84.いざ敵地へ
二日でエルグラントが手配してくれた書物をすべて読み終え、私たちは急ぎ出立の準備を進めた。なにか有用な情報は見つかったのかって?うふふ、それは秘密。
まぁ、そんなわけで私たちは馬車に揺られてはや一週間。ついにパッショニアへと入国を果たし、メリーのいる王宮の門の前に立っている。
国境の入国管理局に入った時のパッショニアの人たちの驚愕に満ちた顔が忘れられない。おそらくメリーの命令はそこらへんにも出されていたのでしょう。レイと私がもしパッショニアに入ったら即座に王宮に連絡するように、とでもね。
その証拠に入国手続きを行う私たちの横を早馬が通って行った。
それからパッショニアのブリタニカ大使館へ滞在申請を出しに行ったりしているから、とっくにメリーの元にはレイと私が入国していると連絡が入っているはずだ。
まさか自分の元に直接乗り込んでくるとは思っていないでしょうけど。
――――さぁ、いざ敵地に乗り込んでやりましょう。
ここで、「たのもーーーー!!」とかやれたらカッコいいんだけど、まぁそれは貴族としてアレなので。王城の門兵にレイのアレを見せてもらうことにする。
そう、ブリタニカ王族の印璽と、エドワード国王陛下からの委任状。
「ここにブリタニカ国王からの書状と、印璽がある。差し出がましいお願いとは重々承知しているが、しばしの間国賓としてここの王城に滞在を願えないだろうか」
レイの申し出に門兵たちは大慌てで城内へと駆けて行った。
「なんでお前がそんなものを持っているんだ…?」
ヒューゴが首を傾げて訊いていたが、
「サラ様に何かあった時のために国王陛下から持って行けと言われた」
としれっと返している。うん、嘘は言ってない。言っていないけれど肝心なことも言っていない。
「その印璽は王族しか持てないだろう…?」
「サラ様は次期女王候補なんだから王族扱いでもいいってことなんだろう?俺は国王陛下の御心のままに動いているだけだ」
ヒューゴの突っ込みにもレイは素知らぬ顔で返している。
ま、王弟殿下ですけどねその人。がちがちの王族なんですけどね。
しばらくすると、城内の方から立派な馬車がこちらに向かって走ってきた。豪奢に誂えられたそれを見るところ、歓迎の意は表されたようだ。でもなぜかその周りを馬に乗った護衛が六人ぐらいいるんだけど…?
…まさか。一瞬嫌な予感が頭を過り、そして数秒後に私はその予感が間違っていなかったことを知る。
「レイモンド様ぁ!!」
馬車の窓から身を乗り出すようにしてこちらに手を振ってくるいかにも頭の悪そうな女性が一人。
「げ」
レイが隣で声を漏らし、私は噴出しそうになる。げ、てなによ。げ、て。
やがて馬車は私たちの目の前で停まり、護衛についていた馬から一人の男性がひらりと身を降ろしてすぐさま中から一人の女性をエスコートして連れてきた。なるほど、これがメリーね。赤色に近い髪の色に、薄いグレーの瞳。気は強そうだけれど確かに美人だし、…ちょっと私より胸大きくない?いや、まぁそれは置いといて。
レイとヒューゴが膝を折ると同時に私たちも一応の礼として頭を垂れ膝を折る。なんだかんだ言っても相手は王族。礼儀は尽くさなければならない。
「…ふうん」
ふうん、ってなによふうんって。もうそこから頭にくるけれど。
「レイモンド様、お顔を上げて?まさかあなた様から会いに来てくださるなんて思いもしなかったわ!ええと、あなたも。スプリニアの外交官ね。…よくやったわ。あとで褒美でもとらせましょう」
メリーの声にレイとヒューゴがまず顔を上げる。だが私たちはまだ許可を出されていないので顔を上げるわけにはいかない。ていうか、ヒューゴに対して褒美を取らせるって…私たちの眼前で言うなんて、本当に何も考えていないのね。ヒューゴが脅迫に負けて人質と引き換えに私たちを連れてきたと思っているのでしょう。そこは勘違いさせておくのが作戦だもの。それでいいわ。
…ていうかいい加減膝がプルプルするんだけど!!首が痛いんだけど!!まさかこのまま放置するなんてことはないわよね。
おそらくもう嫌がらせは始まっている。のぞむところだわ。
ここから先は化かし合い。見えぬところでの攻防戦よ。
「ヒューゴと久しぶりに再会して、メリー王女の元に参じるのでお前も付いてきてご挨拶しろと言われまして。私も我が国の令嬢の護衛という任務で長いことご挨拶をできていなかったので丁度いい機会かと思い、こうして馳せ参じた次第でございます。…恐れ入りますメリー・ダグラン王女殿下。もしよろしければ私が護衛をしている令嬢にご挨拶の機会を頂戴してもよろしいでしょうか」
レイがそれらしいことをいいながらメリーに掛け合ってくれる。メリーはフン、と鼻を鳴らしたが一応私のことは気になるのでしょう。許可するわ、といかにも偉そうに言ってくださいました!
「ご挨拶の許可をいただきまして、身に余る光栄でございます。此度は突然の訪問、まことにお手を煩わせてしまい申し訳ございません。ブリタニカ国ヘンリクセン公爵が長女、サラ・ヘンリクセンにございます。こちらは私の侍女を務めているマリアンヌと申します。家名は御座いません」
一応ね、予防のため。城勤めの中にはその職歴が長いものもいるでしょうから。マリアンヌ・ホークハルトというと交渉団初代団長とバレて、必要以上に私を警戒されることがあっては困るもの。まぁ、レイも現交渉団団長だから気持ち程度の自衛ではあるけれど。
マリアもそれは心得ているのか、無言で受け入れてくれる。
「顔を上げなさい」
ようやくメリーから許可が出て、私は改めて顔を上げて彼女の顔を見た。
わーお、敵意剥き出しぃ。こんなの久しぶりに見たわ。アースと婚約していた時に学園で何度かこういうのに似た視線を送られたことはあったけれど、我が家は公爵家。国内では王族に次ぐ立場。表立ってここまでの敵意を剥き出しにしてくることはなかった。
「サラ、と言ったわね。滞在するのは許可するわ。ただその侍女はどっかに返しなさい。目障りなコバエにちょろちょろ城内を動き回られるのは不愉快だわ」
「かしこまりました、お言葉のままに」
マリアをコバエっつったな!しかもどっかにってなによ。それだけで万死に値するわ。
レイとヒューゴもまた王女には悟られぬようにその目に怒りを灯していてくれたから少しだけ溜飲は下がったけど。
まぁ、でもこれでほぼほぼ思惑通りだ。マリアをヒューゴと共に帰らせるのも違和感はなくなる。
「メリー・ダグラン王女殿下。発言の許可をいただいてもよろしいでしょうか」
ヒューゴが声を上げた。
「許可するわ。なに?」
「まず、私の妻がこちらの城で手厚いもてなしをいただいていること、何ものにも勝る誉れと感じると同時に心より感謝いたします。ですが彼女も身重の身。産気づいてこちらにご迷惑を掛けるやもしれません。またあまりにもここでの暮らしが素晴らしいため、ほかの外交官の奥方もなかなか帰りたがらないというご様子。ゆえに私を含みます不肖の外交官の夫どもが家の中のことが回らぬと嘆いております。そして妻たちがすでにお世話になっているというのに、不躾にも新しい客人をお連れした非礼をお詫びいたします。ですがこちらのほうをよりもてなされてくださいませ。長旅を続けている者ですからきっとお心を楽しませる話なども聞けるでしょう。代わりにといってはなんですが、妻たちはそろそろお暇させていただこうと思うのですが」
ま、要約すると、「お前の望み通りの人物を連れてきてやったんだからさっさと人質解放して」だ。
ヒューゴがつらそうに言っているのがちょびっとつらい。友を売るような行為をさせてごめんね。
「ふうん。どうなの?ハリス。もういいの?」
メリーがハリスに尋ねる。にしても嫌な言い方するわね。「もういいの?」とはおそらく「もう使い道はないの?」ということだろう。
「はい、もうよろしいでしょう。中にはそろそろ帰省を望む奥方もいらっしゃいましたから。頃合いかと。では、奥方たちに帰り支度をするように申してまいります」
この人がハリス。屈強な体格に銀色の髪。レイより少し上ってところかしらね。淡々と喋るその口調はどこか冷たささえ感じる。
レイ達が言っていたようにメリーに傾倒しているわけではなさそうね。
……ふうん、なるほどね。




