81.エルグラント、発つ
「それじゃ今度こそな、いっときの間さよならだ、サラ嬢」
部屋を出る扉の前でエルグラントが私に振り返る。
「くれぐれも気をつけてね。感謝するわ、エルグラント」
「おう、健闘を祈る。何度もいうが絶対に無理だけはするなよ。絶対に絶対にだ」
必死なエルグラントに笑ってしまう。ふふ、本当にお父さまみたい。
「約束するわ。無理はしない。…だからエルグラントも約束を守ってね。春になったら、皆を花の美しい国に連れて行ってね」
「あぁ、約束する」
「…もう一度あなたにハグをしてもいい?エルグラント。あと、マリアも…いい?」
私がおずおずと尋ねると、二人とも優しく頷いてくれる。エルグラントが広げてくれた両手を確認して私はその胸に飛び込んだ。ほんと、このハグあったかくて優しくて癖になりそう。
「また、三週間後に会いましょう」
「ああ、三週間後に」
うん、大丈夫。きっと何もかもがうまくいくわ。そんな自信に溢れて、私はしばらくその腕の中を堪能したのちにエルグラントからそっと離れた。
「じゃあ、今度こそ、今度こそだ。またな」
エルグラントがニカッと笑いながら私たちに手を振り、扉の向こうへと出て行った。パタン、と扉が閉まった音に、いよいよもう引き返せない対決が始まったことをありありと思い出させられた。
ふぅ、と息を吐いて私は後ろを振り返る。と。
「れ、レイ?」
史上最強に面白くない顔をしているレイが目に入り、私はびっくりしてしまう。
「ど、どうしたの?」
「…ほんっと…子どもね…」
はぁ、と溜め息を隠しもせずマリアが頭を抱える。
「まさか…レイ嘘だろう?お前はそんなに狭量な男だったのか?…はっ!まさかさっきエルグラント殿がサラ殿にハグをする前に『妬くなよ』って言っていたのは…」
ヒューゴがまるで人間じゃないものを見るかのような顔でレイを見ている。
「ご明察ですヒューゴ様。ほんっと小さい男…」
「仕方がないでしょう?!俺だってこんな気持ち初めてで戸惑っているんですよ!」
「二十三…いや、もう二十四歳になるだろう?…おい、流石にそれはもうかわいいとかウブとか言えないぞ…ただただ気持ち悪いぞ…」
「なんだよ!じゃあお前は嫉妬しないのか?奥方が他の男と抱き合ってたら嫌だろう?!」
「どう見ても親子ほど年の離れた者同士で、親愛の情しかないハグを見てもさすがに嫉妬はしない」
「まぁ…そりゃそうだよな…いや!わかってるんだよ!わかってんだけど、…頭じゃわかってんだけど…」
レイの言葉がどんどん尻すぼみになっていく。ええ、となんかこの展開全然ついていけないんだけど…
「ねぇねぇ、ヒューゴ。なんの話?」
「あなたとエルグラント殿がハグをしたことにレイが嫉妬してるという話です」
「ヒューゴォォォ!!!」
モゴッと音をさせてレイの大きな手がヒューゴの口を塞ぐ。わ、わ、ヒューゴ苦しそう。
「嫉妬…?なぜレイが嫉妬をするの?」
「な、なんとなくですなんとなく!ヒューゴ!余計なことを言うな!」
「初恋拗らせると大変ねぇ」
「マリア殿だって拗らせてた癖に!!!」
んんん…レイが嫉妬??私とエルグラントがハグをしていたことで嫉妬???…それはつまり、羨ましいと思ってくれたってことよね?
「ふふっ」
私は嬉しくなって笑ってしまう。
「ありがとう、レイ。嫉妬してもらえるなんて、とっても光栄だわ。つまり羨ましいと思ってくれたのよね?……えっと、あの…じゃあ、私たちも、
…ハグ、する?」
して欲しいな、とおねだりの意味も込めて手を広げながら聞くと、レイが固まってしまった。
というか、レイだけじゃなくてヒューゴもマリアも固まっちゃったんだけど、私そんな変なこと言ったかしら?
「…ちょ、ちょっとマリア殿…助けてください…話がなんか斜め上の方に…」
「距離感と言いたいところだけど、原因を作ったのはあなただしここでお嬢様のお誘いを断って恥をかかせたら許さないわよ」
「なんで私は友のハグを見せられるんだ…拷問か?」
三人がこそこそ言っているけど、全く聞こえないわ。ていうか、なんか私一人手を広げて待ってるのってとても寂しいのだけど?
「…レイ?来てくれないの?」
「!!!!!〜〜〜〜っっ!!!!そういう、せり…ふは、自重してください!ーーーっ!ああもうっ!!!」
そういうと、レイが一気に私に対して距離を詰めてそうして手を伸ばしてぎゅううっと抱き締めてくれた。ふわり、といい匂いがする。この匂い、レイの匂い。私これ大好き。エルグラントとのハグの時とはまた違う意味での幸福に襲われる。
「ほんっと、どんだけ可愛くて愛らしいんですか!大概にしてくださいもう!来てくれないの?とかやめてください!行かないわけないでしょうああもう!軽率に理性を揺さぶるのもやめてください!俺があなたのこと大事で堪らないって言ったの忘れたんですか?!」
べらべらべらと捲し立てられるけれどごめんなさいレイ、この腕の中、心地良すぎてなんだかあなたの言葉頭の中に入ってこないわ。
「ふふっ、嫉妬、おさまった?」
「おさまりましたよもう。訳がわからないくらい吹っ飛びましたもう!」
なんでそんな怒り気味なのかしら?腕の中からレイの顔を覗き込むと案の定拗ねたような怒ったような顔を見せている。
「ほら!もう、早く三人とも行ってください!俺はここで待機して頭冷やしておきますから!」
レイはそう言って私をペリッと引き離した。えー、もう終わりなの?
「まぁ、そうね。なかなか楽しいけれど悠長にこの二人を見ている場合じゃないわ。私たちもそろそろ出ましょう。ヒューゴ様、お嬢様が目立たないように少し変装をさせて参りますので、レイと少しのあいだ別室で待っていてくださるかしら?」
マリアの言葉にヒューゴが頷いた。
「さぁ、それではいよいよ情報収集ね。ここから先はヒューゴ、あなたの力が必要よ」
私が意図を持って手を差し出すと、一瞬驚いた顔を見せたのちに、ふ、と表情を緩めてから私に向かって手を差し伸べてきてくれた。
ーーーふふ、紳士の握手。一度やってみたかったの。