5.団長は知っていた
「すまなかったな、レイ。いきなり呼び出してしまって」
「いえ、大丈夫です。それよりも火急の用事とは」
玉座の間に呼ばれた私は、国王の前に跪いていた。
朝早く交渉団の団長室に入り、今日の書類整理を始めようと椅子に腰掛けた途端、衛兵が「陛下がお呼びです」と伝えてきたのだ。
昨夜の第一王子絡みの話だとは察しがついていた。昨日の夜会の後はとにかく大変だった。貴賓の護衛という立場で私もその場に馳せ参じていたが、まさか第一王子があのような愚行に走るとは想像してもいなかった。
相手の令嬢の気持ちを考えれば、いや、そうでなくても幼少期から王族としてのマナーや紳士としてのあり方を学んできたのであれば、あのような場を選ぶこと自体とても恥をかかせる行為だと気付きそうなものだが…と、私はため息と共に軽く額を抱えた。
ーーーサラ・ヘンリクセン公爵令嬢。ヘンリクセン公爵の長女。上に兄が一人いる。幼少期からかなり才のある少女として有名だった。そしてなによりもその美貌は、社交デビューしてからはおそらく周辺国を合わせても一、二位を争うほどの美しさだった。栗色の腰まで伸ばされたウェーブがかった髪に、エメラルドグリーンのまるで宝石のような美しさを放つ瞳。顔の全てのパーツが小さく整えられておりその肌は陶器のようだと誰もが褒め称えた。
そして彼女には第一王子という婚約者がいた。亡き先代の女王が彼女の才を見出し、女王とするべく王室に迎え入れようとしたときは前例がないと貴族たちから批判の声も出たという。だが、その貴族をも黙らせた何かの要因が彼女にはあったらしい。そこらへんのことは私も知り得ない。
しかし正直なところ、あの第一王子には不釣り合いだと思っていた。第一王子は良くいえば朗らかだが、いかんせん教養もマナーも足りていない。王族ゆえの気品や人を惹きつける美貌などは持ち合わせているものの、それを遥かに凌駕するほどの才と気高い品位をサラという令嬢は持っていた。隣に並んで仕舞えば容易に食われるであろうことは嫌でもわかる。そしてそれに耐えられるだけの度量も器の大きさもあの第一王子は持っていない。
何を言われるのか想像もつかない。もしアース第一王子に関してのことだったら辞退できるのであれば辞退しよう。
だが、もしも、サラ令嬢に関することだったら…私はおそらく、全力で…
そこまで考えて、不意に胸のあたりに違和感を覚えた。
「?」
感じたことのない違和感に首を傾げながら、私は玉座の間へと向かった。
ーーーーーー
「私が、国外へ追放されるサラ令嬢の護衛、ですか??」
「ああ、無理にとは言わない。お前も団長になったばかりだからな。だが…」
そういって陛下は私の目を一心に見つめてきた。私は知っている。彼がこういう目をするときは、恥も外聞もなくただその心のままに動くときだということを。そして彼がその目を見せてしまうと私は非常に弱いということも。
「彼女は昨日も言った通り、次期女王としてシャロンより選ばれていた」
お前もそのことは知っていただろう、と言われ、はい、と言葉を返し頷く。
「そして、彼女は間違いなく冤罪だ」
その言葉に私は自分の目が大きく開かれていくのを感じる。
「昨日ヴィンセント…ヘンリクセン公爵が全て教えてくれた。彼女は三年前から自分の悪評を学内でばら撒いていたらしい」
「なぜ…そのようなことを」
「アースが婚約破棄をしやすくするためだ」
どきり、と今度は心臓が変な音を立てた。
「なにも汚点のないサラ嬢に一方的に婚約破棄を申し入れた場合の国内や隣国からの自分への批判を恐れて、アースはなかなかサラ嬢に婚約破棄を申し入れなかったらしい」
…辛かっただろう。婚約者という立場を切り捨てもしてもらえない上に、自分ではなく他の令嬢に心を奪われている王子の姿を見るのは。
思わずぎり、と奥歯を噛んだのに気付き、慌てて力を緩める。
「お前の考えてることはわかるよ。レイ。だがサラは自分を見てもらえないのが辛くて婚約破棄を仕掛けたのではないんだそうだ」
またも予想外の国王の言葉に、再び目が丸くなる。
「では、なぜ…」
「幸せになって欲しかったんだ、そうだ。あの馬鹿息子に」
ごくり、と喉が異様に大きな音を鳴らす。
「本当に慈悲深い。…女王の器なんだよ、あの子は」
そこで話を戻そう、と遠くを見つめていた国王が私へと再び視線を戻した。
「アースの言葉を撤回するのは簡単なことじゃない。王族の言葉は絶対だ。撤回となれば証拠、証言すべて集めて裁判所を巻き込んでの大仕事になるだろう。それこそ一年で終わるかどうかもわからない。そして、アースは国外追放を言い渡してしまった。証拠が揃うまで数年の間処罰を保留などというのは貴族どもが黙っていないだろう。心苦しいが、国外追放は免れない」
その言葉に私は頷く。なんということをしたのだあの第一王子は。
「だが、彼女は国外追放のことも全部知っていた」
もういよいよ何度目かもわからない衝撃に頭を撃たれる。知っていた、だと?
「なぜ…それを知っていたのでしょうか?」
「それは私にもわからない。ただ、ひとつだけ確かなのは、こうなることを彼女は承知の上でこの三年間用意をしてきた、ということだけだ」
そして、と国王は言葉を続ける。
「一人だけ、誰か信頼できる男性の護衛をつけて欲しいと要請があったのだ。もう一人彼女の専属の侍女も着いていくらしいが、やはり女性二人で違う国へといくのは色々と物騒だからな」
本来は騎士団の一つでもつけてやりたいくらいなのだが。
その言葉にそれは私も同意です。と頷く。
「私はなんとしてでも彼女を次期女王としたい。亡きシャロンとの約束でもある。そのためにどんな努力を惜しむ気もない。…だからお前にお願いするのはただの国外追放された公爵令嬢の護衛ではない」
国王の声にどんどんと胸が高鳴るのがわかる。この次の言葉の意味すること。もしこれがその通りなら何という栄誉か。何という誉れか。
「次期、女王の護衛だ」
「はっ!!!」
首を垂れ、腹から声を出し、全てを受け入れた。
……全力で全うすることを心に誓う。だが、ひとつだけ。ひとつだけ私には憂いがある。私は顔をあげ、言葉を続けた。
「陛下、私はーーー」
ーーーーー
玉座の間を出て、交渉団がある建物へと移動しながら私は考えを巡らせていた。
思い出すのは昨日のサラ嬢の立ち居振る舞いについて。凛とした声に、来賓誰もが肩を震わせた。もちろんこの私もだ。彼女の優雅な笑みに国王ですら肩を強張らせた。
王の風格とはあれほどまでに凄まじいのか。次期女王にどうしてもと国王が食い下がるのも納得だ。だが…
「ッ!〜〜〜ッ!!ブッ!!!」
だめだ、堪えきれない。おそらく誰一人聞き取れなかっただろう。特殊な訓練を毎日行い、尋常じゃないほどに良くなった耳を持つ私以外には。
目を見張るほどの美しさを持ち、可憐さを振り撒き、清廉という言葉と、品位という言葉が誰よりも似合う彼女の口から放たれた、
『やっぱりどうしようもないアホ…』
第一王子をアホ呼ばわりする言葉など。