはクレインの手をゆるりと弾くと、手にあったバスケットをクレインとの間を隔てるように持ち上げた。
そのやりとりがなんだか妙に親し気で。
なるほど。この特定の恋人を作らない、氷のような男の”用事”とはこのことだったのかと合点がいった。
「ははは!ああ、そうだな。独り占めしては勿体ない。皆に早く配ろう」
「では、私がアンナを案内しますので、隊長はそちらの書類の決裁をお願いしますね」
クレインは令嬢の手からバスケットを持ち上げ、令嬢の背を押すように扉の方へと向かっていく。
────どうやら太陽に近づいた氷は、溶け始めているらしい。
それがなんだか背を羽根でなぞられているような変な心地だった。
しかし、ロアンも令嬢が毎回持参する食料の虜であった。
「俺の分は?」
「もちろん確保しておきます。仕上げた書類と交換ですよ、では失礼します」
隊長であるロアンの補佐官・クレインは慣れたように返事を返しながらも振り返らない。
そんなクレインの背の影から、アンナがヒョコリと顔を出した。
「ロアン様、また明日はサンドイッチを持って来ますので」
「アンナ嬢、こちらは有り難いが連日は負担になるだろう」
「まぁっ。わたくしの楽しみを奪わないでくださいませ」
ピタリ、とクレインの足が止まる。
そしてアンナはニッコリとロアンに微笑んだ。
「お姉様は婚礼の準備でお忙しいのです。ご婚約者様の元気なご様子を、お姉様は心待ちにしてますもの……わたくしにもお姉様のお手伝いをさせてくださいませっ」
「アンナ嬢……!」
「明日もお会い出来るのを楽しみにしております」
ロアンは感激した。
なんて姉想いな妹だろうか、と────
*****
執務室を退室し、2つ隣の来客用の防音性のある一室にて。
「アンナは悪い子だね。毎日毎日来るなんて、暇なのかな?」
「接触回数を増やして対象の警戒を解く、略奪の基本中の基本ではなくて? それに気安く名を呼ばないで頂戴。不愉快だわ」
侯爵令嬢たる自身を壁に追いやる男の顔を一瞥する。
軽薄そうな顔にお似合いの所作である。こうして壁に女性を追いやることに慣れているのね。いやらしい!
この男、クレイン・ロットワイラーは伯爵家の出であるらしい。グレイデン公爵家の三男であるロアンの補佐官である。
ロアンとは方向の違う美貌で、随分と未婚の令嬢たちの中で人気があるらしい。隊長のロアンは先日婚約を結んでしまったので、クレインは最後の桃源郷だとかなんだとか。そんなの幻に決まっている。
お茶会でお友だちから聞いた話によると、最初はとても優しいが誰とも本気で付き合わないのだとか。そもそも優しいという部分すら誤っている気がする。
「では、なんと呼べば? 腹黒? 泥棒猫?」
ほらみなさい!と心の中で大きく訂正を入れさせていただくわ。
「シュナウザー侯爵令嬢と呼べばよいのよ! あぁでも、それでは”愛するマリアお姉様”と同じ呼び名になってしまうわ。その度にきっと失恋の傷が痛むでしょう……それは理解できるわ」
そう。私は知ってしまった。
クレインはマリアお姉様を想っていたのに、失恋してしまったのだ。しかも自身が支える隊長と想い人が婚約するという形で。
可哀想に。それは心に棘が生えて優しさを持てなくなってもしょうがないのかもしれない。いいわ。愚かなクレインの分まで私が優しさで包んであげなくては。そうですわね、お姉様。
コクン、とクレインを労るように微笑めば。全てを信じられないと拒絶する野良犬のような視線が返ってきた。
さすが傷心中ね。そういう目になるのも理解できるわ。
「……あのねぇ」
クレインがゆるりと頭を振ると、ロアンと同じく首に汗が流れた。
あぁ、と思わずそれを今度は私用のハンカチで抑える。
念のために言っておくが、先ほどロアンに使ったのは新品のハンカチである。きっとそういうタイミングがあると準備しておいて正解だった。
しかし、同日に汗を拭くという行為に2度目があるとは想定してなかった。なのでクレインに使ったのは私用のハンカチである。まだ未使用だったのが幸運だった。使いまわしではないので安心してほしい。
しかも、このハンカチはお姉様に捧げるために練習した刺繍図案のものである。光栄であろう。
だから嫌がられるなんて微塵も思わず、当たり前かのような顔でクレインの汗を拭った。
それをクレインが大変驚いた表情で見ていたことにも気付かなかった。
「それにしても先ほどの演技は何? あれではあの男に勘違いされてしまうわ。お姉様にもよ。そんなことをしたらあなたの想いが可哀想ではなくて?」
口を尖らせ忠告すると、惚けたようにされるがままだったクレインは一拍遅れて正気に戻った。出遅れたことを恥じるように、未だ動き回るハンカチと華奢な手をまとめて掴み捕らえてくる手早さはさすが訓練された素早さだった。
「どこから訂正しようかな。まず隊長のことは『ロアン様』か『グレイデン様』とお呼びしような?」
アンナはまだ自由な片手で口を抑え、叫び声を我慢した。
「……そういうことね。愛するマリアお姉様のお相手は敬愛する上司。健気にも認めた二人ならばと応援するのね」
クレインはあくまでロアンのことは支えるべき存在だと、それはどんなことがあっても変わらないと。そう己を律しているのだ。……と、アンナは理解した。
「まさかの解釈違いだわ」
「まてまてまてまて」
掴まれていた手を振りほどき、わなわなと震えるアンナの珍妙な解釈にクレインは頭を抱えた。
「否定することないわ。少なくとも、わたくしはあなたの愛を信じます。あなたの想いはあなただけのものだわ。大切になさって」
どうしてこうなった。
そうクレインは呟き天を仰いだが、もちろんアンナは聞いちゃいなかった。