78.これからの各々
「あら、レイとヒューゴも早かったわね。私たちも今着いたところよ」
宿に着いて、すぐさま客室へと戻ってからものの五分としないうちにレイ達も部屋に入ってきた。
「まだ午前中で道も空いてましたからね。馬車が止まることもほぼありませんでした」
私の声掛けにレイが返してくれる。
皆で向かい合う形でソファに座る。
「さてと、作戦会議と行きましょうか。時間がないわ、残された猶予は半月。レイ、ここからパッショニアのメリーの王宮があるところまで馬車でどのくらいかかるかしら?」
「そうですね。入国審査や検問、大使館への報告などの時間も加味すると、…やはり一週間ほどですね」
「…そう、そうなると、もう猶予はほとんどないわね。ヒューゴ、申し訳ないわ。あなたには歯噛みしたくなるほどの苦痛をこの二日間感じさせることになると思うの。でも、お願い。情報収集のためにここにあと二日だけ留まることを許して欲しいの」
お願いすると、ヒューゴが目を丸くして言った。
「…なにを言っているんだ」
半分予想通りの返答に私は肩を落としてしまう。…そうよね、ヒューゴの気持ちを考えたらそういう反応になるのは仕方ないもの。
「…やはり、無理かしら?そうよね…奥方のことを考えたら、すぐに出発したい気持ちはわかるわ…でもね、おね…」
「いや違う、サラ殿。そうじゃない」
私の言葉をヒューゴが遮った。ん?そうじゃないって?
「いや、そうじゃなく、…私はもう半分諦めていたんだ。妻を取り返すことは不可能に近いと覚悟を決めていたんだ。だから、あなたとレイが危険を冒してまでメリーの元に馳せ参じて人質を解放するために動いてくれると言ってくれたとき、私は奇跡だと思った。未だに信じられていない」
そして、とヒューゴは言葉を続けた。
「…これ以上ないくらいの感謝を貴女たちに抱いているんだ。もはやサラ殿、あなたには畏敬の念すら抱いている。あなたを売ろうとしていた私にそこまでの情けを掛けてくれる。そんなあなたが二日欲しいと言っているのに、私に断る選択肢があるだろうか?そんなもの無いに決まっているだろう」
とっても真面目に真摯にヒューゴが言葉を紡いでくれる。まるで文学書を読んでいるかのような物言いに思わず笑ってしまいそうになるけれど、そこはぐっと堪えた。うん、でもそういうことならよかった。
「感謝するわ、ヒューゴ。二日あれば大抵のことは頭に入れていけるわ」
私はヒューゴに笑いかける。
「おおまかなこれからの動きを説明したいと思うわ。…もし皆さんが聞いて、それは矛盾が生じるとか、ここはこうしたほうがいいというのがあれば遠慮なく言って頂戴」
私の提案に皆が大きく頷いてくれた。うん、とても頼もしい。
「まず、今日明日で情報収集をしたのち、明後日の朝にパッショニアに向けて出発するわ。私とレイ、マリアとヒューゴの四人で。そして、残ったエルグラントにはお願いがあるの」
「何なりと言ってくれ」
「…せっかくマリアと再会できたのに、また離すようなことしちゃってごめんね」
私が申し訳なさそうに言うと、エルグラントはがははと笑ってくれた。
「気にすんな。一瞬離れたほうが、次に会ったとき愛おしさが増すんだよ」
おお、さすがエルグラント。恋愛の上級者のようなことをさらっと言うのね。ほんのりマリアの頬が赤くなってるのは触れないであげましょう。
「…シオンに乗ってブリタニカに戻り、エドワード国王陛下へ現状を伝えて欲しいの。…今回のこと、私だけの力で成し得るのは外交官の奥方の解放のみよ。メリーを根本から黙らせるには、大国ブリタニカ最高権力者の力が必要だわ」
エルグラントが神妙な面持ちで頷いてくれる。私は言葉を続けた。
「そのために、どこの検閲も通さずに私からの書状を届けて欲しいの。どこかに隠し持ち、謁見が許されたときに陛下に私からの書状があると伝えて頂戴。陛下の側近が書状を確認しようとするでしょうけど、陛下ならきっとそれを止めて私の書状を確認してくださるわ。そしておそらく何らかのお返事をくださるでしょう。エルグラントはそれを受け取り、パッショニアまで届けて欲しいの」
本来なら国王陛下への書状はいくつもの検閲を通さなければならない。だからこれは裏技中の裏技。ちょっとずるい方法だけどきっと陛下ならその意図を汲んでくださる。
「わかった」
頼もしい返事がエルグラントから返ってきて、私はほっとする。
「…ちなみに、どのくらいの期間でパッショニアに到着しそうかしら」
うーん、とエルグラントが考え込んでいる。
「…三週間ちょいだな」
「「三週間!!!???」」
マリアとヒューゴの驚いた声が揃う。そ、そんなすごいことなの?あれ、でもレイは、涼しい顔をしているわ。
「…ちょっとエルグラントいくらなんでも三週間は無理よ。普通に考えても一か月とちょっとかかるルートだわ」
マリアが眉根を寄せて怒ったように言う。が、エルグラントは意にも介さない感じで飄々と返した。
「シオンもじーさんだが、そのくらいはまだまだいけるさ」
そんなエルグラントの様子に、マリアが何かに気付いたようにはっと息を呑んだ。
「あなた…まさか…?」
「ひひっ、そのまさかだ」
エルグラントがいたずらが見つかった子どものような笑い方をする。えーなにそれかわいいー。
って、そうじゃなくって。なんか会話についていけないんだけど?どういうこと?
すると隣から、マリアに告げ口するようなレイの声が聞こえた。
「…エルグラントさん、現役時代しょっちゅう夜通し馬を走らせてましたもんね」
…。
……。
「エールーグーラーンートーーー???」
地を這うような声がおおよそ似つかわしくない人間から放たれて、私はびっくりしてマリアを見て、そしてもう一度びっくりする。
いつも愛らしい彼女のくりくりとした大きな目がこれ以上ないほどに吊り上がっている。
…じ、尋常じゃなく怒っているわ。
怒気の真っ赤なオーラが見えるようなその怒りに私の喉がひゅっとなる。マリアが大きく息を吸い込んだ、と思ったら――――
「何を考えているの!!!それは騎士団時代からずっと禁止していたでしょうが!!!!!上に立つ者がそんなことをしてどうするの!!!どうせあなたに付いていこうとして部下が何人もぶっ倒れて結局あなた一人で行くことになってたんでしょうよ!!!!馬鹿じゃないの!皆が皆あなたみたいにスタミナ大王じゃないのよ!!!??」
部屋中にマリアの怒声が響く。びりびりと耳をつんざくようなそれを受けている途中レイがそっと私の耳に手を当てて衝撃を和らげてくれた。うふふ、大きなごわごわした手がくすぐったい。ありがと。
「いや~~なんか、気が付いたらさ、夜が明けてるわーみたいな?」
エルグラントががははと笑いながら言う。だめだわこりゃ。全然マリアの怒りは届いてない。
「別に馬を夜通し走らせちゃいけないなんて団の規定にはないんだから、構わねえじゃねえか」
「全然よくないわ。それで事故にでも遭ってお嬢様の任務を遂行できなかったらどうするの!」
「そんなヘマはしない。それはお前が一番よくわかっているだろ?」
エルグラントの返しにマリアがぐっと言葉に詰まる。
「知ってる…けど」
「…約束するよ。お前と結婚するまで、事故に遭うような無茶はしない」
そう言ってエルグラントがマリアの手を取って微笑んだ。
「…絶対に?」
「ああ、約束だといっただろ?」
―――ん?なんかいきなりラブラブなシーンを見せつけられ始めたんだけど?
「えーと、それじゃ三週間ということで話をすすめてもいいのかし…ら?」
私が問いかけると、マリアがさっとエルグラントから手を引いた。そんな恥ずかしがらなくても大丈夫よー。
「ああ、構わない。承知した。それなら俺は今日、本の手配が終わって、サラ嬢の書状を受け取ったらすぐにシオンを走らせればいいんだな?」
「ええ、お願いできるかしら」
「もちろんだ」
エルグラントが鷹揚に頷いてくれる。ふふ、ほんと頼もしい。
「私達は、メリーの元に着いたらまず全員の奥方の解放を要求するわ。各国の外交官の奥様方全員を一気に開放する。そしたら、ヒューゴとマリアで奥方を全員安全に届ける手配を行って欲しいの。同盟国は六か国しかないから、最高でも奥方たちは六人しかいないわ。全員に警護を通常の三倍はつけてあげて頂戴。経費はヘンリクセン家へ請求して構わないわ。マリアはヒューゴと奥様が自宅に戻るまで警護をお願い。もし産気づいたりしたらあなたが処置するの」
「…まさかとは思いますが、お嬢様」
私の言葉を受けたマリアの目がみるみる開かれていく。
「ええ、そのまさかよ、マリア。私とレイ二人でメリーの元に行くわ」
「なりません!!!」
マリアが大きく首を横に振る。わかるわ、マリア。でもね。
「…マリア、聞いて頂戴。あなたが侍女としていてくれたらどんなに心強いかと思う。でも、おそらくあなたがいたら、メリーはなかなか手出ししにくいと思うの」
「手出し…?お嬢様、いったい何を?」
マリアだけじゃなく、私以外の皆が怪訝な顔をしているのを見て私は言葉を続ける。
「おそらくメリーの宮殿に入ったところで私とレイは引き離されるでしょう。そして一人になった私にメリーはいろいろと仕掛けてくると思うわ。公に手は出せなくても陰湿な方法で次々とね。だから侍女がいる間は手を出しにくいのよ。自分の手の内にある者を私に付かせられたほうが彼女もいろいろとしやすいの」
「待ってください、サラ様…それだとまるで…あなたは」
私の話をじっと聞いていたレイが震える声を出した。
「ええ、そうよ。私は自分を『囮』に使って、メリーの悪行の証拠を集めまくるわ」
「駄目です!!!!」
今度はレイが声を大きくして私の行動を咎める。…うん、心配してくれてるのよね。わかっているわ。ありがとう。
「あいつは!本当に何をするやつかわからないんです!いったいどんな方法であなたに陰湿な嫌がらせを行うか。涼しい顔をして平気で紅茶に毒を盛ってくることだってあいつならやりかねません!」
「…大丈夫。私ならそういう仕掛けは完璧に未然で防げるわ。…私の特技、お忘れ?」
私の答えに、レイがぐっと言葉に詰まる。そう、何かを企んでいたら、相手の目を見ればすぐにわかる。
「私たちが到着してエルグラントがエドワード国王の書状を持ってくるまで二週間。その間に集められる限りの彼女の悪行を集めて断罪してやるわ。…二度と私にも、あなたにも手出しはさせない、レイ」
捨てられた子犬のような顔。その顔はあまりレイには似合わないわ。
…いつもみたいに優しく笑って欲しいのに、そんな顔をさせてごめんね。
「すべて、片付いたらまた国外追放ののんびり旅を続けましょう?大丈夫。三週間の辛抱よ。三週間後にはわたしたちは朗らかに笑っているわ」
だから、ねえ、皆。
―――そんな悲しい顔、しないで。