60.婚約祝いと、
「レイ、本当にありがとう。とっても素敵な乗馬服だったわ!それにお金まで払ってもらって…」
あのあと、生活に必要なものなどを一通り買い込んで馬車に乗せてから、私たちはエルグラントの馬、シオンが預けられているという厩舎に足を運んでいるところだった。
馬車で行くには近すぎる距離だったため、馬車には町中で待機してもらっている。
「いえ、本当にお似合いでした。サラ様はなんでも着こなしてしまいますね」
「それは言い過ぎよレイ」
笑ってしまう。相変わらずの強火君。
そんな会話をしていると、小さな厩舎に辿り着いた。こじんまりとしてはいるけど、隅々まできちんと手入れがされている。後ろに草原が広がっていて、厩舎から自由に馬たちが出入りができるようになっている。
恐らく預けられているのか飼われているのか、他にも馬が数頭いるが、全ての馬が綺麗に磨かれている。
ここの管理人さんは本当に馬を愛している人なのね。エルグラントが信頼して愛馬を預けて出かけられるのも納得だわ。
「さあ、着いたぞ。おい!ヘンリーいるか?!エルグラントだ!!!」
エルグラントが厩舎の中に向かって大声を出した。
ひぇぇ、何という声量。空気が震えたわ。
「うっせーぞ!そんなデカい声出すんじゃねえよ!馬がびっくりするだろうが!!」
怒鳴り声と共に、厩舎の奥の方からレーキを持ったすらっとした男性がひょこりと顔を出した。
「お前だって似たようなもんじゃねーか。シオンが世話になったな」
エルグラントの言葉にヘンリーと呼ばれた男性はにかっと笑ってこっちに近づいてきた。
「いやー、やっぱりお前には勿体ないぜ。あの馬は。なんならずっとここに置いててくれてもいいんだが」
「断る」
エルグラントが即答している。ふふ、本当にシオンが大事なのね。
ヘンリーさんが近くに来る。思ったより若い。声を聞いてエルグラントよりもう少し年上だと思っていたけど、恐らく三十代半ばだわ。真っ黒に日焼けした顔に、黒々とした髪の毛。切長な目は、一見強面に見えるけれど、その奥の、髪の毛同様黒い瞳がとても優しい光を灯している。うん、間違いなくいい人。
どちらかというと東洋寄りの家系なのかしら。黒髪に黒い目は文献でしか見たことはなかったわ。
「ん…っ?!なんだこの綺麗な集団は!お前の連れか?なんだこの美女二人は!なんだこの美男子は!」
ふふふっ、思ったことが全部口に出るタイプね。エルグラントにどこか似ているわ。
「こっちが、サラ・ヘンリクセン嬢。んでこっちがサラ嬢の護衛のレイモンド・デイヴィス。…んで、これがマリアンヌ・ホークハルト」
「これってなによこれって」
マリアが口を尖らせているけど、エルグラントがあまりヘンリーさんが萎縮しないように簡単に紹介をしてくれたことに感謝する。他国とはいえ公爵家の娘はまあともかく、王族がきているなんて知ったら誰だって卒倒するもの。
あっ!ご紹介に預かったのだからご挨拶しないとね。私はすっとスカートの裾を摘んで軽くお辞儀をした。
「お初にお目にかかります、サラ・ヘンリクセンと申します。ブリタニカより旅行で参りました」
「護衛を勤めていますレイモンド・デイヴィスです」
「サラ様の侍女を勤めております、マリアンヌと申します。どうぞマリアとお呼びください」
私に続いてレイとマリアも挨拶をしてくれる。これでどこからどう見てもどこかの貴族令嬢のわがままお忍び旅の完成だわ。
「いや、これはどうも…こんなむさくるしいところにこんな綺麗なお嬢さんたちが現れるとは思ってなかった。…ん?マリアンヌ?マリア…お!おいまさかこの綺麗な姉ちゃんが…ずっと探してた…!」
ヘンリーさんがマリアを見ていきなり何かを思い出したように声を上げた。エルグラントがドヤ顔で頷く。
「ああ、そんで今は俺の婚約者だ」
「マジかよ!!!!!くっそーーー!!!なんだよお前!おいおいマジかよ!なんでこんな綺麗な姉ちゃん捕まえたんだよ!くそ!どう見たってお前より十五は下じゃねえか!犯罪だろ!!!」
「マリアは俺と同じ歳だぞ」
「は…?」
ヘンリーさんの目が丸くなる。無理もないわ。マリアはどう見ても二十代前半だもの。
「嘘だろ…俺より年上…?その美貌で…?くっそ!!!羨ましすぎる!見た目は若いのに中身が熟してるとかどんだけだよ!エルグラント!男の願望全部叶えやがって!!!くそ!ムカつく!預かり賃二倍にしてやる!!!」
そう言って、ヘンリーさんはどしどしと歩いて厩舎の隣に併設されていた事務所のようなところに入っていった。まるで嵐のような人だわ。
でもとてもいい人。マリアが婚約者だと聞いた時、言葉遣いと裏腹に顔が満面の笑みだったもの。
でも…
「二倍って…それは流石に良くないんじゃないかしら…」
私が不安な声を出すと、エルグラントが笑って言ってくれた。
「口先だけだ。いつも二倍だの三倍だのいうが、実際に取られたことはないさ」
エルグラントの言葉と同時にヘンリーさんが事務所から出てきた。一枚の紙を持っている。請求書だろう。
「ほらよ!査収しろ!」
そう言ってエルグラントの胸元に乱暴に押し付ける。
「わかってるよ、待っとけ」
エルグラントが胸元から財布を出しながら請求書を受け取り、それに目を通したーーー途端、
「おい…ヘンリーこれ…」
エルグラントが目を丸くしている。どうしたのだろう。マリアとレイと一緒にエルグラントの後ろからその請求書を覗き込む。と、
…まさかの金額が書いてあった。
エルグラントが、呆然と声を出す。
「ーーーーなんだよ、ゼロって…」
「婚約祝いだ!受け取っとけ!」
ヘンリーさんが、ぶっきらぼうな口調で言う。口調はそうなんだけど、本当に嬉しそうに笑いながら。
「いや!そういうわけにはいかないだろ!今回は長い間預けてたじゃねえか!餌代だけでも相当な金額行くだろ!?」
エルグラントが慌てている。相場は分からないけれど、その口調からすると相当の額をゼロにしたのだろう。
「受け取らねえならシオンを代わりに貰う」
「いやその取引は意味わかんねえぞ?????」
尚も食い下がるエルグラントに、ヘンリーさんは聞く耳などまるで持たない。
ふふ、と私は笑ってしまう。このままでは収拾がつかないし、マリアは自分たちの婚約に関することだし、口出しはしにくいだろう。レイにとっても上司だしね。彼も口は出せないだろう。
ならば、僭越ながらここは私が。
「…エルグラント、気持ちはわかるけどそれは受け取るのが礼儀だと私は思うわ」
「サラ嬢…」
まさかの方向からの追撃にエルグラントが焦ったように私を見る。
「だってそれはヘンリーさんの心からの祝福だもの。それをあなた受け取らないの?申し訳ないと思うのであれば、申し出を断るよりも、これから先もここの厩舎を懇意にするほうがよっぽどいいのではなくて?」
ヘンリーさんも私の言葉にうんうんと頷いてくれる。
「…そうか、そうだな。わかった、ヘンリー。ありがたく受け取らせてもらう!クーリニアに来た時にはここを使うように仲間たちにも言っておくからな!」
エルグラントがやっと納得してくれてヘンリーさんも笑っておう!と返している。よかった。
「ほら、マリアも」
エルグラントがマリアに呼びかける。それに応えてマリアもエルグラントの隣に並んで軽くお辞儀をした。
「感謝しますわ、ヘンリー様」
「やめてくれよ、様なんて柄じゃねえよ。あんたたちの方がよっぽど身分は上だ。ヘンリーでいい。敬語もやめてくれ。俺もマリアって呼ぶからよ」
「…わかったわ、ヘンリー。感謝するわ」
照れ臭そうに笑うヘンリーは、やっぱりとってもとっても良い人だった。