77.レイとヒューゴの内緒話
「わざわざ馬車に乗らなくても、歩きで構わないぞ?」
馬車を目の前にした俺の言葉にヒューゴが首を振る。
「お前自分の立場わかっているのか?一国の王族に狙われているんだぞ。街中で馬車を襲うやつはそうそういないが、歩いているやつを狙う輩はそこらへんにごろごろしてるんだ。こっちのほうが安全だ」
そう言ってヒューゴは俺を早く乗るように顎で促す。
「別に背後から狙われてもどうってことはないんだが…」
「お前は良くても俺はすぐに捕まるから駄目だ」
ヒューゴの言葉に笑ってしまう。確かに、ヒューゴが一緒なら歩きより馬車のほうが安全だ。
俺が乗り込むとすぐにヒューゴも後ろから乗り込んできた。馬車内で向かい合うように座ると御者が出てもいいか聞いてきたので、よろしく頼むと返す。
馬車がゆっくりと動き出し、窓から見える街の景色がどんどん後ろへと下がっていく。
「…本当にすまなかったな。レイ」
ヒューゴが言い、俺は目線を窓の外にやったまま返す。
「もういいって。しつこいぞ。律儀なのはいいが、謝罪はとっくにさっき済んだだろ…仕方がない。俺だってサラ様がそんなことになったらどんなことでもしてしまうだろうさ」
そう、ヒューゴの気持ちも理解できないわけではない。サラ様がそんなことになったら…考えただけでも恐ろしい。想像しただけでこれほど怖いのだ。正直、目の前の当事者である友人がどれほどの重圧と恐怖の中ここに座っているのか、量り知ることは出来ない。
「…すごいな、お前の想い人は…お前が惚れるのも分かる」
「んっ!?」
ヒューゴからの言葉に俺はそういえば、と気づく。
「…えっと…ひょっとして…気づい、た、か?」
「何を今更。あれだけサラ殿に熱い視線を送っておいて気付くなというほうが無理だろう。交際してどのくらいだ?」
「はぁっ!!!???こ、こうさ…っ!?」
爆弾発言に思わず間抜けな返事をしてしまう。交際、という言葉を言うのも恥ずかしく言葉が裏返ってしまった。
「…ん?なんだその反応は…」
ヒューゴが信じられないものを見るような目で見てくる。
「こ、こうさ…い、なんてしてるわけねえだろ!!」
「落ち着けレイ。口調が荒くなっているぞ。…ちょっと待て。お前たち、交際しているわけではないの…か?あれで?」
「あれでってなんだよ!…してない。まだ想いも伝えていない」
なんだか、こんな会話をこいつとするのがめちゃくちゃ恥ずかしい。思春期か!と突っ込みたくなってしまう。
「…嘘、だろ?」
今度はヒューゴが目を丸くしている。一体何なんだ。
「あれだけかわいいお口だの愛しい人だの大切な人だの好意ダダ流ししていて、交際してないだと!?嘘つけ!!」
「嘘じゃねえよ!」
「口調!」
ヒューゴは真面目なので、俺が口調を崩壊させるとこうやってすぐ注意してくる、って、そこは今どうでも良い。
「…仕方ないだろ。実際かわいいお口だし、愛しいし大切なんだから。言葉に出るのが普通じゃないか。きちんと想いを伝えるのとそれはまた別の話だ」
なんだか言い訳じみた物言いになってしまう。
はー…と、目の前の友人が頭を抱えながらため息を吐く。
「…次期女王として考えると、王族との婚姻が必要になってくるのなら難しいかもしれない。だが公爵令嬢としてというのであれば、お前も立場的に問題はないだろう?詳しくは知らんが、お前もそこそこ高位の貴族の出だろう?それに加えて王国最高位の機関の団長という肩書まである。交際も結婚も望めるだろう?」
まぁそこそこ高位の貴族というか王族なんだけど…次期女王となっても婚姻は可能なんだけど…と、こいつにはそこまで言っていないので頭の中で思うだけに留める。
「まぁ…それはそうだが」
「じゃあなんでガンガンいかない?あの令嬢だぞ。国外追放の間はいいとしてもだ、冤罪が証明されて国に帰るころには女性として一番花開いている時期だ。蝶のように男が群がってくるぞ。公爵令嬢という肩書のうちに婚姻までもっていけばあとはどうにでもなるだろ」
うーん、なんだかもの凄いことを言っていないかこの友人は…
「わかってるよ、そんなこと…」
「じゃあなぜ」
ヒューゴは確か、『ガンガン』いって今の奥方を射止めたんだったか。わかるよ、ヒューゴ。俺だって行けるものならなにもかも取っ払って彼女の隣に立ちたいと思う。
王族である俺と婚姻すれば、サラ様の次期女王としての立場は盤石なものとなる。でも、ご本人がそれを望まれてはいない。
…いや、違う。そこは正直どうでもいい。俺がなんで、ヒューゴの言うように『ガンガン』いけないかというと。
「…格が、違いすぎるんだ」
そう、一度エルグラントさんとマリア殿にも話したことがある。
「格?」
ヒューゴがオウム返しで聞いてくる。俺はそっと頷いた。
「お前も感じただろう?あの令嬢の格を」
今度は俺の言葉にヒューゴが頷いた。
「…今からサラ様と話をして更に彼女を知っていけば、きっとヒューゴ、お前にもわかる。あの方の隣に立つには、心をいただくには相当の人間ではならないということが」
「お前は十分その資格を満たしているだろう?」
ヒューゴが言ってくれるが俺は首を横に振る。
「エルグラントさんとマリア殿もそう言ってくれた。でも…まだ。俺自身が自分の実力に納得がいっていないんだ。今回のメリーの件に関しても、サラ嬢は臆することなくメリーの元へ出向くと仰った。…ただの思いつきや短絡的な考えからではなく、全てを判断してそれが最善だとあの方は分かった上で決められたんだ。…一番恐れていたことを彼女にさせてしまう自分の実力のなさ、不甲斐なさが悔しいよ、ヒューゴ」
俺はため息を吐いてしまう。
「俺にもっと力があれば…彼女の隣に立てるだけの力を持っていれば、メリーからも守れたのに。…いや、どんなことがあっても彼女を守れるのに」
ヒューゴが真剣に俺の話を聞いてくれている。そのことがとても嬉しいと思う。
「…だから、俺がまだ問題が生じて自分のことを不甲斐ない、とか力がもっとあれば、とか感じてしまううちは、彼女の隣を望むことはできない、と思っているんだ」
「…そうか」
ヒューゴがそっと口を開く。
「お前がそう決めているのであれば、俺が口出しすることではないが…ただ、ひとつだけ。うかうかしてると、横からかっ攫われるぞ。慎重になるのは構わないが、タイミングは誤るな」
あぁ、と俺は返事を返す。友として、ヒューゴの最善の答えに感謝を込めながら。
「だが、まぁ…サラ殿の気持ちも決まっているようだから、これ以上の提言は無粋だな。…ところで、本当にあのサラ殿は…何者だ?次期女王というだけではないだろう?」
ヒューゴの問いに俺は笑い出したくなる。
「疑問に思うなら、本人に直接聞け。何一つ隠さず話してくださるから。通過儀礼がまた見られるのか。楽しみだな」
「エルグラント殿もそんなこと言っていたな。勿体ぶらずに教えろ。宿を変えたのもサラ殿の指示だし、私の妻の情報も仕入れたのは彼女だろう?…本当に一体何者だ」
「…もうすぐ宿に着く。…真実を聞けるのを楽しみにしていろ」
この数時間後にはぽかんと開いた口を塞げずに石化する友の姿が容易く想像できて、俺は一人笑いを噛み殺した。