70.ヒューゴ・アレン
夕食はもちろん部屋内だ。こんな時くらい外に出たいと言ったけど、やっぱりレイに却下されてしまう。
ぶぅ、と頬を膨らませ唇を尖らせてみせると、「そんな可愛いお口は、目に毒なので」と、レイの人差し指が私の唇にそっと触れてたしなめた。
ホント。もう。やんなる。
その気もないくせに。他の令嬢に心あげるつもりでいるくせに軽率に触れるなんて。
…そして私もそんなあなたから触れられるのが、こんなに嬉しいなんて。
…なんか最近ダメね。本当にダメ。心が狭くて小さくて、些細なことで波立ってしまう。
「失礼します、お食事をお待ちしました」
ノックの音とともに衛兵が扉の向こうから伝えてくれる。どうぞ、と返すと数名の使用人が食事をワゴンに乗せて運んできた。たちまちいい匂いが部屋中に立ち込める。
テーブルセッティングがさささっと一瞬のうちに終わっていく。うーん、毎食見てるけれど、さすがだわ。
すべてが整えられてから「ありがとう」と感謝を伝えると、すっかり顔馴染みになった使用人たちがどういたしまして、と返してくれる。そういえば最初、礼を伝えたときはとても驚かれたんだったわ。
「それではいただきましょうか」
テーブルに並べられた数々の料理は本当に素晴らしい出来栄えだ。ここの宿は料理人の腕も一流らしい。
「お嬢様、野菜もきちんと」
「サラ様、お酒は控えてください。今日はヒューゴがいるんですから」
「ん!サラ嬢ほら!この鴨肉うまいぞ。もっと食え!」
いつも通り三人が甲斐甲斐しく私の食事の面倒を見てくれる。
マリアはバランス良く食べさせようとするし、レイは私が食べすぎたり飲みすぎたりしないように気を配ってくれるし、エルグラントはとにかく美味しいものを勧めてくる。三者三様でとても面白い。
「…とても慕われているんですね。あなたは…」
そんな私たちの様子を見ていたヒューゴ様がポツリと言葉を漏らした。
「…ええと、あなたって言うのは私のことでしょうか?」
私が尋ねると、ヒューゴ様はこくりと頷いた。そのまま黙り、そっととうもろこしのスープを口に運んでいる。うーん、綺麗な所作。教本通り。隙がないわ。
「…私など一人では何もできませんもの。三人が優しいからそんな私でも慕ってくれるのですわ」
鴨肉を一口大に切り、口に運ぶ。うん、エルグラントが言う通りとっても美味しい。
「一番優しいのはお嬢様ですし、あなたは誰からでも慕われますよ」
マリアが、私のグラスにライムのジュースを入れてくれる。
「そうです。あなたの護衛をできてこれ以上の誉れはありませんよ」
「ありがとう、レイ。あなたのような素晴らしい方が護衛だなんて正直私にはもったいないくらいなのに」
何をおっしゃいますか。身分相応です、とレイが言ってくれる。
「まぁ、なんだかんだで交渉団の歴代団長が三人サラ嬢の傍にいるんだもんな。自分たちもできる人間だという自負はそれなりにある。偶然にせよ必然にせよ、そんな人間が三人ともサラ嬢の傍にいるということはそれもまた嬢の人徳だ」
エルグラントが大きなグラスでエールを飲みながら言ってくれる。
そうそう、初めは普通サイズのグラスだったのに、エルグラントがあまりにも飲むものだから、途中からエルグラントのエール用のグラスだけとても大きいのを持ってきてくれるようになったのよね。
そんなことをのんびりと考えていたら、ヒューゴ様が再び口を開いた。
「…正直、レイがしているのは鼻持ちならない我儘令嬢の護衛かと思っていました」
んんんっ!?今なんて???
「おい、ヒューゴ」
レイが慌ててヒューゴ様を窘める。
でもヒューゴ様は意にも介さず、淡々と言葉を連ねる。うーん不思議。本当になんでこの二人仲がいいのかしら。
「交渉団はブリタニカ国においての最高機関です。そこの団長であるレイは、よほどのことがないと一令嬢の護衛で国を不在にすることなどできません。…あなたが公爵家という王家も無視できない権力を用いてレイが護衛に付くように我儘を言われ、裏から手を回したのかと」
率直な、でもどこか責めるような物言いに私は目が丸くなってしまう。この人、何をそんなに…
「たしかに我がヘンリクセン公爵家はブリタニカにおいて多大な権力を持っているという自負は御座います。でも…私はただそこにたまたま偶然生まれ落ちただけの娘にございます。…何の力や権力がありましょうか」
私の言葉にヒューゴ様の目の色が闇に包まれた。
「…本来自分が持つ権力でもないのに、自分が持っていると錯覚してそれを濫用する人間を見てきたもので…失礼ながらサラ殿もその類かと」
「ヒューゴ、ちょっと口を慎め」
レイが窘める。それでようやくヒューゴ様の目から、ふと私に対する熱のようなものが消えたのを感じる。
うーん、なんだっだろう。この含みのある言い方…
ここで国王から直々に勅命を受けてレイが護衛に付いたとか言っていいのかしら。そうすると必然的に私の婚約破棄や国外追放や次期女王とか諸々まで話さなきゃならなくなってしまう。レイはこの人にどこまで伝えているのかしら。
王族から婚約破棄された上に国外追放までされた令嬢に護衛が付くことはあり得ない。
だからレイのような国内において重鎮である人間が護衛に付くということは必然的に私が次期女王候補だったと、そしていまでもそれを打診されているということを伝えなければならない。
私が次期女王候補ということは、王族、国政に関与する貴族の一部、ヘンリクセン家の者しか知らない事実だ。あの夜会にいた貴族にもバレてはしまったけれど、厳罰を伴う箝口令が敷かれただろうから、そこは考えなくてもいいだろう。大使館の人たちも『貴賓として扱え』と言われているだけだから、外交官としていくら大使館に赴いても、私が次期女王候補という情報は知り得ないはず…うん。
…言い方は失礼だけど、他国の外交官が知っていい話ではない。でも、彼はレイが信頼を置いている人物。そこまでの人物に話していないとも限らない…ということは。
―――うん、直接聞いたほうが早い!
「ヒューゴ様は今回のことをどのように聞き及んでいらっしゃるのですか?」
ド直球。これに限る。
「今回、というとレイがあなたの護衛についていることに関してですか?」
ええ、と頷くと、ヒューゴ様はそっとカトラリーを皿に置きナプキンで口元を拭った。うーん、やはりとても所作が美しい。どこかの貴族の御子息なのだろう。
「何も知り得ません。レイがしばらくの間要人の護衛で国内を不在にするという連絡をブリタニカから一年少し前に受けてはいました。…今回レイがスプリニアの外務館に顔を出していましたので、声を掛け事の次第を聞いただけです。詳しいことは国家機密なので話せないが、公爵令嬢の護衛をしていると。公爵家とはいえ、まさか本当に一令嬢の護衛だとは思いませんでしたが」
「そうでしたのね」
まさかの最低限の知識だけだったわ。しかもそっか、国家機密ってことにしちゃえば詳しく話さなくていいんだわ。流石ね、レイ。
「それでしたら誤解だけ解かせていただきますわ。私は決して一個人の感情でレイを護衛に任じたりしたことは御座いません。信じてくださいませ」
しばらくの沈黙ののちに、ヒューゴが口を開いた。
「…そのようです。どう見ても三人ともあなたを敬い、慕い、心から仕えている。この短時間でも一瞬で分かりました。…値踏みするようなことをして、申し訳ございません」
そりゃね、大事な友達が一令嬢の我儘で振り回されてるだなんて腹立たしいわよね。
でも素直な謝罪に私はほっと胸を撫で下ろす。
正直空気がすごく悪かったんだもの。マリアは隣で今にもヒューゴ様を殺さんばかりの殺気を放っていたし、温厚なエルグラントですらものすごい覇気を背中から放っていた。
レイはその空気をいち早く感じ取り、大事になる前に宥めて場を治めようとしていたが、そのこめかみに青筋を立てていた。
空気を変えるべく私は話題を変える。
「ヒューゴ様は結婚してらっしゃるのですか?」
「はい、妻がおります。子はまだおりませんが、冬が明けるころには一人増える予定です」
「まぁ!素敵!!それはおめでとうございます。あなた様に似たらきっととても理知的で見目麗しいお子様が誕生いたしますわね」
手を叩いて喜んでみせると、ふわっと空気が和むのが分かった。…よかった。
「…私に似ては欲しくありません。妻に似てくれれば…本当に麗しい女性ですので」
「まあ、ご馳走様」
ヒューゴ様の目の奥が揺れている。奥様とお子様に思いを馳せているのでしょう。
…いいわね。私もそんな風に愛されてみたい。
――――
ちょっとギスギス(?)した食事会も終盤は和やかに終わり、私たちはヒューゴを部屋から見送るべく入口に立っていた。
「御馳走様でした。ここの宿の料理はとてもおいしかったです…レイも、突然すまなかったな」
「いや、大丈夫だ」
「…ほんとうに、色々すまなかった」
気にするな、とレイが言っている。律儀なのね。レイと友人?!と最初は思ったけれど、心根は正直で優しい人なのだろう。きっとレイのことがとてもとても大事なんだわ。
「サラ殿も、本当に申し訳ございませんでした」
いいえ、と返してみせる。
「あとどのくらい滞在されるご予定ですか?」
「そうですね…まだ未定ですけどしばらくは滞在する予定です。少なくとも春の息吹を感じるころまではスプリニアにいるかと…お忙しいとは思いますがまた遊びに来て下さいますか?」
私の言葉にヒューゴ様は相変わらずの無表情で勿論です、と答えてくれた。
―――――
ヒューゴ様を見送って扉を閉じてから、私は三人にゆっくりと向き直って言った。
「…今夜のうちに、宿を変えましょう」