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43.エルグラントの決意

 無我夢中だった。

 彼女の頭に大理石が落ちてくる。

 そう思った瞬間、理屈じゃなかった。何も考えられなかった。ただ、守らなければと。喪いたくないと。

 気がつけば駆け出して彼女の小さな体を掻き抱いていた。できるだけ直撃を避けねばと身体を空中で捻らせながら飛んだ。だが、僅かに間に合わなかった。

 

 ーーー途端の、上からの衝撃。

 右の脇腹に強い痛みが走る。これは、ちょっとやらかしたかもしれない。


 マリアを抱いたまま床に投げ出される。しまった、少し頭をぶつけさせてしまった。でもまぁ、これくらいなら脳震盪程度で済むだろう。

 ひどい揺れと轟音の中、そっと抱き込めた彼女を見る。しまった、やはり脳震盪を起こさせたらしい。でも呼吸も、脈もちゃんとある。もう大丈夫、そう思った途端ひどく怖くなった。


 彼女が、死んだかもしれない。

 あの石が彼女の頭を直撃したら。


 ぞっとする。

 この大事な人を喪っていたのかも知れないと思うだけで底知れない恐怖に襲われる。


 ーーーーよかった…マリア、よかった。

 もういい、心などくれなくても、俺のことを忘れたとしても、それでもいい。

 生きてさえいてくれれば。この世界のどこかで、幸せに生きていてくれれば、もうそれだけで充分だ。

 

 ーーーああ、なんだか身体がとても寒い。


『エル!!!』


 ーーー懐かしいなそれ。その呼び方。二人っきりになったときに、本当に数えるくらいしか呼んでくれなかったけど。

 …もう一回くらい聞きたかったな。…あぁ、だめだ。なんだかとてもぼんやりするんだ。情けないなぁ俺。頼れる男になったつもりだったんだけどなぁ…



 …好きだったよ、マリア。心から、愛してた。





ーーーーーーーー


「エル、グラント…?」


 それは私がエルグラントのもとに付き添いだしてから三日目のことだった。


 毎日身体を拭き、縫合された傷口を消毒し、包帯を巻きなおす。床ずれができぬように、定期的に丸めたタオルを場所を変えて差し込む。

 傷口が痛むだろうからと、丁寧に丁寧にその作業を続けていた。

 

 今日も彼の身体を拭いていたときだった。左指がピクリ、と動いたと思ったら、その口の端から小さくうめき声が漏れ出したのだ。

「エル、グラント…?」

 いくら医者が目を覚ます兆候はあると言っても、やはり浅い呼吸を繰り返してぴくりとも動かないエルグラントを見ると、どうしても不安ばかりが募る。

 このまま容態が急変したらどうしよう。ここ数日そんなことばかり考えていた。


「…マ…、…ア…」

「エルグラント!エルグラントわかる?私よ、マリアよ!」


 彼の口から出たのは小さくて小さくて耳を澄まさないと聞き取れないほどの声だった。それでもその声を聞こえたことに嬉しさが心中から沸き起こった。

 私が嬉しさのあまり出してしまった大きな声に、エルグラントの目が一回ぎゅっと瞑られてから、少しずつ開き出した。

 その目が開く、その唇が動く。そのことがどうしようもなく嬉しい。

「マリ…ア?…俺は、生き…て?」

「ええ、ええ、生きているわ。腹部に酷い損傷があるけれど、内臓は無事だったわ。喉乾いていない?お水を持ってくるわ。ああ待って、医者を呼んでこなければ!」

 声が上擦っているのが自分でもわかる。泣きそうになるのを必死に堪えながら、そう言って私はエルグラントのそばの椅子から立ち上がった。時だった。


「…待っ…」

 エルグラントの手が医者の元に駆けていこうとする私の腕を掴んだ。


 びっくりして振り返ると、エルグラントがまだ力のない目で私を見つめている。

「…どうしたの?やはり具合が…」

 慌ててエルグラントに向き直ると、彼は私の腕から一度手を離し、その両手を私に向かってゆっくりと伸ばしてきた。右わき腹が痛むのだろう。伸ばしてくる最中に顔が歪む。

「顔…顔を…見せ…てく、れ」

 掠れた声で必死に懇願する彼に私は考える余裕もなく近づいた。その両手に向かって吸い寄せられるように。そして、



 ーーー私の両頬が、彼の温かな、温かなひどく優しい両手に包まれる。



「生きて、る。…マリア…ッ…お前が生きてて、よかった…」

 私は驚いてしまう。なぜそこで私なの。なぜ自分が生きてて良かったと言う言葉が出てこないの。


 ーーーそう思った瞬間、私は堪えていたものが爆発するのを感じる。気がつけば声が出ていた。


「…によ、それ。…なんでいつもそうなのよ…なんでいつもいつも自分より私のことばっか…っ!!なんで!あのときだって!わた、しのことなんか、…っ!助けなければ、こんな、ひど、い…っ!め…っ」


 まるで子どものように次から次から涙が溢れてくる。止められない、止め方がわからない。もう涙を拭う気も起きない。こんな溢れ出てくるのならそんなことしたって意味がないもの。



「…なんでって、言ってもなぁ…愛してるからとしか、言いようが、無いんだよ…俺、学がないから、語彙力ないんだよ。…なぁ、マリア…」



 エルグラントの呼びかけに私は顔を上げる。



「…ごめんな。待つ、だなんて言って。…そんなの苦しめる、だけ、…だったよな」


 …もうキツそうだからあまり喋らないで欲しいのに。

 突然の謝罪になんの話だろう、と一瞬本気でわからなかったが、すぐさま数日前の夕方の会話のことだと合点がいく。


「マリアが、死ぬかも、って思った時…死ぬほど怖くなった…今まで感じたこと、ないほど。あのとき、俺、自分が、どんだけ高望みしてたか、気づいた…」

 そこで、エルグラントは一度とてもつらそうにはぁ、と言って言葉を切る。喋らないで欲しいのに。

 …でもなぜか彼の言葉を止めることができない。



「もう、マリア、お前が生きてて、くれれば…それだけで、充分…だから…。お前が…どこかで幸せなら、…それで充分…だから…。俺が…待つって言うことで、お前を苦しめる、のは、嫌、だ…だから」



 血の気が引いた。次に言われる言葉がわかってしまったから。

 誰よりも望んでいたその言葉を、今は誰よりも聞きたくない。いや、やめて、言わないで。私は無意識に首をふるふると振ってしまう。

 そんな私にエルグラントは、ふ、と笑ってみせた。



 いや、やめて。矛盾してるってわかってる。確かにあの日の夕方私はこの言葉を望んでたってわかってる。でもいや、言わないで。お願い、今言わないで。

 



「俺の、ことは…もう忘れて…いい…」



 ーーーーお願い、それを言わないで。


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