4 魔物
「どう思う?」
「どうって?」
「決まってんでしょ。子供を襲った魔物の正体、考えてることは一緒でしょ」
「ディアル様か」
落ち葉の絨毯に音の足跡を付け、一面の緑に目をこらす。
乱雑に生えた木々の隙間に子供の痕跡を見逃さないように。
「ないと思いたいけどな。守護精霊が子供を襲うなんて」
「自分を忘れた恩知らずな人間に怒ってるのかも。自分が消えないように人を食べることを選んだ可能性だってあるわ」
「あり得る話だな」
実際、その手の伝承は各地でよく見掛ける。
元は善なる存在が、人の行いによって悪へと墜ちてしまう。
「もしディアル様が反転してて子供を襲ったなら……始末をつけないとね」
「村の人たちがディアル様を覚えていればこうはならなかったはずだけど。正直な話、しようがないって思っちまうな……」
俺も、故郷にいる人たちも、それほど信心深い訳ではなかった。
神を信じるのは正月と受験シーズン、それから腹痛でトイレに駆け込んだ時くらい。
故郷に守護精霊がいたら、いったいどれだけの数が消えていたことだろう。
俺が村の人たちの立場でも、きっとディアル様を信仰しなかった。
「――今の聞いたか?」
会話の最中、微かに聞き取れた音。
落ち葉の絨毯を渡るようなものだった。
「どっち?」
「あっちだ」
周囲を警戒しつつ慎重に音が鳴ったほうへ。
今度は枝が折れるような音が鳴り、疑いは確信に変わる。
この先になにかいる。
「お願い! 助けて!」
「――まだ生きてる!」
子供の声を聞いた瞬間、俺たちは駆け出していた。
木々を躱して駆け抜け、三木の影から子供の姿を確認する。
同時に、その側にいる魔物の姿も。
「あぁ、くそ。最悪だ」
雄々しい角。髭のように伸びた毛並み。禍々しい出で立ち。
木彫りのディアル様とはかなり印象が違っていたが、鹿に似たその姿はまさにディアル様そのもの。悪い予感があったってしまった。
「子供の安全が第一!」
「わかってるっての!」
幾つにも枝分かれした角が振り上げられ、子供に向かって振り下ろされる。
幾つにも束ねられた剣が一斉に振るわれたかのような攻撃を、子供が躱せるはずがない。
でも、大丈夫。こっちにはシーナがいる。
「バリアクラフト!」
囲うように現れた結界が、角の一撃から子供を守る。
まさか攻撃が弾かれるとは思わなかったのだろう。
驚いた魔物は怯んだように二歩三歩と後退る。
その間に割って入るように立ち、少年を自分の背で隠した。
「この子は私が」
「俺は魔物を」
シーナが子供を抱えて戦線から離脱。
それを魔物が追わないように、こちらに注意を引きつけるべく魔法を発動した。
「ホロスコープ」
この手に集う星々の光。
「蟹座」
形を成すのは一振りの刀。
天に掲げられた角の一撃が振るわれる。
それに真っ向から立ち向かい、描いた軌跡が片角を落とす。
「星の刀だ」
刀身を翻し、もう片方も斬り落とす。
悲鳴を上げた魔物に残された武器は蹄だけ。
立ち上がり、前脚の蹄が繰り出されるのを躱し、距離を取る。
魔物は興奮した様子で、前脚で何度も地面を蹴っていた。
「なにしてんのよ。いま仕留められたでしょ」
すこし離れた位置からシーナの声がする。
「正気に戻ると思うか?」
「もう無理よ」
「……だな」
星の刀を握り直し、落ち葉の絨毯を踏み締める。
瞬間、魔物は前脚で踏ん張り、切り落とされた角を再び生やす。
復活したそれを槍に見立て、繰り出される突進。
それを上空に跳ぶことで躱し、魔物が真下を通り過ぎていく。
そして角が木の幹に突き刺さった。
「悪いな」
落下の勢いを乗せて星の刀を振り下ろし、その胴を断つ。
二つに分かたれた魔物は絶命して倒れ伏し、その場を赤く染める。
「討伐完了」
星の刀を光に返し、死体を見てため息をつく。
やるせない気分だ。
「終わったわね」
「あぁ、その子に怪我は?」
「自分の足で歩けてるし、大丈夫そう」
「なら良かった」
この子の弟も喜ぶ。
「それにしても、よく無事だったな」
弟のほうは大怪我してたのに。
「えっと、あのね。ディアル様が助けてくれたの」
「ディアル様が? ん?」
魔物の死体を一瞥する。
「あれがディアル様じゃないの?」
「違うよ。ほら、そこにいる」
指差す先。
視線をそちらに向けると、乱雑に生えた木々の隙間にそれを見る。
雄々しい角、髭のように伸びた毛並み、神々しい出で立ち。
思わず雑嚢鞄に手が伸び、木彫りのディアル様と重ねてしまう。
「そっくりだ」
「なに? じゃああの魔物はただ似てただけ?」
「……みたいだな」
「間抜けな話もあったもんね」
「まったくだ」
でも、どこかほっとしている自分がいる。
信仰を失ってもなお、自身が消えかかってもなお、人を愛し土地を愛していた。
そのことが凄く嬉しく思えた。
「あ、行っちゃった」
ディアル様は子供の無事を確認すると、その場からいなくなった。
引き継ぎは俺たちに任せてもらおう。
「帰ろう。キミの弟が待ってる」
§
「兄ちゃん!」
「ポール!」
魔法による治療によってすっかりと怪我が治った弟が兄を抱き締めた。
怪我を負った弟を身を挺して守り抜いた兄。
兄弟愛が成した偉業に、この場の誰もが胸を打たれていた。
「ありがとうございます。まさか本当に連れ帰ってもらえるとは」
「礼ならディアル様に言ってください。あの子を助けた」
「なんと……そうですか。ディアル様が……」
村長は喜び合う兄弟を見て目を細める。
「遠い昔の話ですが。実は私も幼い頃ディアル様に助けられたことがありましてな。恥ずかしながらこの歳になるまで恩返しが叶いませんでした。今がその時なのでしょうな」
村の行く末と、ディアル様がどうなるかは、今の村人たちに掛かっている。
結末が決まる時、俺たちはこの村にいないけれど。
きっとすべてが上手くいく、そんな気がする。
「さて、報酬ももらったし、今日はこの村に泊まるか」
「そうね。もう日も傾いてるし、お腹空いたし」
「露店でなにか買ってくか。郷土料理がいいな」
「いいわよね、郷土料理。当たり外れがあるけど、それも楽しいわ」
この村の郷土料理はどんなものだろう?
物資調達の際は日持ちする食糧ばかりに気を取られていたから、もう一度露店を巡ってみることにしよう。
「お二人さん」
「ん? あぁ、お婆さん」
木彫りのディアル様が並ぶ露店で足を止める。
「村の子を助けてくれたんですってね、ありがとう。そのお礼と言ってはなんだけど、一つ良いことを教えて上げましょう」
「良いこと?」
「あれは私がまだ子供だった頃、一度だけ見たことがあるの」
「いったい何を?」
「金色の鳥。探検家なら秘境を探しているでしょうと思ってね」
それは黄金郷に繋がる手掛かりだった。
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