41.地震とエルグラントの、
「…!!!地震だ!」
エルグラントが、叫んだ。
ふ、と体が落ちる感覚に襲われたと思った瞬間ガタガタガタガタと言うものすごい轟音と共に地面が揺れた。怖い。どうしようもない恐怖がぞわぞわと足元から上がってくる。
「き、きゃあああああああ!!!!」
怖い…!!!!……っ!怖い!!!
地面の揺れに全て体が持っていかれる。自由が利かない。慌ててテーブルを掴むが、テーブルも動いているため全く意味がない。もちろん私たちのテーブルにあったものもすべて倒れ、落ちては割れている。大広間からも皿やコップが次々と落ちてシャンデリアが揺れる音が聞こえる。人々のものすごい悲鳴が響き渡っている。壁に固定されていた蝋燭の火はほとんど消えてしまい、うっすらと皆の姿が見えるくらいだった。
「お嬢様!!!早くテーブルの下に!!!!」
マリアが叫んでくるが、動こうにも体のすべてを持っていかれて、うまく動くことができない。
地震…私は以前どこかの文献で読んだことがあったのを思い出した。こんな怖いものだなんて知らなかった。逃げられない。自由が全然効かない、思うように動けないのに物が落ちてくる。怖い。
「サラ様!」
ガシャンガシャン!と物が落ちてくる中、いつも鍛えている彼ですらふらつくほどの揺れの中、それでも必死に私の元に駆け寄ってくれて、腕をぐいと引き寄せて抱き込めてくれる。それだけでひどく安心する。でも、今レイの上に何か物が落ちてきたら、彼だって危ないのに。
…物が落ちてきたら?
はっと思い出す。まって、確か。マリアの後ろには…
必死でレイの腕の中から目線だけをずらしてマリアを見る。と、あの大理石でできた訳の分からない美術品が足場を崩し、マリアの上に落ちようとしているところだった。
あまりにも予想通りの光景に私は鳥肌が立つ。轟音と混乱の中、マリアもまた身を低くしてテーブルを掴んで私のほうに意識を集中しているため、頭上から落ちてくるものに気付いていない。
だめ、あんなのが当たったらいくらマリアでも生きてはいられない。
血の気が、ひいた。
「マリア!危ない!!!!!!!避けて!!!」
「マリアァ!!!!」
私の悲痛な叫び声と、エルグラントの大声が重なった。途端。
――――ガシャン!!!!!!という音とともに大理石の美術品が崩れ落ちた。
「い、いやあああああああ!!!!!」
私の叫び声が轟音にかき消される。
「マリア!!マリア!!!!!マリア!!!!!!!」
――――見えてしまった。美術品が落ちてくる直前にその気配に気づき、間に合わないとばかりに顔をしかめるマリアと、
ものすごい勢いで彼女の元に飛びこんで、彼女を抱き込めて盾になる――――
「エルグラント!!!!!エルグラント!!!!いやぁぁぁ!エルグラント!!!!」
――――エルグラントを。
――――どのくらいの長さだったのだろう。おそらく一分もなかったはずだ。なのに果てしなく長い時間に感じられた。早く終わって、早くとにかく早く、死ぬ思いでレイの腕の中から、二人の名前を呼び続けた。
傍に駆け寄りたい。早く、傍に行って二人の安全を。
砂埃のようなものが舞い、視界が開けない。ランプも蝋燭もほとんど明かりを灯しているものがない。火のものはきちんと壁に固定されていたし、レンガや石で建てられている建築物だから、火事の心配はないわ。と妙に変なことばかりが頭を過ぎる。
そうして、やっと揺れが収まった。まるで今までの騒音が嘘のようにあまりにも音のない静寂がすべてを包む。
足元は暗く、ほとんど何も見えない。部屋の奥にかろうじて火が灯ったままの蝋燭が奥の方だけをうっすらと照らしている状態だった。
私はレイの腕の中から顔を上げて叫ぶ。レイも続いてくれる。
「マリア!エルグラント!返事をして!!」
「マリア殿!エルグラントさん!」
ぱらぱら、とどこかの壁が落ちる音がする。でも、二人の返事はない。
「サラ様、ちょっとここから動かないでください。ガラスなどを踏んだら逆に危険です。蝋燭を持ってきます」
レイの言葉に頷く。早く二人の安否を確認したいけれど、こんな時に下手に動いて怪我でもしたら逆に迷惑をかける。
お願い、お願い無事でいて。どうか、どうか。
「サラ様、手を」
蝋燭を持って戻ってきたレイが手を取ってくれる。エスコートのように軽く手を乗せるそれではなく、ぎゅっと握りしめてくれるのが心強かった。蝋燭の明かりで私たちの周りがぽわりと照らされる。
「サラ様…どうしますか。俺一人で見ましょうか」
レイの言葉に何らかの覚悟が含まれているのを悟って、私は血の気が引いてしまう。最悪の事態が生じていた場合に、それを私に見せないようにという配慮だろう。
そんなに距離的にも離れているわけではなかった。
確かに個室のテーブルは広く、マリアは私の二メートルほど隣にいた。異変に気付いてから立ち上がって態勢を変え、混乱に陥り一メートルプラスしたとしても。それでも、三メートル。そう、三メートル歩いたら嫌でもわかってしまう。
無事なのか、怪我はないか、
……生きているか。
「いいえ…私も」
でも、ダメ。目を逸らしてはいけないわ。…でも、怖い。心臓が震える。
レイに手を引かれ、ゆっくりと歩く。歩くたびに、がしゃり、がしゃりと何かを踏んでいる。マリアとエルグランドがいた辺りにゆっくり、ゆっくりと近づく。
わずか三メートルの距離がまるで三キロメートルではないかと思うほど遠い。
踏む音がガシャリという音から、ゴリ、という音に変わる。石を、踏んだ音。足元を見ると幾多もの大理石が屑となり転がっている。
ごくり、と喉が鳴る。―――近い。
レイが少しずつ蝋燭を持ち上げると照らされる範囲が広がる、その先に…
「…マリア!!!!!エルグラント!!!」
倒れている二人の姿が見えて私は大声を上げる。エルグラントがしっかりマリアを抱き込めて倒れている。ぱっと見たところだが、反応がない。まさか…
レイがすぐさま駆け寄り、二人の首元に手を置き脈の確認をとっている。その目に光が見えた瞬間、私は崩れ落ちそうになった。
「大丈夫です!二人とも、きちんと脈があります」
言葉にしてくれて、もう無理だった。力が抜けて、その場に座り込んでしまう。
「サラ様!?」
「…よかった…、死んじゃう、かと…」
「たぶん脳震盪を起こしているだけだと思います。しかし、エルグラントさん、すごいな…」
レイの言葉に私も頷く。
「エルグラントじゃなきゃ、死んでいるわ」
その時だった。
「…ん、わた…し、エル…?」
かすかなマリアの声が聞こえた。
「マリア!!!!」
「マリア殿!!!」
すぐに私は立ち上がりマリアの元に駆け寄った。未だ朦朧としているマリアに話しかける。
「マリア、大丈夫?私が判る?どこか痛いところはない?怪我はしていない?」
「お嬢…様、怪我は?」
「今はあなたのことを聞いているの!!!」
「ふふ、ごめんなさい。大丈夫です…ちょっと倒れた拍子に頭をぶつけて軽く脳震盪おこしてしまいました」
マリアの顔がどんどん血色と表情を取り戻してきてほっとする。よかった。だが、その表情が一瞬で変わる。自分が今どうして無傷なのか思い出したのだろう。
「エルグラント…、エルグラント!?」
マリアがエルグラントの状況を見ようとして彼から離れようとするが、その腕がしっかりと彼女を抱きしめていて離さない。私は思わずフフッと笑ってしまう。本当に大切なのね、マリアのこと。
「大丈夫です、エルグラントさんもきちんと脈があります。先ほど確認しましたから」
「お客様!ご無事ですか!」
不意に個室の入口に数人の衛兵たちが蝋燭を持って現れた。
「申し訳ありません、十階でしたので到着が遅れました。今明かりをつけます。ご不安でしょう」
そういって壁に固定されてある蝋燭に次々火を灯していく。部屋に少しずつ明かりが戻り、ほっとする反面、私は目の前の惨状に心がぶわりと粟立つのを感じた。ひどい有様だ。何もかもが落ちて壊れ、部屋の中はぐちゃぐちゃだった。
「…そちらのお二人は!?大変だ!救護係を呼べ!担架を二つ持ってこい!」
倒れているマリアとエルグラントに即座に気付き、衛兵が後ろに向かって大声を上げる。
「脈はありますか?呼吸は」
「脈も呼吸も大丈夫です。ただ脳震盪を起こしているようで」
レイが答える。
「エルグラント!起きなさい!!!!もうっ!!この大バカ者!!なんて無茶してんのよ!!」
マリアが怒鳴りながらエルグラントの腕を必死にその怪力で外す。そうしてその胸からやっと解放されてから体を起こした。
――――途端、マリア以外の衛兵を含む私たち全員が凍り付いた。
「ま…マリア、何それ」
「マリア殿?!」
寝ている間は地面に面していて全く分からなかった、けど。マリアが体を起こした途端、それが目に入った。
――――水色のドレスの左側が、べっとりと血で赤く染まっている。
それに気づいたマリアの血の気がさっと引く。
「エル!エルグラント!!!」
即座にマリアはエルグラントに近づき、いまだ横向きになっている彼を仰向けに回転させた。
「――――!!!!!」
息が止まるかと思った。エルグラントの右のわき腹から血が溢れている。次から次から溢れるそれは止まる気配を見せない。よく見ると顔色もひどく悪い。
「!この!!!大バカ者!」
マリアはそういうと手近にあった転がった食事用のナイフを手に取った。迷うことなくそのナイフで自分の水色のスカートを破る。止血布代わりだ。
「レイ!!!ぼうっとするんじゃない!!!」
「はっ!!!」
マリアの言葉に弾かれたようにレイが動く。自身もタキシードを脱ぎ棄て、シャツを脱いでそれをエルグラントのわき腹に押し付けた。
「衛兵!!担架を早く持ってこい!重傷者一名。右わき腹を損傷!大量出血により外科手術の必要がある!!!!急ぎ救護室に連絡しろ!!!レイ!もっと圧迫しろ!力が弱い!」
「はっ!!!」
二人の手が血で染まりだしても、マリアとレイは処置の手を止めなかった。懸命にエルグラントに呼びかけ、時折脈を測り止血をする。
まるで戦場にいるみたいなその光景を前に、私は何もできないまま、ただ見ていることしかできなかった。