50.タネ明かしその2
「まさか…あのとき?」
レイの言葉に私は頷いた。
「ええ、最初にレイと受付に行った時。あの時受付の人が顧客名簿を一階から十階分までめくっていってたでしょう。でも私たちの部屋が十階でよかったわ。三階とかだったら、エルグラントのいる八階まではめくらなかったと思うから。ラッキーだったわ」
「いや違う、そこじゃない…ん、ちょっとまってくれ…だめだ、頭が混乱する」
「お嬢様と出会った人の通過儀礼だわ。諦めなさい。大丈夫よエルグラント。解らないことは全部聞きなさい。全部話してくださるから」
「俺も初め大混乱でした」
レイが苦笑している。そんな混乱するようなことではないと思うんだけど…
「まて、ちょっと整理させてくれ。ええと、まず、サラ嬢はクーリニアの商業文字が読めるのか?」
「ええ」
「マジかよ!!」
エルグラントの目が開かれる。そんな驚くことかしら?
そう思ってマリアとレイを見ると、マリアはびっくりした顔をしているし、レイに至ってはあーやっぱりそうだったのか、という顔をしている。
「え?ちょっと待って!なんでレイとマリアまでびっくりしてるの?私一度二人の前で読んだじゃない」
私の言葉にいよいよ二人が首を傾げる。
「もう、覚えてないの?ほら、ヴォルト酒場の。ドミニクさんのリヤカーの文字!」
『…宛先を木箱に直接印字するんだわ。そしてあそこのリヤカーに使われていた木材に、はっきりと印字されていたわ。見えにくい場所だったけど。異国の文字で…ドミニク・ヴォルト宛と』
「ドミニクさんはクーリニアからエールを仕入れていたのよ。もう、本当に覚えてないの?」
「いや…それは、覚えていますが…」
レイが苦笑している。
「マジかよ…まずそこから驚きなんだが…」
エルグラントがため息交じりに言って、私は首を傾げてしまう。別に異国の文字を読めることくらい普通だと思うのだけれど。
「クーリニアの商業文字は一般に使われるものじゃない。形がとにかく世界一と言われるほど複雑な上に、隠語なんかも平気で混じってる。商業で使うもんだからな。より複雑にして情報漏洩を防いだりするんだ。まぁ、逆に隠語が混じりすぎていて、流通で使う際には裏取引なんかに使われちまうこともあるがな」
「まぁ、そうだったの」
私は驚いてしまう。私の反応にエルグラントががくりと肩を落とした。
「まぁ、そうだったの…って知らずに読んでたのか?」
「ええ、まぁ」
「…わかった。もうとりあえず俺は深いことは考えないようにする。…そんなわけでだ。ここファボリの顧客名簿はすべてクーリニアの商業文字で書かれている。よっぽど毎日見慣れたやつか、それを職業で使っていない限りは読めないような代物だ。正直、俺は読めるには読めるが、幼子レベルだ。レイやマリアは?」
エルグラントがレイとマリアに問う。
「私はもうほとんど忘れたわ。見たら思い出すかもしれないけれど」
「俺も、正直クーリニアの商業文字はめちゃくちゃ苦手です。一応読み書きはできますけど」
「つまりだ…そんな文字を、サラ嬢はその受付の一瞬で速読したっていうのか?」
「そうね、速読したというか、そのとき記憶したものを後で読んだ感じかしら。だいたいのものは一回見たら全部覚えちゃうの。でも皆読めるならそんなに特別なことではないと思うのだけれど…」
なんだか私がすごいことしているみたいに言うんだもの。ちょっと恥ずかしいわ。
「マリア…これは無自覚か?」
「レイにも同じ質問されたけど。ちゃんと自分がそういうことをできるというご自覚はあるわ。ただ、特別なこととは全く思ってらっしゃらないだけで」
「…マジかよ…初めて見たぞ。絶対記憶能力の持ち主なんて。…いかんな。考えることを放棄しそうになる」
そう言ってエルグラントはパシッと自分の頬を打った。
「俺なんかあまりにも余裕がなくなって普通にエルグラントさん仕込みのアレで尋問しちゃいかけましたから。マリア殿が裏拳で止めてくれましたけど」
レイが思い出したかのように笑って言う。ああ…確かにあれは怖かったわ。圧が。
「それは…怖かったろう、サラ嬢。レイの圧は。抜きんでてるからなぁ」
ぶんぶんと首を縦に振る私にエルグラントが苦笑して言う。
「それじゃ、次ですお嬢様。なぜレイはあのときすんなりと印璽と国王の書状まで出せたんでしょうか?…まるで、こうなっていたことが分かっていたようでした」
マリアの言葉に私は答える。
「レイには事前にお願いしておいたの。いざというときには交渉団団長の権限を使ってエルグラントの部屋に入れるようにしてくれないかって。でも、交渉団団長という権限だけではおそらく難しいと思いますってレイが言うから、申し訳なかったけど最後の最後には王族の権利を使ってもらうようにお願いしたの」
「…どうして、私がエルグラントの部屋に入る事態を想定されたんでしょうか」
「?私そこまでは想定していないわ。あのとき二人は決別したようだったから、マリアがいない時にエルグラントは隙を見て部屋に戻り勝手にいなくなるだろうと想定したの。だからその時はレイにエルグラントの部屋に行って足止めしててもらおうと思ってただけ。その間に私がマリアを説得するからって」
ね?とレイに言うと、レイは頷いてくれる。そう、マリアが行くことになったのは本当にたまたまあそこの流れでそうなっただけで。私はそこまで予測はしていなかった。
「でも、そんな事態が生じるのも、ある程度エルグラントが動けるようになってからだと思ってたから。マリアが戻ってきたときもまだ動ける状態ではないと言っていたし…そんな状態でエルグラントが部屋に戻るとは思っていなくて。悠長にしちゃってたらぎりぎりだったのね。まだまだ読みが浅かったわ」
ふう、と私はため息をついてしまう。ほんとまだまだだわ。
「あれからマリアとエルグラントがどう動くかと想定したのはほかにも何パターンかあったのよ?でも一番ないと思っていたパターンが来るとは思っていなくて。レイにも必要としないかもしれない、とまで言ったのに」
…。
……。
…なんだろう、視線が痛い。主にエルグラントからの。
「おい…マリア…レイ」
「ええ、心中察するわ」
「お察しします」
「ええと、どうしたのかしら?私変なこと言ったのしら?」
恐る恐る尋ねてみる。
なんだかいろいろあってぼんやりと忘れていたけど、よく考えたら交渉団という頭脳や戦略に長けた人間たちのトップが三人も目の前にいるってすごいことだわと思うし、そんなすごい人たち相手にさも偉そうに「想定して~」なんて言っちゃって…
かああああああっと頬に赤が差す。考えてみれば私ものっすごく恥ずかしいことをしてるのでは!!!???
「あ、大丈夫ですお嬢様、だいたいなにを考えてらっしゃるかわかりますがそうではありませんので心配しないでください」
マリアが言ってくれるけど、でもっ!
「ごごごごごめんなさい。私ったらその道に熟練した人の前でさも偉そうに「想定して~」なんて言ってしまって。私なんかの想定、団長の皆さんから見たら何言ってんだ状態でしょうし…っ」
「その想定で今まさに自信を無くしてるんです」
「その想定で今まさに自信を無くしてるんですが」
「その想定で今まさに自信を無くしてるんだよ…」
お、三人の声がハモった。
はぁぁ…と長い溜息を吐いた後に、エルグラントがもういい、わかったと言ってくれて、ほっとする。
「で、最後の一つだ」
エルグラントが言いにくそうに声を出した。