47.手紙
次の日の朝、十階にあるカフェで朝食をとったあとに、私とレイはエルグラントのところへと向かうマリアと別れた。
部屋に戻り、ソファに腰かけながらマリアがカフェに行く前に仕込んで行ってくれた冷たいハーブティーを飲む。
「マリア殿、良かったですね」
レイが心から嬉しそうに言って、私はええ、と頷く。きっと今頃エルグラントはものすごくびっくりして、マリアに向かって幸せそうな笑顔を見せているだろう。早く二人に会いたい。ずっと寂しそうな顔しか見てないんだもの。
「あんなにイライラしていたのもマリア殿の愛情の裏返しだったんだって思うと、…女性って可愛いですね」
「マリアは特に可愛いのよ。奇跡の四十歳だわ」
私が言うと、レイも頷く。
「確かに。最初お会いした時二十代前半だと思ってました」
「でしょう?マリアってば全く老けないまま、あんなに可愛いのよ。うらやましい。なにか秘訣があるのかしら」
「何を言ってるんですか。サラ様」
レイがきょとんとしている。
「…何を、って?」
「秘訣など知ってどうするんです?あなたはなにもしなくても最高に可愛いじゃないですか」
も!う!このド天然!!私は笑ってしまう。
「またそう言う嬉しいことをさらっと言うんだから!」
「事実ですよ?」
何を言っているんだと言わんばかりのレイに笑ってしまう。
「レイだって。何度言っても言い足りないわ。とてもカッコいい男性よ」
しばしきょとん、とした後に嬉しそうにありがとうございます、と笑ってくれるレイがとても好きだわと思う。
「さて、それじゃあそろそろ行きませんか?」
レイが立ち上がる。えっ、もう?
「まだ、マリアと別れてから、カップ一杯分のハーブティーしか飲んでないのに。早すぎない?」
私が言うと、レイはちょっといたずらっ子みたいな笑顔を見せてくる。
「だって、ちょっと…いえ、めちゃくちゃ見たいじゃないですか。俺の憧れツートップの二人がデレている姿」
確かに…私も見てみたいかも…でも…
「うう、また一階まで降りなくちゃいけないのね…」
「抱っこしましょうか?」
もうお決まりとなったレイとのやり取り。抱っこって…もう子どもじゃないんだから…
「大丈夫!今までが運動不足過ぎたのよ!よし!行くわよ!」
「承知しました」
そう言ってレイが手を差し伸べてくれる。軽く自分の手を乗せると、そのまま私をエスコートしてくれる。
「行きましょうか」
「ええ」
―――――
救護室は一階の中でも人目に付かないように奥まったところに設置されている。私とレイは中に入り、地震が起きた当日に行ったエルグラントが救護されている部屋に向かった。まだ数人が病室に入っているが、初日よりはだいぶ減ってきているみたいだった。よかった。
「あれ?」
不意にレイが声を出し、私もレイの視線の先を辿る。エルグラントの病室の前に設置されている椅子に、誰かが座って俯いている。いえ、誰かじゃなくてあれは…
「マリア…?」
私が声を掛けると、マリアが顔を上げこちらを見た。その顔を見て私はびっくりしてしまう。
「マリア!どうしたのその顔!!なんで…そんなに泣いているの?」
そう、マリアは涙でびしょびしょに顔を濡らしていた。ただ泣くという感じじゃない。慟哭という表現のほうが相応しいほどに泣いていた。
「お嬢…さ…っ、レ…っ」
「どうしたの!!!」
慌てて二人で駆け寄ると、震える手でマリアが何かを差し出してきた。これは…
「手紙…?」
私が言うと、マリアは泣きじゃくりながら頷いた。
「見ても?」
頷いてくれるのを確認してから私はおそるおそるそれを開く。
『愛するマリアへ』
という一文面から、これが何かを瞬時に悟ってしまう。
――――エルグラントから、マリアへの、手紙。
無骨だが、決して汚くない。丁寧に丁寧に文字が綴られている。エルグラントという人を表すかのような、文字だった。
―――――――
愛するマリアへ
手紙なんて、初めてで、正直戸惑っているよ。
でも、きっとこれが最初で最後だ。
もう、会うこともないと思ったら、やっぱり最後に一言いいたくてな。
本当に、マリアを愛してた。
愛してただなんて柄じゃないということは俺が一番わかってるんだけどな。
最後の最後まで、困らせちまってごめん。
諦めの悪い男でごめんな。
退団してから、お前を探そうと旅に出て、偶然ここクーリニアで会えて、浮かれちまった。
この偶然は運命なんじゃないかって、少女の夢のようなこと思ってしまった。
また、お前の心をもらえるんじゃないかって、都合のいい夢を見てしまった。
ごめんな。心をもう一度欲しいだなんて言って困らせた。
困らせたいわけじゃなかったんだ。
昨日言ったように、俺のことは忘れていい。
お前はお前の人生を生きてくれ。
ただ、約束してほしい。幸せであると。絶対に幸せなまま人生を終えると。
サラ嬢の元ならそれは叶うだろう。
俺は、お前が幸せなら、生きているならそれだけで幸せだから。
生き方に誇りを持って生きろ。信じたことを貫け。
でも今度はちゃんと周りを頼れよ?大丈夫。サラ嬢は頼れる人だ。レイもな。
最後にもう一度だけ。
勝手に想うだけなら、迷惑じゃないだろ?
愛してる、マリア。
エルグラント・ホーネット
――――――
「これ…は」
手紙を持つ手が震えてしまう。
「いつ?エルグラントがいなくなったのはいつ?」
私は思わず大きな声を出してマリアの両肩を掴む。びっくりしたマリアがそれでも必死で答えてくれる。
「…二時間前の…朝の…っ検温の時にはまだ…いた、と…医者が、目を離した…す、に、ベッド…これっ…と、「帰る」という、書置き、残し、いなく…っ」
まだ、動けるような状態じゃないのに。と泣き崩れるマリアに私は渇を入れる。
「諦めたらだめよ!マリア!!!エルグラントはまだあの大怪我よ!!そうそう早くは動けないわ。二時間ならまだ部屋にいる可能性のほうが高いわ!部屋に行くわよ!」
「無理です!」
マリアの金切り声のような声が響く。
「ここファボリは、絶対に、顧客の情報を漏らしません!何があっても、たとえ、エルグラントに私が付き添っていたと、医者が証言したって無駄なんです。顧客第一のホテル、です。エルグラントが、帰る、と言ったら、医者であっても止めることは、できないんです。それに今から、三百近くある部屋を、一件一件訪ねるんですか!?無理です!しかも、各階には衛兵が、います!部屋番号を、知っていたとしても、訪問先の相手が、頷かなければ、通してはくれません!!」
涙を流しながら苦しそうに話す。そういってマリアはまた顔を覆って泣き出した。
「じゃあ、入り口で彼が出てくるのを待つのは?」
「俺たちに会わないように出るでしょうから、正面は使わないでしょう。交渉団として出入りしていて、いくつもの裏口を知っています。エルグラントさんは十四年間務めたので、ここファボリの隠し通路や裏道はおそらく俺やマリア殿よりも詳しいでしょう。サラ様は護衛しなければなりませんから、実質二組で手分けしても、見つけられる可能性は低いです」
レイが後ろから言葉を投げかけてくる。
―――…そうなのね、それなら。
私はゆっくりとレイを振り返った。
レイが、頷いてくれる。
「マリア、聞きなさい」
私はマリアを落ち着かせるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「――――まず、エルグラントだけど、八階の二十八号室に滞在しているわ」
私の言葉にマリアが顔をあげてぽかんとしている。一瞬涙を流すのも忘れている。大丈夫、このまま終わりになんて絶対にさせないわ。
せっかくマリアが素直になったのだもの。幸せになってもらわなきゃ、困る。
「どう…して」
「説明はあとでするわ。レイ。お願い」
「はい。サラ様。マリア殿、来てください」
「レイ、今は私よりマリアのエスコートを」
「はい。マリア殿。俺につかまってください」
そう言ってレイが差し出した手に、マリアは震えながらその手を置いてゆっくりと立ち上がった。
「行きますよ、転ばないように」
マリアが混乱している。
「まってください、お嬢様、これは、どういうこと、なんですか?」
「説明はあとでするわと言ったでしょう。それよりもエルグラントが部屋を出てしまったらおそらくもう一生会えないわ。急ぎましょう!」
「はい」
レイが足を速める。マリアが引っ張られるようにして必死についていく。私ももう連日の階段上り下りで足が筋肉痛だけど頑張って付いていく。
そうしてレイが向かった先は、ここファボリの受付だった。
「いかがなさいました?デイヴィス様」
気心知れた受付がレイモンドに気付きにこやかに笑う。
「八階の二十八号室の、エルグラント・ホーネットの部屋に訪問したいのだが」
おお、いきなり顔つきと声色が変わるとキャラと威厳がまるで違うわ。さすが現団長。ちょっと怯むほどの威厳だ。
「それではエルグラント様に確認を取ってまいります。しばらくお待ちください」
「時間がない。ブリタニカ王国交渉団団長権限で通してもらえないだろうか?」
「…申し訳ございません。高位な方とは存じておりますが。一応確認を取らせてください。規則ですので」
「…そうだよな。ならばこちらの権限を使わせてもらう」
そう言ってレイは、胸元から懐中時計を取り出した。そして隠し細工を操作し、パカリと開けてそれを手に取った。
――――そう、ブリタニカ国王族の、印璽を。
それから胸元から何か書状も取り出した。おお、これがこの前言っていたやつね。
「我が国ブリタニカのエドワード国王より、有事の際には私が王族の権限を使うことが許されている書状だ。確認するといい。そして不備や何か申し立てがあれば我が国王へと書状を届けるがいい」
周りに配慮して、声を潜めているのに、レイから放たれる威厳は凄まじい。ここが人前でなかったら私は跪いているだろう。
王族の威厳とはこれほどのものなのね。こんなの付け焼刃で身に付くものじゃない。
受付の男性をそっとみると、まるで雪でも被ったかのように真っ白になっている。
まぁ、無理もないわ。いきなり目の前にエドワード国王が来たようなものだからね。
「いかがされるか?ファボリの決まりだからとブリタニカの王族の権限を突っぱねて、我が国王の機嫌を損ねブリタニカとの友好関係をなくすか?」
うう…こんなの完全に脅しだわ…ごめんねレイ…こんな役回りさせちゃって…
レイの言葉に弾かれたようにお待ちください!と叫んだあと受付の男性が恭しく印璽と書状を持って受付後ろの奥の部屋へと走っていく。
あぁ…印璽落とさないでね…私はハラハラしながらその後姿を追う、が、奥の部屋に入ってから僅か一分もしないうちに、ここの最高責任者と思われる高級な身なりの男性を連れて出て来た。
「書状と印璽を確かに確認いたしました!…!申し訳ございません!この者の無礼をどうかお許しください!」
責任者と思われる男性のほうがそれらをレイに返した後に跪こうとしたのをレイが仕草だけで止める。
いつもなら、眉を垂らして「ちょ、ちょっとやめてください!」くらい言ってそうなのに。そんなことを考えてしまう。いけないいけない。今は一刻を争うんだわ。
「気にするな。咎めようなどとは思わない。それで?そちらの返答は?」
「はっ!すぐに八階へと案内させていただきます」
「ここにいる衛兵の中で、誰よりも足が速いものをこのマリア殿に付けてそこへと急ぎ案内させてくれ」
レイの言葉に一瞬責任者の男性が「いや…しかし…そのようなものを付けても…」と困惑している。
…まぁ、無理もないわよね。ぱっと見マリアは可愛い二十代前半の女性だもの。しかも今は泣き濡れてぼろぼろの状態だから、付いてこれるとは思わないわよね。
「なんだ、貴殿はまだ十四年前にはここにいなかったのか」
「はっ、私がここに異動してきたのは十二年前でして」
「ならば知らぬのも無理はないが、この方はブリタニカ王国交渉団初代団長マリアンヌ・ホークハルト殿だ。衛兵の足に付いていけぬような訓練は行ってはいない」
うん、衛兵敵に回すような発言しちゃだめよレイさん。
きっと一生懸命なんだろうな、マリアのために。他国の者に紹介するのにマリアに敬称付けちゃってるし。
「…時間がないといっただろう?御託をこれ以上並べるのならば押し通るが、ファボリの未来はないものと思え」
こっわ!!!!!一ホテル相手にそれはやりすぎよ!!!!レイ!!!!
「っももももも申し訳ございません!おい!!!ジョン・トリガー!!!!」
「はっ!」
入口付近で立っていた衛兵が名前を呼ばれて駆けてくる。
「こちらのご婦人を急ぎ八階の二十八号室へと連れていって差し上げろ!火急かつ速やかに!全力で走れ!!!」
「はっ!」
私はいまだ信じられないという顔をしているマリアに向かって大声で呼びかける。
「マリア!説明は全部後でまとめてするから!追いかけてくるから、とにかくあなたは走って!!急いで!!!もう間違えちゃダメ!手を離しちゃダメ!!!!エルグラントを――――!!!」
さらに声に力を入れる。どうか、どうか届いて。
「―――――二度と失っちゃダメ!!!!!」
ふわ、っと風が吹いた。
マリアが、動いた。駆ける瞬間、私に向かって笑ってくれた。
「……感謝します」
そう言って。