76話 五十路、正しさを考える。
さて、こをろお嬢様は、今はご機嫌な様子なので大丈夫のように思いますが、場は静まり返っています。
それもそうでしょう。偶然とはいえ、フォークが人に向かって飛んでいったのですから。
「し、白銀! お嬢様にお怪我は?」
珍しく黒鶴さんが慌てていらっしゃいます。
「大丈夫かと。こをろお嬢様、どこか痛めたりはしておりませんか?」
「え? あ、ひゃい! うん、痛めてない! だいじょうぶ!」
元気そうにブイサインをして下さるこをろお嬢様に、私も黒鶴もほっと息を吐きます。
ですが、
「あちらのお嬢様は……」
フォークを投げてしまったお嬢様が自責の念に押しつぶされていたりしないか心配で視線を向けると、黄河さんとお嬢様が何事かお話をされていらっしゃいます。
「お嬢様、まずは、落ち着いてください」
「うるさい! なんなのあのフォーク! 滑りやすくして……なんかのいやがらせ!? 私がちょっと写真のこと言っただけであんなことするの!?」
「お嬢様、写真のお話は、カトラリーをお持ちした後です。それより」
「なに!? じゃあ、私が間違っているというの!? そんなこと言うの!? この店は!?」
物凄い剣幕で黄河さんに噛みついていらっしゃいます。
私と同じ年くらいの方でしょうか? ですが、私と違って随分エネルギッシュな方の様ですが、ちょっと自分の感情をコントロール出来ていらっしゃらないように見えます。
「ひとまず、あちらのお嬢様の所でお話を」
「はああ!? だから! 私のせいじゃなくて、この店のフォークのせいでしょ!」
どうしても謝罪をしたくないようで、黄河さんが困っていらっしゃいます。
その上、まるでこをろお嬢様が謝罪を強要しているようにこちらを睨んでこられます。
お二人の間を遮るようにこをろお嬢様の前に出ると、同じタイミングで黒鶴さんも守るように間に入って下さいます。
「こをろお嬢様、いかがいたしましょう?」
「あ、あはは、あの、謝罪とかはいいんで……この空気がなんとかなんないかなーって」
苦笑いを浮かべ私を見ながら、そう仰られました。
そのこをろお嬢様の視線が私の奥へと動きます。
私の後ろには、先ほどのお嬢様が不服そうな顔でこをろお嬢様を見ていらっしゃいます。
ですが、すぐににこりと、貼り付けたような笑顔で、
「ごめんなさいね~、ここのフォークが、ぬるぬるしててねえ、とんでっちゃったのよ。そのせいで危ない目に遭わせちゃって、本当に申し訳ないわ~」
大声でそんな事を仰いました。
この方は……。
すると、こをろお嬢様は私の腕を取り立ち上がられます。
「あたしのはハプニングだから、まあそこまで気にしてないです。けど、その言い方はお店に失礼じゃないです? 全部食器綺麗だし、この、フォークもぬるぬるなんてしてませんけど?」
「はあ?」
こをろお嬢様の言葉に目を向いたお嬢様。
いえ、真由美お嬢様は、こをろお嬢様に怒りの形相で手を伸ばしたので、私が間に入らせていただきます。
「なに? 邪魔なんだけど。私はそこの子と話を……って、あんた、どこかで……」
「ここでは、白銀と申します。ご無沙汰しております。お嬢様」
間近で見て思い出しました。彼女は、佐野真由美さん。
中学生の頃の、想い人だった方でした。
『ごめんね、私、おじいちゃんはちょっと……』
そう断られ、その後、お友達と陰で、
『いやー、流石にない! ジジイだもん! あの子!』
と、仰られていたあの方でした。
佐野真由美先輩。
年齢は重ねていらっしゃいますが、勝気な眼は相変わらずですし、顔立ちも変わっていらっしゃらなかったので確信が持てました。
「……ふけ、くん。ああ、そう。そうなんだあ。ここでお仕事を……へえ~」
見定めるように私を見てくる真由美お嬢様ですが、今は、その時ではありません。
「真由美お嬢様」
「えーと……なにかしら、白銀」
「お席にお戻りください」
「はあ?」
「どうぞ、お席にお戻りください」
「……ジジイが偉そうに。分かったわよ。戻るわよ戻ります」
不機嫌であることを露にして真由美お嬢様が席にお戻りになられます。
「大丈夫でしたか? こをろお嬢様」
こをろお嬢様は真っ白な顔で私の腕を掴んだまま、じっと胸を押さえていらっしゃいました。
「う、うん……だいじょぶ。はは、いやあ、びびったあ……」
「ご迷惑をおかけしたお詫びに何か落ち着けるお飲み物をまずは用意しましょう。紅茶と珈琲どちらが……」
「ちょっとお! 白銀ぇ~」
その時、真由美お嬢様から声が掛かります。
「あ、私のことはいいんで、行って下さい。あの人、ほっといたら面倒くさそうだから」
「白銀、こをろお嬢様のお相手は私がしましょう。あちらを。困ったら、呼んでください」
そう仰る黒鶴さんにお任せし、真由美お嬢様の元へ。
黄河さんがうかがっているようですが、一向に聞く耳を持っていないようで。
「だからぁ、あんたじゃ話にならないからいいって。白銀に対応してもらうから」
「ですがっ……!」
「黄河。私がお相手しますので。他のお嬢様をお願いします」
私が近寄ると黄河さんは申し訳なさそうな顔をされますが、一向に気にする必要はありません。そう思って、出来るだけ目でお伝えします。
「わかりました。では、失礼します」
黄河さんはそれでも納得いっていないようでしたが、最終的には私に譲って下さいました。
何か言われるのではと心配してくださったんでしょう。黄河さんはどの執事に対してもお嬢様お坊ちゃんに対しても一番親身になられる人ですから。
黄河さんが事務所の方へ向かうと、私は真由美お嬢様と向き合います。
「お嬢様、何か?」
「ああ、フォーク持ってきてくれない? さっきので落としちゃったから」
成程。先ほどの出来事でフォークがないのでとってきてほしいということでした。黄河さんに頼んでも良い事だとは思いますが……ひとまず、私はフォークを持ってきて差し上げます。ですが、真由美お嬢様に渡した瞬間に、不自然な手の動きでまたフォークを落とされます。
「ごめんなさいね、ちょっと他の執事にも白銀にも強く当たられたから動揺して」
「然様でございますか。もう一度持ってまいりましょう」
にこにことこちらを見ながら謝る真由美お嬢様。
私は気にせずに、今度はカトラリー入れのままお持ちします。
ですが、
「ああ、また! ごめんなさいね」
再び落としてしまいます。
私が、真由美お嬢様のお顔を見ると、やはり笑顔で。
その意図を理解した私に、嬉しそうに尋ねて来られます。
「どうしたの? 白銀、何か言いたいことが?」
「ええ」
言いたいことがあるなら言ってみろ。お客様に。
そう仰りたいのでしょう。
お客様は神様という考え方が古くからあります。
ですが、
「『お客様』、どうぞお帰りを。返金は受付で致しますので、どうぞ」
私が、そうお伝えすると、お客様はぴたっと止まってしまいます。
聞こえなかったのでしょうか?
「……は、はああああ!?」
ああ、よかった。聞こえていた様です。
ですが、ご理解いただけなかったようなので、簡単にではありますが、付け加えておきましょう。
「お客様の言動等から、【GARDEN】のお嬢様としてお迎えするのは難しいと判断させていただきました。どうぞお引き取りを」
「はあ? それが客に対する態度!?」
先程までの笑顔は消え失せ、真っ赤になって騒いでいます。
「いえ、そもそもあなたは……」
「ああー! もううるさいうるさい! なんなの! この店ぇえ! 客に対して口答えするとか本当にありえないんだけど!」
「お嬢様、いかがなされましたか?」
千金楽オーナーがやってこられます。
黄河さんが一緒という事は先程迄の状況報告をされていたのでしょうか。
「ああ、オーナーさん! ちょっと聞いてよ! このジジ……執事が!」
ジジイと言いかけましたね。まあ、かまいませんが。ジジイですし。
お客様は、先ほどまであって出来事を、自分が被害者であるかのように話していきます。
千金楽さんはそれに耳を傾け、聞き終わると、うんうんと頷いてお客様の方を向いて、
「なるほど……かしこまりました。では……態度を改めるおつもりがないのであれば、貴方のご帰宅を今後禁止させていただきます」
そう言いました。
「な……!」
「白銀、【GARDEN】としての考えをこちらの方に伝えてください」
「例えば、お店にご来店されるお客様をcustomer、顧客と言います。顧客とは顧みる客、つまり、店を振り返ってみてくれる大切にして下さる方の事です。そして、顧みたいお客様の事です。本来、双方が思い合うことが大切なのです」
【GARDEN】ではご帰宅時に簡単なレッスンという名の注意事項の確認を行わせていただいています。これは千金楽さんが『ルールも守れねえヤツは客として見なくていい』と仰って生まれたもので、他のお嬢様お坊ちゃんのご迷惑になるような方、もしくは、【GARDEN】を不当に貶めようとする人間には遠慮しなくていいという事でした。
『俺は、お客様がみんな神様だと思ったことはない。崇めたくなるくらい素晴らしいなら、神様と思ってもいいけど』
そう言って笑う千金楽さんの顔は今でもはっきり覚えています。
「少なくとも今の状態では、お嬢様として【GARDEN】でお迎えするのは難しいと考えます。なので……」
「うるっさいわね!」
お客様はこちらの言葉を遮り、執事達を睨みながらスマホを取り出しこちらに見せつけてきます。
「いいのね!? 後悔するわよ! 客にこんな仕打ちをして! こんなことされたってSNSに流してやるんだからね!」
「……私達の誇るべき『お嬢様』達は、マナー良く、一生懸命に生きていらっしゃり、そして、他人を貶めるような下品な行為は致しません」
「……!」
「本当に良いものであれば、ずっとお越しくださる方たちがいらっしゃって、それだけでやっていける。互いの花が咲けるよう、欲張らず、欲しがらず、この場で一生懸命輝き続けようと努力する。それが【GARDEN】です。お引き取り下さい」
真由美さんが私の後ろを見回しています。恐らく、お越しいただいているお嬢様やお坊ちゃんに見られているのでしょう。
正しくある。
それはとても難しい事で誇らしい事です。理不尽なことが多い世界で、せめてここだけでも正しくありたい。私はそう思います。
形勢が悪いと見たのか、真由美さんは鞄を手に取って、私共を睨みつけます。
「【エデン】に行くわ! 二度と来るか!」
そう吐き捨て、去って行かれる真由美さん。
残念ながら、再び来られることはなさそうです。
そんな大股でどんどんと歩いていく真由美さんにこをろお嬢様が声を掛けられます。
「お姉さん……あたし、動画配信者なんだけど、さっきのやりとりも声が大きかったから音声入っちゃってるからね。私はマナー守ってるから勝手に配信したりはしないけど、お姉さんが何かやるって言うんなら、証拠として提出はするからね」
真由美さんはちらりとそちらを見て、足早に去って行かれます。
そして、ふわっと弛緩した空気が流れます。
「皆様、本日はお騒がせ致しました。今後も【GARDEN】はお嬢様、お坊ちゃんに楽しい時間をお過ごしいただけますよう誠心誠意お仕えさせていただきますので、どうぞよろしくお願い致します」
そう言って頭を下げる千金楽さんに、お嬢様・お坊ちゃんは拍手を贈って下さいます。
これが【GARDEN】の在り方。
此処で働き続けたい。此処を守りたい。
その為に、一生懸命お嬢様、お坊ちゃんに、正しく尽くす。
悪意に負けないように。
「白銀さん! かっこよかったです! あの人が何書いてくるか分かりませんけど、私は良い所だってちゃんと書きますから」
「悪い嘘なんかかき消してやるくらいにしましょうよ」
そんな言葉が飛び交います。ありがたいことです。
ですが、
「どうぞ、忌憚なき評価をお願いいたしますね」
「「「「「「「「「「「あ、はい」」」」」」」」」」」
急に落ち着くフロア。
え? 私、何かやってしまいましたか?
と、少し戸惑った瞬間、どっと皆様が笑い始めます。何故?
「それでこそ白銀ね!」
「色目使わないのが色っぽいわあ」
「勿論よ、質が落ちたら注意してあげるんだから覚悟なさい」
「でも、今は良いものだからみんなに伝えたいのよ」
「これはね、私達の戦いなのよ。『本物』を生き残らせたいっていう」
お嬢様達が口々に仰ってくれる言葉は、思い遣りもありながらも厳しい優しさもあって……。
「お嬢様。お嬢様達にお仕え出来て、白銀は幸せな執事でございます」
「「「「「「「「「「「あ、はぃ……」」」」」」」」」」」
零れる微笑みを抑えきれず幸せな気持ちのまま、お嬢様達に感謝の言葉を伝えると皆様俯いてしまわれました。
『キモかった』んでしょうか?
「白銀ぇ~、ちょおっと、君は下がろうか……?」
千金楽さんが笑っているのに、笑ってないです。
そうですよね、笑顔は抑えろと言われていたのに、また、失敗してしまいました。
これだから、ジジイは忘れっぽくていけませんね。
忘れてはいけないものもありますからね。
大切なものは心に刻んでおかねばなりません。
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