45.解雇
後者だったのね…いえ、この反応は、どちらかというと後者、と言ったところかしら。私はマリアの反応を見て確信を持つ。最初からマリアの顔は強張っていたが、エルグラントが諦めたと私が言った瞬間、顔色がさっと変わった。
私は思考を整理する。
二人は決別の道を選んだ。それでも、エルグラントはマリアへの気持ちが変わらないことを伝えた。
マリアは自分を守ってくれたエルグラントに対する自分の気持ちを再確認してしまった。それでも何らかの理由―――ここは私にもわからない―――で、彼と生きることはできないと思っていた。もしかしたらエルグラントへの気持ち、そしてエルグラントからの気持ちを糧にしてこれからは生きていこうと思っていたのかもしれない。
でも、エルグラントから突き放された。忘れるように言われたか、忘れると言われたか、そこら辺まではわからない。
おそらくこんなところだろう。
何故彼がそんなことを言い出したかはわからない。でも、遅くない…大丈夫。きっとマリアが今から歩み寄れば、エルグラントなら絶対に受け入れてくれるから。
ーーーだから、まずはマリア、あなたが自分の気持ちをきちんと整理して受け入れてあげなさい。
「マリア。教えてちょうだい」
マリアが眉間に皺を寄せる。当たり前よ、主人である私からこんな尋問みたいなこと嫌に決まってる。でもごめんね、もう少し。
「あなたは、何故そこまでエルグラントと生きる道を拒むの?何か問題でもあるのかしら?私には全く思いつかないの」
…
……
しばしの沈黙の後、マリアがぽつりと声を漏らした。
「…ご気分を害されませんか?」
もう半ば諦めた声音だわ。私は胸を撫で下ろす。…よかった。やっと本音で話してくれそう。誠実に聞こえるようにきちんと返事をする。
「害すわけないでしょう?」
「…あなたに残りの人生を捧げると決めたからです。お嬢様」
「…??????」
予想外の言葉が返ってきた私は目をぱちくりさせる。確かに以前そんなことを言っていたけど…
「待って意味がわからない。なぜ?」
「侍女という立場を最後まで全うすると心に決めたんです。だからエルグラントと生きることはできません」
「違うわ。聞きたいのはそこではないわ。侍女であっても恋人がいたり、結婚している人はいるじゃない。いくらあなたが残りの人生を捧げるといったって、それはあくまで「仕事上」のこと。私生活を殺して私に人生を捧げるつもりだとでも?」
「ええ、そのつもりです」
「………何か理由があるのね?」
平素ならあり合えない。侍女は奴隷じゃない。個人の幸せをきちんと掴む権利があるし、そうでなければならない。それを押し殺してまで侍女をするなどと聞いたことがない。
「…軽蔑されませんか?」
マリアがぽつりとつぶやく。何を言っているの。今の彼女を知っているのに絶対に軽蔑なんてするわけがない。不意にさっきのレイの言葉を思い出す。
―――俺自身をきちんと見てくれる人は、―――俺自身を信じてくれますから。
そうね、レイ。その通りだわ。私も今のマリア自身をきちんと見て、どんな話が出てこようとマリアを信じるわ。軽蔑したりしない。
「誓うわ。そのような感情は抱かない」
「…恋に、溺れてしまったんです」
マリアの口から予想外の言葉が出てきて、私は目をぱちくりと開いてしまう。
「…恋?」
「はい。冗談のようですが笑えない話です」
「冗談だとも思えないし、笑いもしないわ。教えて頂戴」
私の真摯なまなざしに、マリアがはい、と言って視線を床に落として話し出してくれた。
「十五年前のことです。私は王国交渉団初代団長、そしてエルグラントが副団長でした。そのとき、交渉団が発足して三年が経っていました。やっとさまざまなことがうまく回りだしたときに、エルグラントが、私に心をくれたんです。私も喜んで返しました。ずっと好きでしたから」
そうだったの、私は相槌を打つ。
「一年に満たない期間でしたが、本当に幸せでした。そして、ずっとあの幸せが続くと思っていたんです。…でも、その頃から私の心に変化が現れました」
「変化?」
「…団長をやめてでも、エルグラントと一生を共にしたいと思ったんです。団長という責任からも何もからも逃れて、エルグラントの隣で平穏に過ごしていけたらどんなに幸せだろうと。彼と結婚し、彼の子どもを産み育ててみたいと」
「それは女性として普通の感情じゃないの?」
「…そうですね。私が一団員だったら、何も迷わず彼の元へ飛び込んでいけたでしょう。でも、私は団長でした。多くの者を引率してきたんです。それこそ中には騎士の道をあきらめて私に付いてきてくれた者もいました。そのような者たちに顔向けができないと思ったんです。今更、女としての幸せを追い求めたいから退団する、なんて、身勝手な気がして」
「…そんなこと、あるわけないわ。マリアがどれだけ頑張ってきたか知っていたら、きっと皆祝福してくれたはずよ」
エルグラントにも怒られました、と言ってマリアは小さく笑った。
「…でも、あの時の私はそう思い込んでしまったんです。そして、エルグラントと共になれなくても、一瞬でも団長でない自分に思いを馳せてしまった時から、団長として続けて行く気力は失われていきました。もうどちらにしろ難しかったんです。……そして、エルグラントとも別れ、誰にも何も言わず退団したんです。表向きは後輩の育成のためという形で」
「…なぜ、そのような苦行のような人生を選ぶの…退団してから少ししてエルグラントと結婚という道でもよかったじゃない」
私の言葉にマリアは首を横に振った。
「自分で背負いすぎて、考えることも話し合うことも放棄して一方的にエルグラントに別れを告げました。…そんな彼にまた心をくれ、だなんてそれこそ無神経で無責任です」
私は胸が苦しくなって泣きそうになる。マリアはいつでも何でもできるから、そして私のことを何でも許してくれるし、本当に有能な侍女だから考えたこともなかった。気付いてもなかった。
「あなた…とっても、器用なくせに…不器用だわ」
私の言葉にマリアは顔を上げて、力なく笑う。
「…そうなんです。仕事や任務などは自分でも完璧だと思えるほどできるという自負があるのに…自分の人生には、昔から本当に不器用で、…嫌になります」
ーーー本当に。なんて不器用な人。
「…私は恋に溺れたという私的な理由で交渉団団長という立場を放棄しました。サラ様に一生を捧げると言った私が、また恋に溺れて誰かと恋をしたり結婚をするというのは、あの時と同じ道を辿るような気がして…だから…エルグラントと共にいることは出来ないんです」
「…そうだったの」
もう、本当になんて…
「馬鹿だわ、マリア」
「わかっています。でも、これが私なんです。自分の人生には殊更器用に立ち回れない。それが私なんです」
「わかったわ。…それならあなたを開放しましょう」
「お嬢…様?」
突然の私の言葉に、マリアは目を丸くする。
私はすう、と息を吸い、一息で告げる。言葉に威厳を含ませる。
「あなたを解雇します。マリアンヌ・ホークハルト」