42.大怪我
要救護者の中でも、特に重傷者が運ばれていった部屋の前の廊下に設置されたソファで私とレイは待たなければならなかった。付き添いを許されたのはマリアのみで、私たちはエルグラントを運び入れてからかれこれ三時間は待っていた。
「お嬢様は部屋に戻っていてください」
そうマリアに言われたけれど、はい、わかりましたと言えるほど私は非常識でも無情でもない。
「エルグラント、どうか無事で…」
祈るように指を組み、願う。
「エルグラントさんは、本当に強い人です。本当に本当に。…俺は信じてます」
隣でレイがわたしの肩を抱き寄せながら言ってくれる。その言葉に更に胸が締め付けられる。
レイが、『大丈夫』と言わないということは、彼の目から見てもあの出血は致命的だと言うことだから。
私は文献で読んだ記憶はあったけど、すっかり忘れていた。クーリニアは地震大国だ。だから、突然の大地震にも耐えられるように建物は設計されているし、蝋燭などの火を置く場所も地震による落下で火事が起きないように計算され固定されている。医師も大きな建物などには常時滞在している。それが幸いした、と心から思う。
そうでなければ病院に運ばれる間に、エルグラントは命を落としていただろう。
キィ、という軋む音と共に救護室の扉が開いた。私とレイは飛び上がるように椅子から腰を上げる。
マリアがまず顔を出し、その後ろにおそらくエルグラントを処置してくれたであろう医師が歩いてくる。
「マリア…エルグラントは…」
私の問いにマリアはゆっくりと、でもしっかりと頷いた。
「…大丈夫です。出血は多かったですが…っ」
マリアの顔が歪む。彼女のこんな顔、本当に本当に、初めて見た。
「命は、あると。死ぬこと…っは、ないと…っ!!!!」
マリアの瞳から涙が溢れてくる。どれだけ、どれだけ苦しくて辛かっただろう。
「マリア…」
ふら、と足が動く。わずかな距離なのに気がつけば駆けていた。駆けたそのままの勢いでマリアを抱きしめる。
「お嬢…、様…っ!」
「よかった!本当によかった本当に本当に本当によかった…!!!!」
もう涙が止まらない。溢れて溢れて止まらない。
「あなたの…っ!…っ大事な、人を失わないで…っ!本当、に、よかっ…!」
「……はい…」
背後からも、堪えるような泣き声が聞こえた。レイも泣いているんだろう。
マリアの後ろにいた医者の声が、そっと私たちに語りかけた。
「…本当に、奇跡に近いことでした。おそらく、運動神経の恐ろしく良い方だったのでしょう。美術品が崩れてくる瞬間に、咄嗟に彼女を庇いつつも身を捻って直撃から逃れたのでしょう。そうでなければ、おそらくお二人とも命はありませんでした」
その言葉に私はマリアからそっと離れ、最大の敬意を示し礼をする。
「心より感謝いたします。奇跡などではありません。あなたの技術と知識で私の友は命を失わずに済みました。…私の大事な人と、その者の大事な方を救っていただきありがとうございます」
私がそう言うと、医者は笑って言った。
「応急処置が素晴らしかったです。圧迫して出血を止めるというのは、単純に見えて一番効果的な止血なんです。…目を覚ましそうな予兆はあるので、二、三日したら目覚めるでしょう。ここで一つお願いがあるのですが」
医者が申し訳なさそうに言い、私は首を傾げる。医学の知識なんかない私たちになにを?
「久しぶりの大地震で、やはり思ったより被害が大きく、私たちや補佐をする者たちも総出の状態です。普段ならお願いすることはないんですが…どなたか一人エルグラント殿に付き添いをお願い出来ないでしょうか。貴族の方々だとお目見えします。…ですからこの様なことを頼むのは非常に無礼だとは存じているのですが…」
「マリアがします」
一も二もなく私ははっきりと言葉にする。だが、一番驚いていたのは当のマリアだった。
「お嬢様、何を仰っているんですか!!」
「何をって何よ」
「今夜この様なことがあった以上あなたを一人にはできません。ですがレイは異性です。レイを信頼していますが、私がエルグラントについていたらあなた方は二人きりで夜を過ごすことになるのですよ?!そんなことは容赦できません」
「レイは護衛室にいるわ。私とは別よ」
「それでもです!扉一枚のことではありませんか!」
「マリア」
私は告げる。静かに、でも彼女の心に響く様に。
「約束するわ。あなたが危惧しているようなことは絶対に起こさない。…それから、強情も大概になさい。私があなたの感情に気付かないとでも思って?」
最後は口調が強くなるのが自分で分かったけれどももう仕方ない。だってマリアの目が、読まなくたってわかるんだもの。とても雄弁に語っているのだもの。
エルグラントのそばにいたい、って。
やがて少しの沈黙の後、マリアが息を吐きながら言った。
「こんな時に、権力と能力使うの卑怯ですお嬢様」