65.レイとマリアとエルグラントの深夜酒【挿絵あり】
遠乗りを終えて、一見そうは見えなかったもののサラ様はひどく疲れていたようだ。
エルグラントさんの家に戻ると、夕飯もそこそこにマリア殿に湯あみに連れて行かれた。そしてそのままベッドに倒れ込むようにして眠りについてしまったらしい。
「充実した時間だったみたいね。それはそれは寝る直前まではしゃいでおられたわ」
マリア殿がサラ様の部屋から出てきて、大広間で飲んでいる俺とエルグラントさんに言ってきた。
「はい、すっごく楽しかったです。マリア殿もどうですか?」
俺が酒瓶を持ち上げて問いかけると、いただくわ、と返ってくる。すぐに立ち上がってマリア殿のグラスを用意するためにキッチンに向かおうとすると手で止められた。
「自分で用意するからいいわ」
「でもっ…」
「お酒の席で気を遣ったり遣われたりって煩わしいじゃない?」
マリア殿が笑いながらキッチンへ向かう。すぐさまグラスと皿に入れたナッツを手に持って現れた。
「それで?どうだったの?」
マリア殿がソファに座ると同時にマリア殿のグラスにエルグラントさんが酒を注ぐ。俺がしようとしたら止められるんだろうな、なんかもうこの二人には入り込めない空気がある。
「どう、といいますと?」
「存分にイチャイチャできたか?ってことだよ」
「ゴホッ!!!」
エルグラントさんの言葉に俺は盛大に咽込んだ。
「イ、…イチャ…って…!」
咽込んだ俺を見てエルグラントさんもマリア殿もニヤニヤしている。
「まぁ、可愛かったもんなぁサラ嬢。あれはイチャつきたくなるな」
「お嬢様は天使だから」
おそらくサラ様の乗馬服のことを言っているのだろう。確かに…ものすごく可愛くて。初めて見た時もそりゃめちゃくちゃ可愛かったけど、今日はまた格別だった。
俺が選んだ乗馬服を身に纏って俺と一緒に遠乗りに出かけるんだと思うと、なんだか、こう、ぐっと胸のあたりが締め付けられる感覚があった。
「しかし、レイ。お前な…その反応…イチャイチャしていないつもりなんだろうけど、結構俺らに見せつけてるぞ。気付いているか?」
エルグラントさんが笑いながら言い、俺は「へっ?」と変な声を出してしまう。
「お前が遠乗りに行こうとサラ嬢から言われたときに、ふっつーに『ええ、デートしましょう』とか言っていたのな、あれは笑った。デートの誘いなんて、好きな女にしかしないからな?しかも俺の目の前で堂々と」
気持ちダダ漏れ。自重しろよ、エルグラントさんがくくっとおかしそうに笑う。
「あと、今朝のアレ。サラ嬢を馬に乗せる時もな。わざわざ抱きあげなくとも、手を取って誘導すりゃいいモンを。馬上でもイチャつきやがって。腰に腕を回せなんて、普通言うか?せいぜい服に捕まってろとかそこら辺だろ」
おかしくてたまらないと言ったふうにエルグラントさんが言い、俺は目を丸くする。そんなおかしいことを言ったりしたりしただろうか?
「ほら。わかってねえだろ?そこらへんが無自覚でイチャついてるって言ってんだよ」
くっくっく、っと、エルグラントさんが楽しそうに笑う。
俺は今朝のことを思い出す。サラ様を馬上に乗せた時。壊れるのではないかと思うほど腰が細くて。軽くて。
それほど細いのに柔らかいところはちゃんと柔らかいし、髪を全て上げたせいで露わになったうなじは眩いほど白いし、なんだか花のような甘い香りがするし、本気でクラクラした。
でもイチャついてる、と言われると…
「イチャ…ついてはいないと思います。遠乗りの間もくっついておでこをコツンとし合ったり…手を繋いだりはしましたが、イチャついたかと言うと…そうではないと言うか…」
「んんっ??」
エルグラントさんがニヤニヤしながらマリア殿のほうを向いた。
「なぁ。マリア、最近の若者と俺ら世代だとイチャつくの基準が違うのか?」
「過去から未来に至るまでイチャつくの基準は大抵一緒よ…」
「無自覚こええな…」
エルグラントさんの言葉にマリア殿が頷いて諦めたように酒をグラスに注いだ。
「無自覚と言えば」
マリア殿が酒を口に運びながら言う。
「求婚発言も驚いたわ。私は」
突然のマリア殿の言葉に咽せそうになるのを俺は必死で堪えた。
「あー、あれな。全くの無自覚で言っちゃってたからな…」
「あのときは…っ!必死で。一応…身分的には…結婚相手として不足は無い、と自覚はあるので…っ!責任は取れるなと、思っただけで…」
「あとお嬢様の爆弾発言ね。求婚してもらうためにわざと怪我をしようと思ったわ、みたいなやつ」
「ーーーゴホッ!!」
だめだ今回は本格的に咽せた。強い酒が気管に入ってしまい、俺は涙目になりながら咳き込む。
ーーーなんだよこの羞恥プレイ!!!絶対エルグラントさんとマリア殿俺で遊んでるだろ。
「よかったじゃねぇか。男としては嬉しいだろ?」
「そりゃ…っ、そうでしたけど…サラ様は別に俺のことを好きとか…そういうんじゃないでしょうし…ただ、結婚相手として不足はないと思ってくださってるだけの話でしょうし…」
…。
……?
ん?なんだか目の前の二人の様子がおかしい。エルグラントさんは目をこれ以上ないくらいに見開いてるし、マリア殿に至っては呆れた顔をしている。
「マジかよ…」
「マジよ。この二人が進まない一番の理由。お互いに自分のことを好きになるわけないと思ってるところね」
「…はーーー」
いや、そんな溜め息をつかれても。
「その通りですよ、サラ様みたいな素敵な人が俺を好きになるだなんて…そりゃ、いつかは心を欲しいと思ってます。でも正直まだ俺はサラ様の足元にも及んでない状態です…だから、まだまだ努力しないと」
俺の言葉にマリア殿もエルグラントさんも表情を変えた。
「…不足はないと思うんだがな。立場的にも、お前自身の実力的な面でも」
「確かにあなたは、少し抜けたところはあるけれど、人柄においてもお嬢様の隣に立つにふさわしい相手だと思ってるわよ?」
二人の優しさがとても嬉しい。本気でそう思ってもらえてることもとても嬉しい。…でも。
「今日、聞いたんです。サラ様に。なんで女王になることを受け入れたのか?って。そしたらなんて答えたと思います?」
俺の問いにエルグラントさんは首を傾げ、マリア殿は表情を変えずに口をキュッと結んだ。おそらくマリア殿はサラ様から色々聞いているんだろう。
「この先、サラ様ではない誰かが女王になったとして、その者が権力を濫用したり民を苦しめる王だったら?そう考えた時に、自分はそうはならないっていう確信があった、そんなふうに言われたんです」
そう、あの言葉。
「…姉君がサラ様に女王という立場を打診したのはサラ様がわずか齢六のときです。…考えられます?六歳の少女がすでにそんな決意を持ってたんですよ?」
王なる器たるものは幼い時からその器なのだと思い知らされる。
それに、と俺は言葉を続けた。
「『女王としての責任の大きさ、責務や執務内容をシャロン陛下から聞いた時に単純に『できる』って思った』とも。…あれだけの量の執務や責務を、『できる』と、いとも簡単におっしゃったんです」
俺はそこまで言って一口酒を飲んだ。ふう、と息を小さく吐いて言葉を続ける。
「…格が、違いすぎます」
俺の言葉にマリア殿もエルグラントさんも頷く。これはもう二人も思っていることなんだろう。
「六歳でそんな覚悟を持っていたことも、女王の仕事を『できる』と言ってのけたのも、普通の人間ならただの戯言にしか聞こえません。でも相手はあのサラ様ですから。…戯言ではないでしょう。そんな方の心をいただくには…俺はまだまだ力不足です」
「そうか…」
エルグラントさんが言い、俺ははい、と返事をする。
「…の、割にはイチャついてるよな?!!!」
「ええ、なんかいい話のような気がしてたけど、よく考えたらそんなこと言いながらめちゃくちゃイチャついてるわよね?」
エルグラントさんとマリア殿が盛大に俺の話を覆す。
「イヤだから!イチャついてませんってば!」
「「ついてるわ!!!」」
二人からの突っ込みが入り、これを機にイチャついてるついてないの押し問答は夜中まで続いたのだった。