46.そもそもそんな権限ない
みるみるマリアの顔が驚愕に満ちる。
「なっ、にを…!?」
「聞こえなかったの?解雇すると言ったのよ」
マリアは勢いよくソファから立ち上がって私に向かって反論する。
「お待ちください。それはあんまりです。今しがた言ったじゃないですか。私はあなたに人生を捧げると」
「黙りなさい。私に人生を捧げると言っておきながらその体たらくはなんなのかしら。エルグラントのことで頭がいっぱいでいっぱいで仕方ないと言っているわ」
「ですが、仕事はきちんとしています」
「否定はしないのね。そうですと言っているようなものじゃない。…まあそうね、仕事は認めるわ。あなたの仕事はエルグラントと再会した後も完璧だった。でも、他人のことで頭がいっぱいになっておきながら、私に人生を捧げるなどと、どの口が言うのかしら」
マリアの顔色が悪くなる。私は構わず畳みかける。
「あなたの本当の気持ちはどこにあるのかしら?エルグラント?私?」
「…それは、もちろん、お嬢様…」
「嘘おっしゃいな。私をごまかせるとでも思って?」
間髪入れずに口を挟み、口調を強める。
「エルグラントなのでしょう?あなたの気持ちがあるのは。わかるわよ。だから解雇してあげる。エルグラントの元に行きなさい。それがあなたの幸せだわ。さあ、わかったら荷物を持って出ていってちょうだい。今夜からレイにそばにいてもらうから」
「なんで、そんなことを…おっしゃるのですか。やめてください!私はあなたに人生を捧げると言ったんです。今更見捨てないでください!解雇などと言わないでください!!!」
「だめよ。本当はエルグラントと共に居たいのでしょう?目を読める私をごまかせるとでも思って?あなたの目ははっきりと言っているわよ。彼を愛していると、彼の傍にいたいと」
私の言葉に、マリアはついに叫びだした。
「ええ、…ええ!その通りです!私はエルグラントを愛しています。彼の傍にいたい、彼と共に歩んでいきたい!!!この十五年間ずっとずっと考えていました!彼と共にある未来を考えたことは一度や二度ではないんです!本当に彼を愛しているんです!!!一緒にいたいんです!!!!
―――――でも!!!!」
マリアの目から涙が溢れ出る。彼女の悲痛な声が部屋中に響き渡った。
「!!!!っ…!!!同じくらいあなたとも一緒にいたいんです!!!!お嬢様!!!!」
はあ、はあ、とマリアの肩が上下する。彼女の呼吸音だけが静かな部屋の中で異様に大きく聞こえる。
…どれくらいそうしていただろう。ゆっくりとマリアが顔を上げてくれる。私は彼女の視線を迎え入れる。
――――満面の笑みで。
「お、嬢様…?」
マリアが目を丸くして私を呼ぶ。訳が分からないといった顔に笑ってしまいそうになる。
「やっと、本音を見せてくれたわね。もう、マリアってばごちごちに固まりすぎよ。あなたの本当の望みはそれ。エルグラントだけでも、私だけでもない」
マリアの目がどんどんと開かれている。おそらく彼女自身も気付いてはいなかった。いや、わかっていても気付かないふりをしていた。いろいろな理由を並べて、望んではいけないことだと思っていたのだろう。
「エルグラントと私と一緒にいたいんでしょう?」
もういよいよマリアは声を出せない。それなら私が話してしまおう。
「もう一回言うけど、ごちごちに固まりすぎよ。マリア。なぜゼロか百かでしか考えないの。なぜどちらかを選ばなきゃならないという結論に走ってしまうの。いいの、いいのよ、マリア。二つを望んでいいの」
マリアの大きく開かれた目が再び潤み出す。心に届いているかな、そうだといいな。
「人生を一人に捧げなきゃいけないなんて誰が決めたの?いいのよ、人生を捧げる相手が二人いたって構わないわ」
ねぇ、マリア?と私は続ける。
「交渉団を勝手に辞めたこと、エルグラントに一方的に別れを告げたこと。エルグラントに怒られなかった?もっと相談するべきだったって」
「言われました…」
「あなた、また同じことして失敗するつもり?」
私の言葉にマリアが弾かれたように顔を上げた。その目が驚きに満ち溢れている。
ーーー今、気付いたのね。
…そう、マリアはおそらくまた同じことを繰り返そうとしていた。
交渉団を放棄したときのようになりたくない、と言いながら、そもそもがマリアは全くあの時と同じことをしていたのだ。一人で悩んで考えて勝手に結論を出して。
「話して?相談してちょうだい。そうしてきちんと考えましょう?どうしたらあなたがエルグラントと共にありながらも侍女として自分が納得しながら働いていけるか。いっぱいいっぱい話しましょう?きっといい道があるわ。交渉団を辞めたときのようにはならない。私とエルグラントが絶対にそうさせないから」
マリアの両目から、ぼろぼろと涙が溢れてくる。
唇を震わせながら、マリアが言う。
「ほん…っとに、望んで、いいんですか…?」
「ええ、もちろん」
「お嬢様は、私が…あなたにお仕えしながら…っ、エルグラントと共にいたいと、望むことを…無責任、と思わ…れ、ないんですか?」
「勝手に一人で結論付けてわざわざ幸せを逃す方が自分の人生に無責任だと思うわ」
「私…侍女として、…っ今までのように、できないかも…しれないん、ですよ?」
「今までが出来過ぎよ。主人の私が構わないと言っているのよ?全く構わないわ」
「本当に…そんな、道が、ある…んですか?」
「あるわ。現に皆そうしてる」
ついにマリアが泣きながら崩れ落ちた。
泣き崩れたマリアのを私は抱きしめる。普通の人なら簡単に考えられることが、マリアにはひどく難しいのだ。交渉団団長としての過去があったから。途中で放棄したことをすごくすごく後悔しているから。
「幸せにならなくては。あなたも。エルグラントも」
はい…はい、と泣きじゃくるマリアを私は抱きしめ続けた。
―――――
「あの…お嬢様、解雇の話は」
あれからマリアが泣きやんで、レイがそっと護衛室から出てきて紅茶を淹れてくれた。もう少しお二人で話されてください、といって護衛室に戻る。護衛用の部屋だから、どのみち私たちの声は聞こえてしまうけど、その配慮が嬉しかった。んもう、この性格イケメン。
そうやって淹れてもらった紅茶を飲んでいるときに、マリアが言いにくそうに言ってきて私は笑ってしまう。
「マリア、私に使用人の解雇なんて権限はないわ。そこら辺を管理するのは全部お母さまよ」
「あっ!」
マリアが今気づいたように言うものだから私は笑いが止まらない。
「もう私の脳内で主人はお嬢様でしたから、すっかり忘れていました…」
「それを言うと私の脳内でもあなたの主人は私だったのよ…」
そういうと、私とマリアは一瞬目を見合わせてブッと噴出してしまう。そう、彼女の本当の主人は雇用主であるヘンリクセン公爵家当主であるお父さまと、使用人を管理するお母さまだ。
「もう私マリア以外の侍女は考えられないわ。これからもよろしくね、マリア」
そう言って私はマリアに笑いかける。
「はい」
マリアの返事にほっとしてしまう。あと、残すは…
「今日はもう遅いけれど、明日きちんとエルグラントと話をしてきてね。ちゃんと想いを伝えてこなきゃだめよ?」
私の言葉を聞いたマリアの顔に影がさした。―――ん?
「マリア、どうしたの??」
「…さっき言われちゃったんです。俺のことは…忘れて、いいって」
「大丈夫よ。エルグラントの言葉はすべてあなたを想ってのものよ、あなたの本当の気持ちを伝えれば受け止めてくれるわ」
「わかってます。彼はそういう人です。でも…本当に私十五年前から彼を振り回してて…もうさすがに愛想付かされたんじゃないかって…」
「まぁ、なんて素敵。私も殿方を振り回せるような女性になりたいわ」
「…もう十分だと思いますが」
マリアはそう言って護衛室の方を見た。ん?
「大丈夫よ、マリア、エルグラントはそんな人じゃないわ。ね、今日はゆっくり休んで。明日朝一でエルグラントのところに行ってあげて。少し遅れてから私たちも行くから」
私の言葉にマリアは分かりました、と頷いてくれた。