44.嬢の追求
「エルグラントの意識が戻ったの!?」
夕方、エルグラントの病室から帰ってきたマリアの報告を受けた私は読んでいた本を閉じて椅子から立ち上がった。すぐさま横で同じように読書をしていたレイに視線を送った。
「レイ…!」
「サラ様…!」
レイが本当にホッとした顔で息を吐き、嬉しそうな満面の笑みで私を見てくる。
「良かったわね。マリア」
「はい」
そう返事をするマリアの返事がどこか遠い。遠いと言うか、心ここに在らずというか。
…部屋に入ってきたときから気付いていたけど。これはおそらく何かあったわね。
「マリア、私たちはエルグラントに会えるのかしら?」
「はい、ただまだ動ける状態ではなく、意識が戻ってからまたすぐに眠ってしまいましたので、しばらくは起きないかと思います。医者からも回復期の眠りを妨げぬよう言われたので、もし会われるにしても明日の朝がいいかと」
「そう?それならそうするわ。マリアは?今日は付き添いは?」
「…もう意識が戻りましたので、いてもいなくてもどちらでも構わないと言うことでした。…一旦私も休もうかと思いまして」
「そうね、それがいいわ。ゆっくり湯浴みをして、休息なさい」
私の言葉に、マリアは「いえ、サラ様をお入れしてから…」と言うが、私は有無を言わさず「入りなさい!入らないとクビよ!」と圧力をかける。
その効果あって(?)渋々ながらもマリアは湯浴みの部屋へと向かって行った。
パタン、とドアが閉まるのを確認してから、私はレイに声を掛ける。
「…どう思う?」
「…また何かあったんでしょうか?」
「この間、おそらく二人は決別の道を選んだのだと思ったのだけど…これ以上になにか拗らせるものがあったのかしら…」
「ダメですね…俺は色恋はさっぱりなので」
レイの言葉に笑ってしまう。あら?でも…
「確かあなたエルグラントから色々紹介していただいたのではなくて?」
そう、確か皆で膝を突き合わせて話した夜に言っていたはずだ。確かに自然消滅ばかりだとは言っていたけど、全くのゼロだったわけでもないでしょうに…
「いや、それが…実はあれエルグラントさんの策だったんです」
レイの言葉に私は首を傾げる?エルグラントの策?
「策…って?」
「交渉団って女性もいるじゃないですか?新兵だった頃からその女性たちから好意を向けられることが非常に多くて…ちょっと一時期問題になったことがありまして」
「まぁ…」
それはいわゆる女性同士の泥沼というやつかしら…?
「それで見兼ねたエルグラントさんが、適当な外国の公爵令嬢とかを捏造して俺に紹介したっていう話を皆に流して」
思い出したのか、レイがふはっと笑う。うん、それ好き。
「で、すぐダメにするんです。レイが連絡をしないとか、蔑ろにしたとか言って」
ーーーんんんんん??
「そうすると、俺に夢を見てた女性たちっていとも簡単に離れていくんですよ。なんなんですかね。あれ。俺のこと勝手に好きになって、自分の理想通りの人間じゃないって分かった途端、手のひら返したように離れるんです」
はた迷惑です。ときっぱりとレイが言い切る。
「あなたは…自分の評判が下がることに抵抗はなかったの?」
私が問うと、レイは肩をすくめる仕草だけで全然、
と返す。
「俺自身をきちんと見てくれる人は、絶対にそんな作り話信じませんから。俺自身を信じてくれますから。そういう人を大事にすればいいんです」
レイの真摯な目と、言葉に私はそうね、と頷く。
「勿体無いわね。今まであなたを好きになった人は」
レイが首を傾げた。
「レイはその人たちの理想通りじゃないはずよ。当たり前よ。だって理想の遥か遥か上を行くほどの素敵な男性だもの。そんなことに気付けなかった女性はとっても勿体無いことをしているわ」
私の言葉に、レイはしばらく目を丸くした後、ふはっ、と笑ってありがとうございます、と返してくれた。
ーーーあぁ、本当にその笑顔大好き。
よかった。その女性たちが、レイが本当はどれだけ素敵な人間なのか気付かなくて。
…本当によかった。
でも、今本当に話し合わなければならないのはそういうことではなくて。
私はいくつか思考を巡らせた後に、レイに向き直る。
「さてと、レイ。…どう転ぶかはわからないわ。でも、いろんなことを想定して、一つお願いしたいことがあるの。もちろんそれを必要としないかもしれない。でも、必要になった時はあなたの力でないと、成し得ないことがあるの」
私の言葉に、レイの顔つきが変わる。
「俺が持つ力であればなんなりとお使いください」
はっきりと彼の肯定の意を確認し、私は言葉を続けた。
「ーーーーーーーー」
ーーーーーーー
「マリア、少し話をしてもいいかしら」
マリアが湯浴みを終えている間にレイには護衛室に戻ってもらった。彼がいてもいいけれど、こういうことは同性同士の方が話しやすいはずよ。
私の言葉に、マリアは一瞬顔を強張らせたが、やがてわかりました。というと、私の向かい側のソファに座ってくれた。
「単刀直入に聞くわ」
マリアの肩がびくりと震える。
「…地震の日、エルグラントと何があったの。そして、今日また何があったの?」
だがマリアは答えない。グッと唇を噛んでいる。
「マリア。私はあなたに無理強いをしたくない。無理矢理聞き出すのは本意じゃないわ。でも、あなたが頑なに口を開かないと言うのなら私の憶測を話してもいいかしら?」
沈黙が流れる。肯定も否定もしないつもりかしら。
その時マリアが苦しそうに声を紡いだ。
「…踏み込まないで…いただきたいのです」
「嫌よ」
私の言葉にマリアがガバリと顔を上げる。信じられない、とでも言いたげな目だわ。わかる。私だって逆の立場なら嫌悪感すら抱くでしょう。
でも、ここまでしないとあなたはこの件に関して心を開かないから。頑なにさせたままだから。
そして、そのままではあなたは幸せになれないから。絶対に。
「マリア…気付いているかしら?あなたエルグラントと再会してから、ずっと苦しそうな顔をしているわ。全然幸せそうじゃない。でもね、あなたの目は雄弁に語っているの。エルグラントを愛してると」
「読まないでください!!!」
悲痛なマリアの声。心が痛い。でも、ここで怯んではダメよ。
「私がいつあなたの感情に気づいたかご存知?」
「…いいえ」
マリアの声が震える。身構えているのがわかる。ごめんね、本当にごめんねマリア。苦しめるつもりではないの。
「… 『私あいつクッソ嫌いだから』…覚えてる?」
マリアの目が見開かれる。そう。あれはイランニアを離れようと言う直前のマリアの言葉。
私は基本的に普通の会話で目を読まない。不快な気分にさせたくないからだ。誰だって本心を隠したい。でも…
「あの時のマリアの目はダメだった。読めてしまったの。だって叫んでいたんだもの。『会いたい、会いたい。愛してる、どこにいるの、会いたい』…って」
ーーー「私あいつクッソ嫌いだから」
ーーー「ん?ま、マリア?」
だから私は即座に決めたのだ。エールが好きだから、エルグラントがクーリニアにいるかもしれないと言うマリアの言葉に、一縷の望みを託して、クーリニア行きを。
ヴォルト酒場の時もそう。
『水がおいしいからエールがものすごくおいしいというのは聞いたことがあるわ』
あれをとても嬉しそうに言っていたマリアを思い出す。きっと、エルグラントとの思い出なのだろう。
「ここからは憶測よ」
私は息を吸う。
「地震の日、おそらくあなた方は今度こそ、しっかりと決別を決めた。理由はわからないけれど。そうね…エルグラントはそれでも諦めなかったのでしょう。貴方が視線を逸らし続けても尚、彼はあなたに、切なさの中にも隠しきれない愛情の視線を送っていたから」
マリアの目が揺れる。おそらく予想通りだ。
「そして、あなたは地震の際エルグラントに守られた。そして彼はあなたのために大怪我を負った。あなたは思い知ってしまったでしょう。彼への気持ちが到底消せるものではないことを。どれだけ愛されていたかを。通常ならここでお互いの気持ちを確認しあってハッピーエンドだわ。でもそうはならなかった。理由は、二つしかないわ」
そう言って私は息を吸う。
「あなたが、それでも頑なに拒絶したか、
ーーーエルグラントが、諦めたか」