6.物騒だわ
「この三年で大体のものは揃えておりますから大丈夫ですわ、お父様」
私の言葉になかなか父親であるヴィンセントは首を縦に振らない。
「旦那様、お言葉ですが、お嬢様の用意は完璧です。どこの国にいっても対応できるよう荷物はすでに各国に送ってあります。それに行った先に店が全くないわけでもありませんし、いくら何でも馬車五台はやりすぎかと。これでは国外追放ではなく、ただの裕福なお嬢様の長期旅行状態になってしまうではありませんか。目立ちすぎです」
マリアの言葉に私もうんうん、と頷く。
旅立ちの日。出発予定時刻一時間ほど前。ヘンリクセン公爵家の目の前にはどこのお金持ち貴族の馬車だ…と誰もが振り返るような豪奢な馬車が五台陳列していた。
「まるでここまでしちゃったらキャラバンだわ、お父様。目立ちすぎて山道なんか逆に賊に狙われてしまいます」
「それでもね、サラ。愛しい娘が国外追放ってなるのに心配しない親はいないものなんだよ」
肩を落としヴィンセントは小さなため息を吐く。
「君があの馬鹿王子と婚約破棄になったことは非常に喜ばしいんだけどな…これから何年か会えないと思うと…」
そう言ってさらに肩を落とす父親に私はぎゅっと抱きつく。家族に会えないのは私だって寂しい。
「お手紙を書くわ。たくさんたくさん行った先の風景とともに、家族の皆にお手紙を書くわ。一定のところにとどまるかはわからないけれども、お父様もお手紙を頂戴。お仕事のこと、おうちのこと、たくさんたくさん書いて頂戴」
それで繋がっていられるから。というと、お父様はぎゅっと私を抱きしめ返してくれた。
「「サラ」」
ふと声のするほうを見ると、玄関から支度を済ませたお母さまとお兄様が出てくるところだった。
「お母さま、お兄様」
なんだか泣きそうな顔だ。うん、わかる。やっぱり寂しい。
まずお兄様が私に近づきそっと抱きしめる。
「サラ、気を付けて。なにか問題が生じてどうしようも立ち行かなくなった場合は必ず我が家に早馬を出すんだよ」
「はい」
「旅先で詐欺にあわないようにね。お前は詐欺だとわかっていても乗っかっちゃうような怪しいところあるから」
「ん??」
「あと、興味が出たからと言っていろんなところに首を突っ込んだり、潜入したりするのはだめだからな。本当に何度それで肝を冷やしたことか」
「んんん???」
「あ、あと、これは絶対守れ。マリアとレイ以外の人間に絶対に気を許すな。気の抜けた笑顔禁止だ。たいてい勘違いする」
「んんんんん????」
お父様もお母さまも使用人たちも皆途中まで普通にうんうん、と頷いていたのに特に最後の言葉だけ頭がもげそうなほど頷いているのはどういうことなの。
「わ、わかったわ?」
よし、わかったな、と再び念を押されて体が離れると今度はお母さまがふわりと私を抱きしめてきた。私と同じ栗色の髪を美しく結い上げ、同じく栗色の瞳をゆらゆらと揺らめかせている。朝だから薄化粧だけど、それでもとても美しい人。その目には涙が溜まっていた。
「お母さま」
「サラ…」
お母さまの匂い。いつでも優しくほんわりと周りを温かな優しさで包んでくれる愛おしいお母さま。
「すごく…」
「はい」
「………眠いわ」
肩ががくりと落ちる。そう、お母さまってこういう人。思わず苦笑いして、仕方ないじゃないですか、と笑ってみせる。夜になってこそこそ動くより、朝のほうが幸先がいいに決まってる。
「なんでこんな朝早く出るの…」
「お母さま、朝弱いのにごめんなさい」
ぎゅっと抱きしめる。
「…もっと、ゆっくり出て行っていいのに」
はっとした。お母さまの肩が震えている。
「…明日でも、明後日でも一年後でも出発はゆっくりでよかったのに…っ!」
震えるお母さまの小さな肩に私も顔をうずめる。
「…親不孝な娘でごめんなさい」
そういい、少しだけ顔を傾けてお母さまの頬にキスを送る。愛しているわ、私の家族。
「体にだけは気を付けて。何があってもレイモンド様とマリアに守ってもらうのよ」
はい、と返し、私は母様から体を離した。
と、同時に遠くから馬の蹄の音が聞こえる。そろそろ彼も到着するころだ。
「おはようございます。ヘンリクセン公爵閣下。奥様。ロベルト様。…サラ様」
美しい漆黒の鬣を靡かせた立派な馬に乗って彼は颯爽と現れ、身軽な身のこなしで馬から降り、私たち一家へと膝を折り挨拶を行う。ロベルトというのは兄の名。本当に礼儀正しい青年だ。
「おはよう、レイ」
にっこりと笑って見せると、まるで眩しいものを見つめるかのような瞳で笑い返してくれた。うう、そのイケメンぷりは朝の脳には過剰摂取だわ…ただ、ひとつだけ疑問があるのだけれど…
「ねえ、レイ」
「はっ!」
いや、だからなんで毎回そんなかしこまって「はっ」とか返事しちゃうの。これから先もずっとそんな感じだったら肩凝っちゃうわ。旅が始まったらもっと態度を崩してもらうようにお願いしよう。
「な、なんでそんな鎧着込んでるの?」
そう、レイは鎧を着込んでいた。ご丁寧に剣まで腰に差している。だが私の質問に本当に意味が分からないといった顔をレイは見せる。
「なんで、とおっしゃいますと?」
「私たちは今から戦争に行くのでもなければ隣国に交渉に行くのでもないのよ?しかもあなた馬で来たってことは馬車には乗らずに後ろを馬で付いてくるつもり???鎧を着込んだ状態で?」
「な、何か不自然でしょうか?」
はーっと私は頭を抱える。お父様にしろレイにしろ、なんで敢えて目立つ道を選ぶの…もういいわ。敬語敬称なしってレイ本人が言っていたんだもん。好きな風に言わせてもらうわ。
「ただの令嬢の護衛に、鎧を着込んだ騎士然とした人間が着いてくるわけがないでしょう!?その剣も所持は許しません!物騒だわ!持つのは護身用程度のもので十分!着替えてきて!…マリアっ!」
パチン、と指を鳴らす。
「はいっ」
「引っぺがしてしまいなさい。服はお兄様の予備で買っていたものを使って」
「はーい!」
私の言葉に嬉しそうにマリアはレイの首根っこを掴む。
「ちょっ!え…っ?」
レイは困惑の表情を隠せない。当たり前だ。大の男、しかもこの国でもおそらく数本の指に入る実力者がマリアにより軽々と引きずられていくのだから。あっという間にヘンリクセン邸内へと連れていかれる。
「…マリア、怪力だからなぁ…」
お父様のぽつりとつぶやいた声に一同がうんうんと頷いた。
――――――
「や、やったわね、マリア」
「はい、やり切りました」
数分後、目の前に連れられてこられたレイを見て私はゴクリと喉を鳴らす。
黒のシンプルなシャツにベストを合わせ、赤色の細いボウタイを占めている。黒色のズボンにブーツ。一般的なこの国の男性の服装なのに、どこぞの雑誌の表紙を彩るモデルかと見間違うほどのイケメンオーラが半端ない。団服だと筋肉質に見えたのに、そうやって一般男性の格好をしていると途端に線が細く見えるから不思議だ。
「レイ、ものっすごく格好いいわ」
思わず拍手をしてしまうと、レイはわずかに肩をびくりと震わせほんの少し頬を染めた。
「きょ、うしゅくです…」
「鎧は置いていくわね。剣は一応持ってはいくけど、所持禁止ね。護身用のものをマリアがその服の中に仕込んではいると思うけど、何かあったら戦わずにまず逃げましょう。逃げるが勝ちよ」
私も足は速いのよ!と笑って見せると、レイはほっとしたように笑う。
だから!そのイケメン笑顔!いきなりはやめてってば!
―――――
レイが持ってきた馬はお父様が従者に言って、王国交渉団本部へと届けさせることになった。最初は恐れ多いと渋っていたレイだったが、最後には私とマリアに押し切られる形で馬車に乗り込むことになった。うん、いつまで続く旅になるかわからないもの。せっかくならできるだけ同じ空間にいて仲良くなりたい。
「それじゃ、お父さま、お母さま、お兄様。行ってまいります。…アースのことは恨まないでね。私が自分の意志でこの道を選んだのだから」
馬車の前でお別れを言う。あぁ、やっぱり寂しいなぁ。これ以上挨拶の言葉が長引くと、出さないと決めていた涙が出てしまいそうで私はレイに目配せだけでエスコートを促す。すぐに察してくれたレイが手を取り、私を馬車の中へと誘導した。続いてマリア、そしてレイが最後に乗り込んだ。
御者が私たちに出発の意向を聞き、私は頷いた。ぱんっという鞭の音とともに馬がゆっくりと動き出す。
「行ってくるわ!たくさんたくさん見聞を広げてまいります!最高のレディーになってまたお会いすると約束します!」
窓から精いっぱいの言葉と笑顔を投げかける。
愛してる。愛してる愛してる。十六年間注げるだけの愛情を注いでくださった愛する家族たち。笑顔で、たくさんたくさん手を振る。
家族の姿が小さくなっていく。堪えて、堪えて、それでも最後に、姿が見えなくなる直前兄さまが眉間を押さえたのを見てしまったらもう駄目だった。
ぼたぼたぼた、と気が付けば大量の涙が目から溢れていた。