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92.その頃のマリア

 パッショニアを出てから早五日。国境はとっくに越えて、スプリニアの王都からほんの少しだけ離れた田舎町を、私達を乗せた馬車は走っていた。今日はざあざあと雨が降っているため馬車の進みも悪い。


「体調はいかがですか?」

 私がヒューゴ様の奥様であるソフィア様に問うと、彼女はにこり、と笑ってええ、大丈夫です。と返してくれた。が。


 ーーーこれは、どう見ても具合が悪いわね。


 当たり前だ。おそらくもういつ産まれてもおかしくない周期に入ったはず。ただでさえ妊婦にこの揺れはキツいだろうに。もう五日間揺られっぱなしなのだ。

「…一度休みますか?宿を探して参りましょうか?」

 馬車の窓から外を見渡して、いくら田舎とは言えど宿がありそうなのを確認して私は問いかける。

 私の言葉にソフィア様はホッとした顔を見せた。足のむくみもひどい。一度ゆっくりと横になれる環境が必要だろう。


「申し訳ありません。マリアさん。最初の私の配慮が足りな…」

 ヒューゴ様の声に、私はソフィア様に気付かれないようにそっと人差し指を自分の口元に当てて、何も言わないように促す。

 そう、今回奥様が人質となっていたことは、ヒューゴ様は奥様に伝えていない。妊婦さんにそんな情報は伝えないほうがいいという、お嬢様の配慮だった。


 ーーーもし言うとしても数年後に笑い話でするくらいで丁度いいわ。


 自分が人質の解放のために犠牲になったというのに、あの慈悲深さはどこから来るのだろうと思う。溜め息が出そうになる。

 願わくば、メリーの宮殿で酷い扱いをされてなければいいけれど。小さな小さな頃から見てきた私の可愛いお嬢様。いつまでも箱入りで大事にされていて欲しいのに。


 

「ーーーそれではここら辺で一泊しましょうか。あと二日もあれば王都に着きますからそこまで急がなくてもいいでしょう」

 私は宿の手配のために馬車を降りた。

 


 宿が見つかり、ヒューゴに支えられるようにして奥様が部屋に入っていくのを見届けてから、私は自分の部屋に戻った。だいぶキツそうだったが、大丈夫だろうか。

 荷物を置き、ベッドに腰掛ける。


 その時だった。


「マリアさん!!!!マリアさん!!!」

 ノックもせずに血相を変えたヒューゴ様が私の部屋に入り込んできた。平素冷静な彼がこんなことをする理由など一つしかない。まさか。

「妻が!何かいきなり水のようなものが大量に溢れてきて…っ!わ…私はっ、どうしたら!!!」


   

「ヒューゴ様!」

 慌てるヒューゴ様を一喝する。

「慌ててはなりません。破水です。宿の受付で温かい湯とタオルを沢山部屋に運ぶように言ってください。それから鋏と紐も。その手配が終わったらヒューゴ様は医者か産婆を探して連れてきてください。いいですか?慌てないで」

 私の言葉にヒューゴ様はこくこくと頷いてくれた。そのまま駆け出していく。頑張れお父さん!

 それから急いでソフィア様の元へ行くと。

「マリア、さん」

「ソフィア様。どうですか?陣痛は来ていますか?」

 ベッドにしなだれかかるように床に座り込んでいる彼女は小さくこくん、と頷いた。

「うぅぅ…っ」

 お腹を押さえて陣痛に耐えている様子から、思ったよりお産の進みが早そうだと察知する。


「失礼します!どなたか産気付いたと!タオルと湯と言われたものをお持ちしました!他に必要なものはございませんか??!」

 背後から声がして振り向くと、ここの宿の主人と使用人が両手に大量のタオルと湯を抱えて持ってきてくれたところだった。


「とりあえずそれがあれば大丈夫です。主人、すみません。ベッドは後ほど弁償しますので、夫人をここに乗せてもいいでしょうか」

 私が問うと何をおっしゃいますか!こんな一大事に!ベッドのことなど気にしないでくださいと言う寛容な言葉をくださった。

 ソフィア様をベッドの上に乗せる。

「…ぅぅ…っ」

 秒数を数える。明らかに陣痛の感覚が早い。

「ソフィア様、落ち着いてください。いきみたい感じはありますか?」

 こくこくこく、と泣きながらソフィア様は頷く。


 あらら…初産だと言うのにこの速さ。もしかしたら医者や産婆は間に合わないかもしれないわ。

「ぅぅう…ああー!」

 陣痛の痛みでソフィア様が声を上げる。

「大丈夫。まず呼吸を整えて。力を入れないで」

「無理…っ!無理無理無理無理です!!」

「大丈夫よ。私に合わせてゆっくり呼吸して。大きく吸って、浅く息を吐いて」

 私に合わせてソフィア様がはっはっはっ、と息を吐いてくれる。

「そう、とっても上手。そのまま呼吸して。次の陣痛が来たら一旦軽くいきみましょう」

「はっ、はっ、はっ、ーーーー!!!!ぅぅあああああ!」


 赤子の頭が出てくるのが見えた。早い!でも、大丈夫。これならとても安産だわ。

「次の陣痛で、赤ちゃんを取り上げますからね!軽くいきんでください!大丈夫よ、ソフィア様!!」

 大きな声を掛ける。ソフィア様が泣きながら必死に頷いてくれる。

「っっ!!!ぅああああーーー」

 ひときわ大きな声を出したソフィア様と同時に。



「ーーーーふ…んぎゃ、おぎゃ、おぎゃぁぁっ」

 ーーーーー小さな小さな、でもとても力強い命が誕生した。



「産まれ…たの、ですか?」


 呆然とした声が聞こえ、そちらを振り向くと入り口のところに雨でびしょびしょに濡れたヒューゴ様と、産婆が立っている。

「ええ、とてもとても可愛い男の子です。おめでとう、ヒューゴ様、ソフィア様」

「…えっ、ま、マリアさん?」

「えっ」

「ど、どうされたんですか?その」

「ああ、気にしないでください。ちょっと感動しちゃって。産婆様、鋏と紐がありますわ。処置をよろしくお願いいたします」 

 

 ――――私は泣いていた。

 込み上げてくるものを何故か押さえきれない。そのとき頭の中に浮かんだのは、お嬢様のこと。私が初めて会った時の。私の人生を変えてくれた、お嬢様。まだ幼い子どもだったお嬢様。


 産婆様のその後の適切な処置により、お産は事なきを得た。

 たくさんたくさん感謝されたけれど、私は何もしていない。頑張ったのはソフィア様と、赤ちゃん。それから各所に適切に連絡をしてくれたヒューゴ様。きちんと処理をしてくれた産婆様。



―――――

 夜になり、私は自室で一人静かにお酒を飲んでいた。蝋燭の火がジジジと音を立てながら揺れているのをぼんやりと見つめる。昼間の喧騒が嘘のように静かな夜だった。ざあざあと降っていた雨は今は小康状態になっている。

 時折隣室から可愛い可愛い弱弱しい新生児の泣き声が聞こえる。ふふ、と笑いたくなるような可愛さだ。

 

 そして思い出していた。十七年前のことを。

 交渉団を逃げるように飛び出し、あてもなくただ毎日酒場へ行って飲んだくれて廃人のようになっていた自分のことを。


「――――あの時も、雨が降っていたんだったわね」



某とりさんの名前のドラマ参考にしました

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