62.求…婚???
レイは朝早くからシオンを走らせてきたらしい。私は寝ていたから全く気付かなかったけれど。起きたら、すでにレイはひとっ走りして湯あみを終えた後だった。
朝食はマリアとエルグラントが作ってくれた。
二人が準備している間、私はぼんやりと寝ぼけ眼でテーブルに肘を掛けて、頬杖をつきながらキッチンに立つ二人を見ていた。
スープをマリアが作って、パンをエルグラントが焼いて。時折二人で味見をさせ合いながら、幸せそうにくすくすと笑い合っている姿は、本当に本当に幸福そのもので、私は朝から心がほわほわと温かくなるのを感じていた。
料理なんてしたことはないけれど、教えてもらおうかしら。私もあんな風にレイと一緒に作りたいわ。
ーーーーー
「準備ができたらのんびり遠乗りに出かけましょうか」
皆で向かい合って朝食を摂っているときにレイが言ってくれる。すぐさまマリアが釘を刺した。
「お嬢様、きちんとレイに捕まっていてくださいね。レイ、もし仮にお嬢様を落馬でもさせたらあなた命はないと思いなさい」
おお…今日はマリアかなりの強火だわ。
「わかりました」
答えるレイの額にうっすら汗が見えて私は慌ててしまう。
「マリア、脅しすぎよ。私なら大丈夫よ。落馬しても多少怪我をするくらいでしょう?」
「甘いです。お嬢様。消えない傷が残ったらどうするのです?あなたは未婚の公爵令嬢です。御身に傷一つ、つけてはならない立場です」
「…傷がついていたら私は結婚できないとかそういう話でしょう?」
「結婚は可能でも、良縁は望めないかと」
「いらないわよそんなの。マリアだって分かっているくせに」
私はぷうと頬を膨らませる。
「もちろん分かっています。あと、お嬢様の身に何かあったら私は全責任を取ってヘンリクセン家を辞めなければならなくなりますので。とにかくレイはそれほどの責任を持ってお嬢様を馬に乗せろということです」
マリアがレイに向かって言う。
良縁はどうでもいいけれど、マリアが辞めてしまうのはかなりかなり困るわ、なんて考えていたら。
「もちろん何もないようにしますが、何かあったら俺もきちんと責任をとります」
レイが強張った声を出して、私は思わず隣に座る彼を見た。最近では当たり前になっていたほわっとした空気は鳴りを潜め、ぴりっとした空気を出しながら真剣な表情になっている。最初に会ったときの風格そのままだわ。圧、圧が!怖い!
「…どうやって?」
レイの真向かいに座るマリアが挑発するように言う。うう…朝ご飯中にこの二人のビリッとした威圧の出し方は食欲を失わせるわ…
「良縁がないと言うのなら俺がサラ様に求婚し、彼女を貰い受けます。マリア殿についても、あなたがヘンリクセン家を辞めさせられないように王族の権限でもなんでも使います」
…
……。
ん?なんか今すごいことをさらっと言わなかった?
マリアは目を丸くさせているし、…エルグラントは何故か笑いを噛み殺しているけど。でも。
「ーーーレイ、今…あなたマリアのために王族の権限を使うと言ったの?」
「いやいやいやいやいや今つっこむのそこじゃないだろう!?」
エルグラントが急に笑い出した。そこじゃないって言われても。
「だって、マリアのために王族の権限まで使うだなんて。こんな力強いことないわ。マリアの生涯雇用が約束されたようなものじゃない!」
「サラ嬢。マリアはいい。辞めさせられても俺が養う。今サラ嬢が拾うべきはそこじゃない。その前だその前」
その前?
エルグラントの言葉を受けてキョトンとした顔をしている私にマリアが大きな溜め息と共に教えてくれる。
「レイがあなたを貰い受ける、と言ったことです」
ーーー!!!そう言えば!
レイの言葉を思い出し、私は未だきりりとした顔をしているレイに思い切り向き直る。
「レイ、あなた…私に何かあったら貰い受けてくださるの?」
「はい」
淀みない目。嘘のない目。なんだろう、とてもとてもとてもとても嬉しいわ!!
「ありがとうレイ!とっても嬉しいわ!そのときは、求婚していただけるのを待っているわね!」
そう言ってレイの手を取る。そんな私をレイが優しく見つめてそっと言葉をくれる。
「はい、そのときはあなたに求こ……」
ん?レイの動きが止まった。と、思ったらみるみるうちに真っ赤になっていく。
「ど、どうしたのレイ」
「求…っ!?俺、今何…っ、きゅ…こ、ん???!!!!」
「レイ!?レイ!?しっかりして!どうしちゃったの?!」
真っ赤になった全身を固まらせながらも口だけパクパクと動かしてまるで壊れたロボットのようになっているレイを私はガクガクと揺らす。
「おいおいマジかよ!お前やっぱり今の無自覚かよ!!!」
急にエルグラントがお腹を抱えて笑い出した。
「嘘でしょう…?」
マリアも信じられないと言う顔をしている。
「えっ、まさかレイ今の適当に言ったの?」
エルグラントとマリアの反応に、私は急に不安になる。無自覚ということは適当に言ったということだろうか。適当な言葉には聞こえなかったのに。
「ち!違います。絶対に適当とかそんなことはないです!た、ただ…っ!」
「本人はお嬢様を守るために衝動的にとは言え本気で発した言葉だったんですがいきなり順序すっ飛ばして求婚まがいのことをしたことに突然気付いてそれから自分のお嬢様に抱いてる感情も思い出して俺は一体何を口走ったんだ?!と一人パニックになってるだけなので気にしなくて大丈夫です」
「マリア殿!!!」
レイがマリアに向かって真っ赤になりながら大きな声を出す。
「え、ええと、つまり適当ではないのね?」
なんだかよくわからないけど、レイに確認してみる。
「…適当、…っではないですが…」
「ないですが?…『が?』ってなに?」
なんだか否定のようなその一文字に悲しくなってしまう。求婚してくれると聞いてとてもとても嬉しかったのに。
私の悲しそうな表情を見て、レイがうっと言葉を詰まらせる。
「おいおいレイ、そこら辺を直せって。自分で言った言葉は最後まで責任持て。恥ずかしがって女性を不安にさせてんじゃない。この前マリアに怒られただろうが」
「ヘタレ」
エルグラントが苦笑しながらレイに言い、マリアは辛辣な一言を投げている。
うう、尊敬している二人にそんな圧をかけられたら、レイは頷くしかないわよね。…そんなの本意じゃないわ。
「…なんだか、これじゃ無理強いしてるみたいね。ごめんなさい。一瞬でもそう思ってくれたことが嬉しかったわレイ。ありがとう。大丈夫よ、もうこの話題は終わりにしましょう?」
にっこりと笑いながら、そっとレイから手を離そうとしたら、逆にガッとその手を掴まれた。
「…!すみません!違うんです!!!いきなり求婚みたいなことをした自分に驚いて照れてしまっただけで!…言葉は全て一語一句違わず本気ですから。信じてください!」
申し訳ないけどレイの目を見せてもらう。うん、やっぱり嘘偽りのない真剣な目。適当に言葉を発する人じゃないもの。
…嬉しい。
「…ありがとう、レイ。とても嬉しいわ。あなたを信じるわ。…ふふっ、私ね、あなたが求婚してくださるなら、わざと馬から落ちて怪我しちゃおうかしら、なんて思っちゃったのよ」
マリアに怒られるから言わないでおこうと思ったんだけど、と続けて言う。自分で言ってておかしくなり、私はふふふっと口元に手を添えながら笑ってしまう。
…。
……。
…ん?返事がない。まずいわ、怒ってしまったかしら。
恐る恐る顔を上げると、さらにさらに顔を真っ赤にさせたレイが目を丸くして私を凝視していた。
「レ…レイ?」
「…こ…うえいです」
私の呼びかけにはっとして、でもレイがやっとのことで声を絞り出している。光栄?なにが光栄なの?
「そこまでしてでも求婚して欲しいってことか…男冥利につきるなぁ、レイ」
エルグラントがニヤニヤしながら言っている。
「いくら求婚して欲しくてもわざと怪我したら怒りますからね」
マリアがぴしゃりという。さすがにそんなことしないわよ、とぷうと頬を膨らませると、エルグラントが大爆笑している。
「ほんっと、サラ嬢は特にこれ系の話題は自分のこととなるとさっぱりなんだな。爆弾を落としまくってることに全然気づいてないぞ。そのうち被弾して死ぬぞレイ」
「もう何度も直撃食らってます。心臓持ちそうにないです…今からデートして大丈夫なんだろうか俺…生きて帰れるんだろうか」
レイがうわごとのように呟いている。
ほらまた。この取り残されている感覚。三人だけわかってて私全然わからないこの感覚。
「ま、いいでしょう。とにかく、お嬢様の御身を第一に。あまり体力があるほうではないから、無理はさせないで頂戴」
マリアが皆のティーカップに紅茶を注ぎながらレイに言う。
レイもまた情けない顔をしながらもはい、と頷いている。
「遠乗り、楽しみだわ。レイ、よろしくね」
まだ繋いだままだった手を軽く振りながら私はレイにお願いした。