68.不穏な空気
「はぁあぁぉあ!!?え?エルグラント元団長の?え?」
マシューが目を白黒させている。まぁ無理もないわね。
「ちょっと待ってください、いつの間にそんなことになってんすか????え?婚約?なんで?え?ちょっと意味がわからないんすけど!」
「落ち着け、マシュー」
レイが窘める。
「いや無理っす。え?なんなんですか?憧れ二人が婚約?なんすかそれ…!嬉しすぎません???やばすぎません?交渉団あげてお祝いしましょうよ!!!!!」
「落ち着けマシュー。婚約はしても、婚姻は色々落ち着いてからだと思ってる。あと、お前が副団長という立場だから話したが、他の奴らにはまだ黙っていてくれるか?」
エルグラントが笑いながらマシューに言っている。うーん、色々落ち着いてからって私のことよね…ちょっと申し訳ないわ。
「お嬢様が申し訳なく感じる必要ないんですからね」
即座に私の感情の動きを読み取ったマリアが言ってくれる。鋭いんだからもう。
「むしろあなたがいなければ私たちが婚約だなんてことは一生涯かかってもあり得なかったんです。そんなあなたに申し訳なく思わせるなんて、私たちが許せません。結婚を急く年齢でもありませんから気にしないでください」
マリアが優しい声で言ってくれて、エルグラントもうんうんと頷いてくれる。
ここで私が申し訳ない、って態度を見せたら逆に二人の婚約にケチをつけることになってしまうわね。私は素直にわかったわ、と言うことにした。
「いやぁ、でも本当におめでたいなぁ。そうだ!ついでに団長にも誰かいないっすか?皆言ってるんすよー。団長にも春がきたらもっと優しくなるんじゃないかって!」
マシューがとんでもない爆弾を投げてきた。レイの周りの空気がひゅん、と一気に零度まで下がる。
ま、マシュー恐るべし…空気が読めないタイプ、なのかしら?と思うけど、どうも違うみたいだわ。
マシューは決して空気が読めないわけでもなんでもない。おそらく、全部わかってこういう言葉を発してる。
レイが噂通りの冷静沈着な厳しい上司ということならば、マシューがこのほんわりとした温和な空気をあえて作り出すことでおそらく団内の潤滑油の役割をしているのね。
…マシュー、恐るべし(二回目)
「…間に合ってるからいい」
レイの返答にマシューが驚く。
「なんすかだんちょー!俺がこういう話題振ると毎回『必要ない』だったじゃないですか!!!なんすか?マジで春きたんすか?!」
「ちょっとお前黙ってろ」
レイがため息混じりにマシューに言うが、若干頬が赤い。
「私も聞き捨てならないわ、レイ。あなたの心をいただける令嬢がいるの?」
本気で気になるので聞いてみたけど、レイはそんな言葉を発した私をじっと熱っぽく見つめてきた。ん?どうしたのかしら?
「…今はまだ自信がないので。自分がその方の隣に立てるようになったら、想いを伝えたい方は、…います」
ーーーちく。
…??ん?なんか今、胸のどこかわからないところが痛かったわ。少しもや、としたような。
…気のせいかな?一瞬だったもの。
「その方は…幸せ者ね」
精一杯の笑顔で返すと、レイは少しだけ寂しそうに笑った。…んんんん、何かしらこの空気。
「んんんんんんんーーーー????」
マシューがレイと私を交互に見比べ、一際大きい唸り声を出した。
「え、ええと…こ、これは、『そういうこと』っすか?」
マシューがエルグラントとマリアに向かって尋ねると、二人とも頷いてそういうこと、と答えている。
ーーーそういうことってどういうことよ!?
「マジすか!だんちょー!!!!超高嶺の花じゃないすか!!大丈夫すか?!」
「ちょっと本気で黙れマシュー」
遂にレイが頭を抱え出した。私は思わずくすくすと笑ってしまう。こんなレイを見れるの、本当に珍しいんだもの。多分レイはマシューに対して全幅の信頼を寄せているんだわ。
「レイはマシューのことが大好きなのね」
「なっ?!」
レイが狼狽える。ほら、やっぱり。
「マリアやエルグラントに向けるのとは違う大好きだけど。あなた、マシューといるとエルグラントが言った通り空気がまた少しだけ違うわ」
「そりゃあなぁ、レイはマシューのこと、現役の団員の中じゃ一番信頼してるもんな」
エルグラントの言葉にレイがぷい、とそっぽを向く。マシューもマシューで、ニコニコとしている。ん?これは周知の事実なのかしら?
「マシューはレイと同期なんだ。マシューがレイよりも四つ上だけどな。こいつもすごいんだ。レイと同じ新兵から七年で副団長まで上り詰めた。正直実力は互角だ。団長に推薦する案も出たんだ」
「僕そんなの興味ないっす」
エルグラントが言うとすかさずマシューが返した。
「団長はレイがどう考えても適任っす。レイがお願いするから副団長やってるけど、本来なら役職もいらないもん」
「いらないもん…っ!」
お、マリアがツボった。うん、今の言い方めちゃくちゃ可愛かったもん。
「レイとマシューはずっと仲良い兄弟みたいな感じだったんだ。マシューの変な敬語はずっとだ。だがマシューから団長って呼ばれるのをレイが慣れなくてなぁ、最初は」
エルグラントが言う。
ーーーああ、その話でやっと納得がいったわ。
「…なるほど。だんちょー。団長。それで使い分けてたのね、極々小さな差異だけど言い方を。レイに話しかけるときはちょっと砕けた『だんちょー』、私たちにレイのことを話すときはきちんとした物言いの『団長』。うん、やっと納得いったわ」
私の漏らした言葉に、マシュー以外の三人が首を傾げ、たった一人だけマシューがとにかくその目をさらにこぼれ落ちそうなほど見開いた。
ーーーやっとわかった。マシューが、大使館で会った時から、ずぅっとレイに対しての呼び方のニュアンスやイントネーションを微妙に変えていた意味を。
「マシューもレイと同じよね。ずっと兄弟のように仲良くしてた相手をいきなり役職で呼ばなければならないなんて、とても寂しいもの。すごく頑張ってレイのことを『団長』ではなく『だんちょー』と砕けた感じで呼んでたのね。本当は今まで通り『レイ』と呼びたいのに」
そりゃそうよ。誰だってそうだわ。大事な人のことほど、名前で呼びたいって思うもの。
「でもまだ年若い自分が、他の団員の前でレイのことを名前で呼んでいたら、馴れ合っていると思われて要らぬ火種を生むと考えたのでしょう…うん、マシュー、あなたやっぱりとても立派だわ。役職なんていらないと言ったけど、交渉団副団長はきっとあなたしかいないわ」
…
…
ん?なんで沈黙…?
「そ…う、なのか?マシュー」
レイがポカンとしてマシューを見る。当のマシューは、口をあんぐりとさせて私を見ていた。
が、数分後ぽつりとつぶやいた。
「なにものなんすか?お嬢…」
マシューの言葉にいろいろ察したらしいレイがぽつりと返した。
「…後々…帰ってから話す…」
「わかったっす…」
なんで皆放心状態なのよ。
ーーーー
「マシュー、今日はとても楽しかったわ、ありがとう!ブリタニカに戻れたあかつきにはまた一緒に食事しましょうね!」
そう言って私はマシューの手を握る。
「いや、こちらこそっす。なんか今日はもう色々驚きの連続でまだ夢見心地なんすけど。…レイが護衛するのがお嬢で本当よかったっす。あいつのこと、よろしくお願いします」
マシューがぺこりと頭を下げる。
「なんで、お前によろしくとか言われなきゃなんないんだ…」
レイがぽつりと呟いた。素直じゃないなぁもう。ま、仕事をしている男性には色々あるのでしょう。
「…だんちょー。ちょっと」
不意にマシューが、レイを呼んだ。その目つきがいきなり鋭い眼光を発していて、私は思わず怯んでしまう。…なにか大事な話があるのね。そっとマシューから手を離し、私は背後に控えるマリアとエルグラントの元へとそそそと下がった。
マシューとレイが私たちに背を向けて何かこそこそと話を始めた。不意に見える横顔が二人とも険しい顔をしていて只事ではない雰囲気を醸している。
「団内で何かあったのかしら?」
私が言うと、エルグラントとマリアが若干厳しい顔を見せている。
「ど、どうしたの二人とも」
「…やっぱおかしいよな」
「ええ」
「え?え?なにが?」
マリアとエルグラントも何か感じ取ってるみたいだわ。どうしたのかしら。私の視線に気付いたマリアが口を開いてくれた。
「団長と副団長が、二人ともブリタニカを離れることは基本的にあり得ないんです。統制が取れなくなりますから。どちらかは絶対にブリタニカに残らなければなりません。…マシューがそれでも出てきたということは、彼の持つ権威でないと対処できないような不穏なことが起こっているということです」
「…だ、大丈夫かしら?」
「サラ嬢は心配すんな。きっと俺たちには関係ないことだ」
エルグラントがにっと笑ってくれるけど…本当に大丈夫かしら?
ーーーーーーーーーー
「マリア殿、エルグラントさん」
俺は目の前にいる二人に真剣な表情で呼びかける。マシューと別れたのちに、二人にこっそりとサラ様の就寝後に話があると伝えていたのだ。
「パッショニアが、各国のブリタニカ大使館に、ある情報の開示要求をしてきたそうです。今全ての大使館で返事は保留しているらしいですが。…マシューと他高位の団員複数名で、各国の大使館に絶対に開示要求に応じるなと回っているところだそうです」
俺の言葉に目の前の二人の空気が変わる。
エルグラントさんはもう気付いたみたいだが。
「…パッショニアが、開示要求している情報とは…まさか?」
ええ、と俺は言葉を続ける。
「俺の居場所と、俺が護衛している令嬢について」
「…なんでそんな…?パッショニアはそんなこと知って何にするの?」
マリア殿の言葉に俺は返した。
「覚えていませんか?パッショニアで俺に執着している王女がいたこと」
「いたけど…メリー王女だっけ?……は?!まさかあなたに会いたいとかあなたを見つけたいっていう個人的な理由で開示要求しているっていうの?!」
俺は頷く。
「ええ。そのまさかです」
「嘘でしょう…?そんなアホな理由で…?」
「開示要求には国王の許可がいる。そんなくだらない理由でブリタニカの重鎮人物の居場所を調べるよう国王が許可したとなれば…」
エルグラントさんの言葉に俺はええ、と返す。
「国際問題です。我が国からパッショニアへの信頼はガタ落ちだ。…それはまたブリタニカからの何かしらがあるでしょう。だが今考えるべきはそこじゃありません」
俺は眉間に皺を寄せる。俺が護衛についたばかりにこの世界で一番大事な人を危険な目に合わせるかもしれないのだ。
「…メリーは、恐ろしい女です。激情に身を任せて何をするかわからない。気に入らない者は平気で処罰します。国内においては稀代の悪女と呼ぶ者も少なくない」
俺の言葉に目の前の二人の空気が更に変わった。ほんと、聡すぎる。なんてぼんやりと頭のどこかで思う。
「大使館に口止めしたところで、ブリタニカでは有名なヘンリクセン公爵家のサラ様が護衛対象です。貴族のコミュニティを通してメリーにバレるのも時間の問題でしょう。…バレた時に、あいつは本当に何をしでかすかがわかりません」
「サラ嬢に危険が及ぶかもということか?」
エルグラントさんが言い、俺は頷く。
「刺客でもなんでも雇って、サラ様をかどかわしにくるか…どんな方法を取るかわかりません。ただ、居場所を知られた場合間違いなく接触してくるでしょう」
「レイが護衛から外れてもだめなの?」
マリア殿の言葉に俺は首を横に振る。
「…開示要求の内容。俺の居場所と、『俺が護衛している令嬢について』。すでにサラ様はメリーにとって標的の対象となってしまっています。…あいつはそうなったら、対象から興味を外すことはありません」
「つまりレイがいてもいなくてもサラ嬢に接触してくる可能性が高いということか。それなら、お前がいたほうがまだ安全だな」
エルグラントさんの決定に感謝します、という。
「それで…これから先お二人にお願いです」
俺は息を吸う。本来ならば、護衛は俺一人だ。でも目の前に俺より遥かに力も能力も勝る二人がいる。
…そしてこの二人の力を借りなければサラ様は護れない。
「新しく接触する人物、全てが敵だと思ってください。サラ様から絶対に目を離さないでください。情けないけど、俺一人じゃ…難しいんです。メリーは行動は短絡的だが、権力も自由に動かせる駒も持つ王族です。国王を動かすほどの寵愛も受けている。敵に回すと厄介な相手なんです。正式な護衛として、こんなことをお二人に頼むのは門が違うとわかっています。それでも…お二人の力の助けをもらわなければ、メリーの手からサラ様を完全に護れるとは…言い切れません」
力不足ですみません、役立たずですみません。
「俺のせいで!…サラ様を危険な目に合わせてすみません!…お願いします。
…力を、貸してください!」
俺は目の前の二人に向かって頭を下げる。情けない。本当に情けない。俺一人じゃ彼女を護り切る自信がないなんて。
「…力を貸して、と言われてもなぁ」
「ええ」
二人の返答の仕方に一瞬びくり、とする。でも、この優しい物言いは…
「俺たちに力を貸さない選択肢なんか鼻からないもんな?」
「力を貸さない理由もないわ。愛する愛するお嬢様のことだもの」
…そう、二人はこういう人物だ。だからこそ俺も頼めたのだから。
「レイ、…お前はすごいやつだよ。それだけの実力がありながら、いろいろなことを総合的に判断して、自分の力量が足りないと俯瞰で物事を見ることができる。お前ほどの力があれば大抵奢ってしまうからな。
…約束する。俺たちの最大限の力を使い、サラ嬢を護衛しよう」
「…何事もなく四人で笑ってブリタニカに戻りましょう」
エルグラントさんとマリア殿の言葉に涙が出そうになる。ありがとうございます、と告げた感謝はだいぶ弱々しく響いた。