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7.涙とぎゅ、っと

 マリアが優しく私の背中をさすってくれる。声をあげて泣いたのなんてどれくらいぶりだろう。最初はぼとぼとと涙がこぼれるだけだったのに、そのうち息ができなくなり、しゃくりあげるようになった。そっとマリアが抱きしめてくれて、レイの優しい瞳が私を心配そうにのぞき込んでるのを見てひどく安心して、今度は心が促すままに泣いた。

「寂しいよう…っ」

 心の中にあるのはその気持ちだけだった。馬鹿王子との婚約破棄も国外追放を言い渡された時も何にも思わなかったはずなのに。家族と離れることがこんなに怖くて寂しくてつらいことだなんて知らなかった。

「お嬢様、マリアがずっとそばにおります。寂しければ添い寝もしてあげます。だから大丈夫ですよ」

「サラ様。私では力不足かもしれませんが、私もそばにおります。決してあなたから離れるようなことはありません。だから、大丈夫です」

 マリアとレイの優しい言葉にまた涙腺が刺激される。

「ごめん…なさ、っ。しばらく…したらっ、落ち着くから」

 いいんです、いいんです。たくさん泣いて下さい、というマリアの声に甘えて、私はひたすら泣いた。



――――――


 目の前でしゃくりあげるサラを見て、レイは少なからず驚いていた。婚約破棄を言い渡された夜会でもあれほど凛とした立ち居振る舞いを見せていた令嬢が、肩を震わせ、小さくなり赤子のように泣いている。

――――ああ、そうか。

 妙にストン、と腑に落ちる。目の前の令嬢が一般的な令嬢よりはるかに大人びて、そして女王の風格すら漂わせているものだからすっかり忘れていた。


 彼女が、ただの十六歳の少女であることを。


 当たり前だ。十六歳と言えば私も七年前に交渉団に入団したばかりのころだ。それから自宅ではなく個人に割り当てられた宿舎で寝泊まりするようにはなったが、それでもたまには家族と語らい合いたくなり、会いに行くことが何度もあった。そうやって慣れない環境ゆえに生じる寂しさを紛らわせていたんだろうと、今なら思う。だが、目の前の少女はどうだ。三年前からわかっていたとはいえ、国外追放。冤罪が証明されるまでは再びこの国の敷居を跨ぐことは許されない。


 無意識に手がわずかに上がる。触れたい、と何の曇りもない感情を感じる。向かい合って座る彼女のその細くて今にも折れそうに震わせる肩に触れようとしていることにはた、と気づいて慌てて手を引っ込めた。

―――自分はっ!今、何をっ!!

 心臓がバクバクとうるさい。何をしようとしたのだ今。未婚の女性に許可もなく触れようとするなど、不敬もいいところだ。この間から心臓が不可解な動きを見せている。

 気を引き締めなければ。この先、国境を越えてしまえばどんな暮らしが待っているかなど予想もつかない。自分が交渉団に属していて本当に良かったと心から思う。隣接するほとんどの国の要人には顔が利くし、なおかつ友好な関係を築いている。なにがあっても守れる体制は整っている。

―――本当に陛下も適任を選ばれたものだ。

 今この時自分の能力や経歴が最大限に活用されることを思えば血反吐を吐くような訓練も座学も掌握術も何一つ無駄なものはなかったのだと心から思うことができる。

 目を細めて、向かいに座り少しずつ涙が落ち着いて侍女の胸に顔をうずめている少女を見つめる。かわいらしく、愛らしい女性だ。きっと誰もが彼女を好きになる。これほどの才や美貌を持ちながらも傲慢なところもない。守るには、そして従う相手として全く不足はない。

「…サラ様」

 自分で思うよりずっと甘い声が出て驚いてしまう。肩をピクリ、と振るわせたのちにその長く美しい栗色のまつげを濡らした少女が顔を上げた。

「寂しくなったら、いつでも言ってください。私は異性ですのでできることは限られていますが、あなたが一瞬でも寂しさを忘れてくださるならどんな花でも甘い菓子でもすぐに持ってまいりましょう。あなたが望むところに連れて行きます。あなたが望むことを行いましょう。何なりとお申し付けください」

 そのために私はあります。と伝えると、目の前の少女が困惑するのを肌で感じた。しまった、少し踏み込みすぎただろうか。

「ええと、なんでも…いいの?」

 その言葉にほっとする。よかった、踏み込みすぎたわけではなかったらしい。

「もちろんです」

 だが私は自分のその肯定の言葉を二秒後に後悔することになる。


「じゃあ、あの…抱きしめて、もらっていい???」


「はいっ!?」


 久々にこんな間抜けな声を出した。思わず座っていたところから滑り落ちるところだった。な、なにをおっしゃったのだこの令嬢は。

「やっぱり、ダメ…かしら。レイ、お兄さまと同じような体格だから…お兄さまにぎゅってされてるみたいに感じられるかな…って」

 恥じらいながら言われるが、未婚のしかも恋仲でもない女性を抱きしめるわけにはいかない。どうしたらいいのだと、困惑の表情で侍女であるマリア殿に助けを求めると、彼女は頷き、その目を通してはっきり私に伝えてきた。


『諦めて、抱きしめろ』


 嘘だろ…と思わず素が出そうになる。旅を始めた瞬間この試練は何事だ。始めた途端からこの試練なら、これから先どんな過酷な試練が待ち受けているんだ。そんな私の思考を見透かしたかのようにマリア殿がまた頷き、視線で伝えてくる。


『覚悟しとけ』


 マジか…と、とうとう脳内で素の自分が顔を出した。それくらいあまりにもこの衝撃は強い。目の前の少女に他意など全くないことは判る。だが、誰にでもこうなのかと考えると無防備すぎて不安しかない。しかしもういつまでも待たせてはいけない。私は気持ちを切り替える。

「…しつ、れいします」

 こほん、と咳払いをして椅子から腰を浮かしておずおずと手を伸ばし彼女の頭を胸に引き寄せる。ふわりと香る香りとその柔らかさに眩暈を覚えた。そっとそっと頭を優しくなでる。変な煩悩が出ないように前飼っていたボーダーコリーを必死に思い出す。大丈夫これはサラ様じゃない。これはボーダーコリーのジェイク、これはボーダーコリーのジェイク…ジェイク、人懐こくてかわいかったボーダーコリー…


「ふふっ、あったかい」


 抱き込めた腕の中から出てくる声にボーダーコリーのジェイクが一瞬で姿を消した。

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