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85.虎穴に入らずんば虎子を得ず

 奥方たちの解放はあっさりと終わった。そのまま私たちもさよーならーとしたいところだけれど、奥方たちが無事に帰るまでここにいないと、帰路の途中に奥方たちの命が狙われてしまったら大変だからね。

 奥方たちはヒューゴの奥様も含めてやはり六人だった。

 いくら好待遇とはいえ、三週間近く家を空けているのは不安だったのだろう。ほとんど全員が帰れると知って残念そうにしながらもほっとした顔を見せていた。 


 ヒューゴの奥様はとてもとても小さくてかわいらしい人だった。あんなことがあってね、こんなお菓子をいただいてね、と楽しそうに話す奥様を見つめるヒューゴの目がとてもとても優しさと安堵に溢れていて私も思わず泣きそうになる。おそらくなにもなければ力いっぱい抱きしめてあげたいだろう。うん、帰ってから存分にそうしてあげてね。


 奥方たちの帰路の手配はヒューゴがすると名乗り出てくれた。エリクソンと呼ばれる側近が「いや、それは私たちが…」とやめさせようとするのをもう一人の側近、ハリスが「もういいだろう」と止めていた。

 なんとなくの勘だけど、ここで手を引くのじゃないかしら。おそらく帰りの道中は安全なものとなるでしょう。

 私たちが乗ってきた馬車にマリアとヒューゴと奥様。それとは別にヒューゴが事前に申請を出していた大きめの馬車がもう一台到着し、残り五名の奥方たちがそれに乗り込んでいく。このまま王都にあるスプリニアの大使館に行き、各奥方たちに馬車一台ずつと複数名の護衛を付ける手筈を整える予定だ。



「それでは、マリア、あとはお願いね」

 馬車の中に座るマリアに声を掛ける。ヒューゴの奥様の手前、詳しくは言えないのがもどかしいのだろう。泣きそうな顔で頷いてくれた。

「あなたはスプリニアまできちんとヒューゴ様たちを送り届けて」

 一応親しい仲と勘違いされないよう、ここではヒューゴに敬称をつけさせてもらう。

「わかってます。お嬢様、くれぐれも…」

 それ以上言葉を続けてはダメよ、と私は人差し指を口に当てる。平素は思慮深いマリアがうっかりなにかを口走ってしまいそうになっているのを見ると、相当不安なのだろうと思う。

「大丈夫よ。楽しむわ」

 マリアに向かって笑って見せる。

「ヒューゴ様も。奥様も道中気を付けてくださいまし。もしお子様が産まれたら、後日ご挨拶に伺ってもいいでしょうか?」


「はい。ぜひ」

「もちろんです」

 この令嬢は誰だろう?と思いながらもヒューゴの奥様が満面の笑みで返してくれているのに、ヒューゴが泣きそうな顔になっている。余裕がなさそうなのに、それでもきちんと敬語にしてくれてる。大丈夫よ、心配しないで。ヒューゴにも言外に告げて笑ってみせる。


「それじゃあ、出して頂戴」

 私が号令を掛けないと、いつまでも馬車が出なさそうだ。御者に声を掛けると、馬車はゆっくりと走り出した。不安そうな二人の顔がどんどん遠くなっていく。



 ――――さあ、これからが戦いよ。

 馬車を見送った後、私は後ろを振り返る。レイがメリーに腕を組まれている。メリーからは完全に敵扱いされているわね。側近の二人が厳しい目で私を見ている。それ以外の護衛の人間も、決して友好的とは言えない視線だわ。

 ふふ、完全に孤立状態!

 

 でもレイだけが私に違う視線を向けてくれている。その目が言ってくれている。何があっても味方だと。

 それだけでこんなにもこんなにも心強い。


「ハリス、サラとやらを馬に乗せて謁見の間へ連れてきて頂戴。お父様がお呼びだわ。一応そこの娘も国賓という扱いらしいし。私とレイモンド様は馬車で先に向かっているわ」

「かしこまりました」

 しょっぱなからなかなか香ばしい扱いだわね。

 まあ、でもそっちのほうが私にとっては好都合よ。国賓をこんな扱いしたって知ったらエドワード陛下、怒るだろうなぁ…

 そんなことを考えている間にレイはメリーに引っ張られるようにして馬車に乗り込んだ。私に対してそんな視線向けちゃったらメリーが怒るわよ、と苦笑したくなるほど最後の最後まで私しか見ていなかった。

 馬車が出発し、他の護衛も共に走り出すと、私とハリスだけ取り残された。


 私は彼にきちんと向き直り、スカートの裾を摘まんで淑女の挨拶をする。

「ハリス様、よろしくお願いいたします」

 私がきちんと挨拶をすると、彼は一瞬戸惑ったようだった。

「乗ってください。国賓にこのような扱いをして、気分を害されたでしょう。申し訳ございません」

「とんでもありませんわ。一度レイモンドから馬に乗せてもらったことがありますの。その時の爽快感が忘れられなくて。機会があればもう一度乗りたいと思っておりましたから、私には願ってもないことですわ」

 ああ、でも、と私は言葉を続ける。

「もしよろしければ、先に乗って私を引き上げてくださらないかしら。いつも上手に乗れないんですの」


「えっ」

「えっ」


 ハリスが驚いた声を出したことに私は驚いてしまう。

「わた、しも一緒に乗るんですか?」

「えっ?乗らないんですか?」

 質問に質問で返してしまう。

「いえ…あの、さすがに妙齢のご令嬢であるあなたと共に乗馬するわけには…」

「…共に乗っていたら、ハリス様は誰かから叱責されたりしますか?」

「いえ、そんなことはないとは思いますが…」

「それなら、共に乗りましょう?もし周りの目が気になるというのなら、王宮の手前で降りてくださっても結構よ。国王をお待たせするほうが失礼だわ。まぁ、メリー王女はそれが狙いでもあるんでしょうけれど。ほんと陰湿だと思わない?」


「えっ…」

 いきなりの砕けた口調とメリーの悪口にハリスが驚いている。無理もないわね。でも。この人は大丈夫そうだから。


「あなた、メリー王女のこと大嫌いでしょう?」

 私が笑いながら単刀直入に言うと、ハリスはうっと言葉に詰まった。意外だわ。嘘をつけないタイプの人ね。なんとなくエルグラントに似ているわ。

「メリー王女の側近である私にそんなことを言ってはいけません」

 うん、思慮深さもある。私の目に狂いはないわね。


「外交官の奥方のこと、ありがとう。…あなたがいろいろ画策して奥様達が危険な目に合わないようにあのような案を考え付いたのでしょう?あなたがさっき「もういいだろう」といって、ヒューゴにすべて任せた時とってもほっとしていたから確信したわ」

「な…にをおっしゃっているのか…」

「あなた、誤魔化すの、下手ねぇ」

 私は笑ってしまう。素直な人だわ。

「レイと親交の深い外交官の奥方を人質に取って、私たちをあぶりだした作戦のことよ。とても大胆で、一見短絡的で隙だらけに見えるけれど、実は緻密に計算されている。期限を設けたことも証拠を残さないことも。お見事よ」

「ちょっと、待ってください…思考が追い付かない…」

 とうとうハリスが頭を抱えだした。

「私たちは、外交官の奥方たちを開放するためにここに来たわ。そしてメリー王女を糾弾するために。レイが迷惑していること、あなたも気付いているでしょう?私たちはあの王女に邪魔されずにこれからものんびりと旅を続けたいの。あと二週間。二週間で私たちは片を付けるつもりよ」

 いまだ理解が追い付かない表情のハリスは顔面を蒼白にさせている。


「だから、ねえ、ハリス」


 ちょっぴり威厳を含ませて彼の名を呼ぶとびくっと彼の肩が跳ね上がった。

「…手を、貸してほしいの。返事は今すぐにとは言わないわ。あなたの主人はメリーだもの。私に手を貸すということは彼女を裏切るということ。相当の覚悟が必要よ。たくさん考えて頂戴。でも、もし今あなたがメリーの側近としての立場に少しも魅力を感じられないのであれば、私の元に来なさい。もしあなたがそう決断したなら――――」


 ハリスの目が揺れ動いている。いい兆候だわ。


「―――違う世界を見せてあげる。私ならあなたの能力を最大限に生かしてあげるわ」


 

 私の言葉に瞳をひときわ大きく揺らし、しばらくの沈黙ののちハリスが重たく口を開いた。


「…私はメリー王女の側近です。危険だとは思わないのですか…つまり今、あなたがした話を私がメリーにするとは思わないのですか?」

「思わないわ」

「なぜ」

「あなたは誠実な人よ。そして冷静に物事を判断し、それぞれの人間の立場や自分の分をわきまえている。仮に今私がした話をあなたがメリーに伝えたとしましょう。そうするとメリーは私を投獄なり処罰なりするでしょうね。でも、私たちは今国賓扱い。そんな相手を側近の言葉一つで投獄や処罰したとなれば国際問題だわ。大国ブリタニカを敵に回してただで済むわけがない。そこまであなたは考えられる人でしょう。…だからあなたは絶対にこの話をメリーにしない。まぁ、もう一人の側近、エリクソンはすぐにペラペラしゃべるでしょうけど」

 くすっと笑ってしまう。メリーを崇拝しているかのようなあの目。ちょっと気持ち悪かったなんて思っちゃってごめんなさい。


「先も言ったように返事は急がないわ。でも、このままではあなたも二週間後にメリーと共に今の立場を失う可能性が高いということは覚えていて頂戴」

「サラ…様とおっしゃいましたね。あなたは…一体何者ですか」


「手を貸してくれるんなら教えてあげる。―――話はここまでよ。さ、早く馬に乗って乗って。急ぎましょう」


 私の言葉に呆然としながらも素直にハリスは馬上へと上がってくれるのだった。

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