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9.イランニア入国

「わあぁああ…!!!」

「お嬢様!危ないです」

「サラ様、あまり顔を出すと危険です!」


 馬車が出発し、十六日目。ついに一同は国境を越え、そして、ここ、イランニアへと着いた。

 入国手続きを終え、大使館へと連絡を取る。国外追放された人間は国外へと出たことが確認されれば基本的にあとはどう動こうが自由だ。だが、本来の刑罰を受けていれば『自由』というより『見放す』という言葉の方が正しい。後ろ盾も何もないまま他国へ放り出された人間は大抵衣食住も何もなく、乞食として生きるか、うまく仕事にありつけても低所得のまま、極貧を強いられるかのどちらかだからだ。

 だが、サラの場合は、国王から到着した国に設置してあるブリタニカ大使館へきちんと連絡を入れるように言われている。冤罪が証明されれば即座に帰国できるようにとの配慮と、娘のように思っていたサラの直近の居場所と無事を確認しておきたいとの意向だった。


「ねっ!ね!海よ!海!すごいわ!産まれて初めて見たわ!」

 ブリタニカは内地の国だ。周りの諸国に囲まれており、海に面してはいない。対してここイランニアは国土の八割が美しい外海に面しており、海産物に関する産業が盛んな国として有名だった。

「何て美しいブルーなの。文献でしか見たことなかったけど、本当に空の色と同じなのね。深さで色が変わるのも何て素晴らしいのかしら」

 頬を紅潮させ、明らかに大喜びで馬車から乗り出すサラだが、マリアとレイはそれどころではない。馬車から落ちないように彼女の一挙一動に注視する。

「あっ!」

 不意にサラが大きな声を出して、レイに向かって振り向いた。その大きな声にレイが驚いたと同時にサラはそのほっそりとした白い両手を伸ばして、レイの顔を包み込み、そのまま顔を近づけてくる。まるでそのまま口付けでも出来そうなところまでサラから距離を詰められ、レイは狼狽える。

「なっ、サラ…っ、様???」

 突然の暴挙に、言葉が出ない。

「とても美しいブルーの瞳ね。レイの瞳と海の色、同じだわ!何て素敵!」

 興奮のまま一方的に告げたと思うとまた身を翻して窓の外へと身を乗り出す。

 頬にうっすら朱の色をさせたまま固まってしまったレイにマリアが憐れみの視線を投げかけてくる。それに気付いたレイは、視線だけでマリアに問いかける。



 ーーーこういうことですか、ゼロ距離。マリアさん。

 ーーーそういうことです。レイ。

 

 同じように視線で返され、レイははぁあぁ、と大きなため息を吐きたくなるのを堪える。



ーーーーーーー


 心臓がこのままでは持たない…

 女性からの熱い視線や、好意というものには慣れていたし、やり過ごすことも平気だったはずなのに、サラ様相手だとそれが途端に難しくなる。

 開け放たれた窓から入る潮風が熱い頬を冷ましてくれるのが救いだった。

 相手は十六だ。七つも下の、淑女というよりも令嬢という言葉の方がまだ似合う少女だ。恋愛感情などではないとは思うのだが、どうにも触れられたり、笑顔を投げかけられたりすると心が疼く。

 ここ数日の馬車の旅で、サラ様という少女がどういう人間なのかを見てきた。知れば知るほど魅力的な女性だと思う。少なくとも私の知っている、手当たり次第良物件の男性に秋波を送り続けるような貴族令嬢の類ではない。人を見下すこともしない。

 御者にも毎朝声を掛け、市場があればお土産と言って差し入れをしょっちゅうする。疲れてない?と頻繁に声をかけ、馬車を降りるときも毎回礼を欠かさない。

 マリア殿に対してもだ。侍女という立場の人間に傲慢に振る舞う令嬢を幾人と見てきた。召し物が気に入らないだけで当たり散らす姿や、支度に少し時間がかかっただけで怒鳴りつける姿を目にしたこともある。

 だが、サラ様は一切そういうことをしない。ドレスが汚れてしまっても、多少お髪が乱れても何も気にしない。

 ーーーだって人前に出るんじゃないんだもの。馬車の中にはマリアとレイしかいないのよ。そんな小さなことにあなたの時間を使わなくていいわ。

 愛情と感謝を口にすることも忘れない。

 ーーーマリアがいなければわたしは一人でドレスを着ることも出来ないのよ。嫌になっちゃう。マリアがいてくれないと困るわ、いつもありがとう。

 ーーーわぁ!このお菓子も持ってきてくれたの??マリア大好き!ありがとう!ほら、レイも食べて。とってもおいしいのよこれ!


 くるくると変わる表情と、周りへの気遣いは見ていて本当に快い。本当にこの方の護衛に任命されてよかった…と、同時に、私は先日の国王との謁見を思い出す。

『陛下、私はーーーー』

 そこまで思い出して頭を振る。それでも構わないと陛下が仰ったのだ。ならば、自分は与えられた権限の中でサラ様を守るのみだ。


 思考の海に潜っていた私を引き戻したのはサラ様の声だった。


「ねえ、レイ?」

「はっ!」

 思わず返事をしてからしまった、と思う。馬車に揺られて二日目くらいだったか。その返事の仕方をやめてくれと言われたのを忘れていた。

「あっ、す、すみませんサラ様。なんでしょうか」

 言い直したことにくすくすと目の前の少女が笑う。

「ちゃんと言い直したわね。よろしい。その返事したら次はレイにお菓子奢ってもらうからね!」

 ーーーそんな可愛い罰ならいくらでも受けますよ。心の中で思ったことは伏せて「承知しました」と返す。

「あのね、この先に港町があるらしいの!それで、今日はそこに泊まろうと思うんだけど、いいかしら?」

「もちろんです」

「それからね、いま市場が出てるらしいんだけど、宿を取って着替えたら、三人でお出掛けしたいな、って思って」

 どうかしら?と伺いを立ててくれるサラ様に笑ってしまう。伺いなど立てずとも、「行くわよ」と言えばいいし、通常の令嬢ならそう言うはずなのに。でも、そうだ。サラ様はそういう令嬢だ。

 思わず楽しくなって、くしゃりと笑ってしまう。





「行きましょうか。俺、ここの港町のおいしい屋台知ってるんですよ」

 


………



……………




 ………………しまった。汗が一滴背中をつーっと流れていくのがわかった。恐る恐る顔を上げると、サラ様とマリア殿がぽかんとして目を丸くしてこっちを見ていた。


「し、…っ、つれいいたしました!!!つい!」

 浮かれてしまった。今は護衛という任務中なのに。


「…レイ」

「はっ!大変失礼致しました。護衛中だというのに私は…気を引き締め直します」

 頭を思い切り下げる。なんてことだ。流石にいくら寛大なサラ様と言えどお叱りがくるだろう。

 だが、次にサラ様から発せられた言葉に私は目を丸くする以外の反応ができなかった。



「なんて素敵なの!なんていい日なの!?マリア!やっとよ!やっと!!」

「はいはい、良かったですね」

 なぜか両手に拳を握って喜びを爆発させているサラ様とにこにこと笑うマリア殿の姿に、私は理解が追いつかない。追いつかない、のに。サラ様はそのまま拳を解いて私の両手を取って、ぶんぶんと上下に張り出した。

「やっと、やっと素を見せてくれたわね!レイ」

 嬉しいわ、なんていい日なの!と未だ喜びを霧散させる目の前の令嬢に完璧に私は固まってしまった。

「だってレイってば、いつまでも自分のこと『私』っていうし、笑顔は固いし、自分は護衛なんだからって律してるし、せっかく旅に行くのにそんなガチガチになってたらいつか胃に穴空いちゃうわよ!」

  

 この…令嬢は。


「笑い方だって、今の嘘のないくしゃってした笑い方の方が何億倍も素敵よ!話し方だってもっとフランクに、そう、いつものあなた通りでお願い」


 本当に、…この、令嬢は。


「あ、違うわね。『いつも通り』のあなたじゃないわ」

 いつも通りだと、団長バージョンだものね。とサラ様は笑う。


「『素』のあなたで話してちょうだい」


 いとも簡単に心の中に入ってくる。


「またいつもの固い話し方に戻ったら、お菓子奢ってもらうからね!」



承知しました。思わず返しそうになった『固い』その言葉を飲み込んで、()はくしゃりと笑った。



「…そんな可愛い罰ならいくらでも受けますよ」


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