79.ヒューゴ、知る
「だいたいの日程は把握しました。…でもすみません、マリア殿を連れていかないことにやっぱりまだ納得はできません」
レイが苦しそうな声を出す。
「…サラ殿」
今までほとんど沈黙していたヒューゴから呼びかけられ、私は彼の方を見る。
「なに?ヒューゴ」
「…私の妻を救ってくださるためだから、こんなことを言うのはおかしいかもしれない。…だが、あなたが単身になるのはあまりにも危険だと思う。マリア殿を連れて行くことはやはり不可能なのだろうか」
「…もちろん私を一人にして囮に使いたいのも本音よ。でも、もう一つとても大きな懸念があるわ。…あなたの奥様が馬車内で産気付くことよ。春には産まれると言ったわね?ということは近々臨月に入るのでしょう?そんな中の馬車での長旅。あまりにも危険だわ」
「だが…」
「マリアは医学の心得もある。応急処置ができる人間とそうでない人間がいるのでは大違いよ」
「それならば、旅に同行する医者を付けるのはどうだろうか?」
ヒューゴの提案に私は首を横に振る。
「うまい具合に時間が空いている医者が見つかればいいけれどこの短期間ではおそらく不可能だわ。それよりももうアレン家にはマリアありきで作戦を立てないと」
そうか…とヒューゴも沈黙してしまう。皆ありがとうね。心配してくれて。
再び誰も話さず皆の間に沈黙が流れようとしたときだった。
「おい、皆」
エルグラントが急に声を出し、皆一斉に彼の方を見る。あまり、見たことのない厳しい目をしたエルグラントがそこにいた。そして、彼が次に発した言葉に全員が驚きを隠せなかった。
「…サラ嬢を信じられないのか?」
エルグラントは鋭い眼光で私以外の三人を睨め付けながら言葉を続けた。
「そうだな…ヒューゴはまだわかる。サラ嬢がどんな人間かを把握していないからな。だが、レイにマリア。お前らは今までサラ嬢の何を見てきた?知り合って数ヶ月の俺が、この嬢の言うことは間違いないと確信しているんだ。俺より付き合いが長いレイ。サラ嬢を小さな頃から見てきたマリア。なんでお前らはサラ嬢を信じない。サラ嬢が大丈夫だと言っているんだ。大丈夫に決まっているだろう」
エルグラントの言葉にレイもマリアも言葉が出ない。
「もちろん心配な気持ちはわかる。俺だって本音を言うと、サラ嬢がメリーのところに行き、単身になるのは不安が大きい。だが、思い出してみろ。この嬢が予想したことが外れたことがあったか?俺たち団長格の人間ですら想定しない事態を複数考え出し、どんな状況にも順応できるように先手を打ってきたのを見てきただろうが」
エルグラントが言葉を続ける。
「…信じろよ。サラ嬢が大丈夫と言ったら大丈夫だ。間違いない」
「エルグラント…」
思わず彼の名前を呼んでしまうと、私を見返してとびきり優しい笑顔をエルグラントがくれた。
「俺は、信じる。サラ嬢を。レイ、マリア。お前たちはどうなんだ??お前らが納得しない限りサラ嬢は動けない。腹括る時は括れ、時間がないんだ」
…
…
沈黙が流れる。
エルグラントの問いに、レイもマリアもしばし俯いたままだったが、やがて顔を上げてしっかりと頷いてくれた。
「…わかりました。腹、括ります」
「…わかったわ」
二人の答えにエルグラントは満足したように頷いた。
「さて、それなら俺は俺の仕事を全うしねえとな。まずは街中の本屋に行ってくる。本屋に直接部屋に運ばせるのは危険だな。宿に配達してもらって衛兵に届けさせよう。手配してくる」
「…ありがとうエルグラント」
私がお礼を言うと、エルグラントが優しく笑ってくれる。
「礼には及ばねえよ。俺はサラ嬢の言うことを全面的に支持して助力するだけだ。…
…だから、ちょっといいか?」
急にエルグラントが真面目な顔になる。そうしてマリアとレイの方を向くと一言放った。
「妬くなよ」
そう言ってからエルグラントは私に向かって両手を伸ばしてきた。…これは、ハグをしてくれるのかしら!
私は嬉しくなって、ソファから立ち上がり、エルグラントの胸に飛び込んだ。即座にぎゅううう、とその逞しい腕が抱き締めてくれて、私はたちまち幸福な気分になる。
「…絶対に危険なことはしないでくれ。命を落とすこともしないでくれ。俺とマリアの恩人に死なれるようなことがあったら、俺はきっと立ち直れない。死ぬより辛い思いを抱えて生きて行くことになることを肝に銘じていてくれ。…信じてる、サラ嬢。三週間後に笑い合おう。春がきたら、東の国に行こう。花が美しい国だ」
エルグラントの優しい言葉が頭上から降ってくる。ええ、誓うわ。東の国、素敵だわ、と返す言葉が思わず涙を含みそうになってしまう。
「…本当に、あなたは何者なんだサラ殿…」
エルグラントの腕の中で多幸感に包まれている私の耳にそんな声が届いた。
見ると、ヒューゴが理解が追いついていない顔を見せている。
「…何者って…先程レイが説明したじゃない?」
ブリタニカの公爵令嬢で、元次期女王候補。そう説明したはずだけど…?言外に含ませて言うとヒューゴは頭を抱えてはぁぁ…と溜め息をついた。
「ひゅ、ヒューゴ?」
「あぁ、そうだな、そっちの説明がまだだったな。よし、これを見届けてから俺は出るとするか」
エルグラントが言って私を抱きしめていた腕の力を緩めてくれる。んんんーもうちょっとしてて欲しかったのに。渋々その大きな胸から離れ、元々座っていたソファに腰掛ける。
私が座ったのを確認してからヒューゴは再び口を開いた。
「…教えてくれるなら教えてほしい。まず、なぜ私の妻が危ない目にあっているとわかったんだ?」
なんでわかったって…
「ヒューゴが言っていたじゃない?」
「ほらほらお嬢様そういうところです。言葉が全く足りていません。どうしてご自分の能力説明するとき適当に端折るんですかいつも」
マリアからの突っ込みが入る。べつに適当に言っているわけじゃないわよ…。
「…ヒューゴが訪ねてきたじゃない?昨日。そのとき、あなたは最初から最後までとても怯えた目をしていた。何かを恐れていた。でも、途中奥様の話題を私が振ったとき、その目が動揺で大きく揺れたの。そして、明らかな焦燥が見えた。そこまで見えたら簡単よ。あなたの奥様は今どうしようもない状況に陥っている。それがわかったの」
私の言葉にヒューゴは信じられないといった顔を見せる。
「…目の動きだけで?」
「あなただってエルグラントとマリアが婚約中だって見抜いたじゃない」
「それはエルグラント殿が好意を隠しもしてなかったからわかっただけだ。だが、私は自分の状況は悟られぬようにしてサラ殿、あなたに会った。まさか…目の動きだけで…本当に?」
「『目は口ほどに物を言う』ーー以前どこかの文献で読んだことがあるわ。まさにその通りよ。目を見れば大体わかっちゃうの。その人が何を考えているのか、今どういう感情を抱いているのか」
「しかもそれが外れたことはありません」
マリアが補足してくれて、私も頷く。
「そんな…ことが可能なのか?」
「可能だったから、お前がすぐにサラ様を探しにきた人間だと分かって、サラ様は宿を移そうと仰ったし、実際お前の奥方を救おうと動いてくださってるだろ」
「そ…そうだな」
ヒューゴはまだ信じられないという顔を見せているが、事実を突きつけられて渋々ながら納得してくれた。
「それから、もう一つ聞きたいことがあるんだが…情報収集に二日と言ったが…街中の本を買うのはいいが今から私と王立図書館に行くんだろう?…いつ読むのだ?馬車の中で読むのもさすがに限界があると思うんだが…?」
「??二日間で全部読むわよ?ちなみに明日も日中は王立図書館に行くわ。皆が二冊ずつ頁をめくっていってくれたらたぶん早く終わると思う」
「…?」
あれ?ヒューゴが完璧に固まってしまった。理解が追いついてないわねこれ…なんでかしら?質問にそのまま答えただけなのに。
…!あ、そうか、あれができることを言わなきゃいけなかったわね。
「あぁ、私ね、見たものをすぐ覚えちゃうの。瞬間で記憶することも可能よ。だから、本なら八冊程度なら一気に読むことができるわ。ただ、そこまでなるともう本当に『読むだけ』で、なかなかそこから推察したり深く考えたりすることは後からの作業になってはしまうんだけど」
「マジかよ…それはすげえな…」
エルグラントがポツリと声を漏らし、レイもまた驚いたような顔を見せている。
「一回マリアと十冊まで試したのよね?」
「ええ、流石に十冊だと速度が落ちましたね」
懐かしい。マリアとそれで遊んだ記憶を思い出してふふふと笑ってしまう。
「…だめだ、私には理解が追いつかない」
ヒューゴがポツリと漏らし、レイとエルグラントが慰めるように頷いている。
「大丈夫だヒューゴ。俺も初めてのときはそうだったから。まっったく意味がわからなかった。慣れだ、慣れ」
「俺もなぁ、最近でやっと慣れてきたが、最初の時はこの嬢がなにを言ってんのかさっぱりだったからなぁ…まぁ、付き合っていけば色々わかるさ」
「…わかる気がしない…」
それでもヒューゴがまたポツリと漏らした。