38.距離感をツッコむ人がいない
「ねえ、レイ…マリア達どうなったかしら」
私は目の前のレイに声を掛けながら甘いイチゴタルトをほんの少しフォークで切り取り、ぱくりと食べた。イチゴの甘酸っぱさが口の中一杯に広がり、思わず幸せな気持ちになる。
「…どうでしょうね、こればっかりは本人たちの問題ですからね」
「うまくいってほしいわ」
「そうですね。でもマリア殿のこともですけど。サラ様はどうなんですか?」
そう言いながらレイがコーヒーのカップを持ち、中身を口に含んだ。んもう!このイケメン!
大通りに面したオープンテラスで優雅に足を組んで、随分とリラックスしながらコーヒーを飲む姿はそれだけで芸術品のようだ。実際レイは気付いていないのだけれど、周りのご婦人やご令嬢に加えて、道行く人々すらがさっきからちらちらとレイを見ている。
それだけじゃない。男性も、さっきからちらちらとこちらを見ている。若干レイから視線は外れているような気がするけど、そこは同性だからあまり堂々と見ることも憚られているんだろう。
「この前も言ったけど、私もしばらくはもういいわ。アースでこりごり」
私の言葉にレイがふはって笑う。んもうそれ大好き。
「十六のご令嬢の言葉じゃないですよそれ」
「レイこそどうなの?」
「俺は今のところサラ様のことしか考えていませんから」
「本当?」
こてん、と首を傾げながらへにゃりと笑うとレイが一度目を丸くして、コーヒーをカップソーサーに置いた。
「もう、だからそんなかわいい笑顔はやめてください。ただでさえ立ち居振る舞いであなたは今この時点でものすごい視線を浴びていること、自覚があるんですか?」
「あら、それは勘違いよレイ。注目を浴びているのはあなたなのよ。さっきからご婦人やご令嬢ばかりではなく同性の方々の視線を集めていることに気付いていないの?」
「それは貴方が可憐であまりにもかわいらしいから見ているんです」
「やだ、それを言うならあなたがあまりにも美しくてカッコいいからよ」
「いいえ、あなたですサラ様」
「いいえ、あなたよレイ」
…。
……。
「ブッ」
「フフッ」
笑い声が揃った。ああやだ、おかしくてたまらない。
「あなたみたいな素敵な人とティータイムができるなんて本当に幸せだわ」
「俺の方こそ。あ、サラ様」
急に名前を呼ばれて「どうしたの?」と答えると、レイの大きな手が伸びてきた。親指の腹が、私の口の端をすっと撫でた。
「ほんの少し、付いてました」
「あぁもうはしたないわ恥ずかしい。ありがとうレイ。あなたも一口いかが?」
「…甘いですか?」
私のイチゴタルトを見てレイが片眉を持ち上げ、どうしようかな、という顔をして見せた。
「大丈夫、男性でも好きだと思うわ、はい、あーん」
フォークに乗せてイチゴタルトをレイに差し出すと、全力で否定される。
「ちょ、ちょっとさすがにそれは!」
「大丈夫よ、はい」
「…何が大丈夫なんですか」
ふはっと笑ってくれるレイ。あ、許してくれるわ。とおもったら案の定諦めたように、
「わかりました、いただきます」
そう言ってテーブルの向こうから身を乗り出してくれた。長い睫毛が伏せられ、口を開く姿がとてもかわいくてかわいくて、なんだか胸がきゅう、となってしまう。
「召し上がれ」
私が差し出したフォークが彼の美しい口の中に入っていき、タルトが届けられた。レイが体勢を正して、タルトをもぐもぐと咀嚼している。
タルトを咀嚼する姿すら優雅だわ…
「レイの所作は本当に美しいわね。見とれてしまう」
テーブルに置いてあった紙ナプキンを手に取り、レイが口元を拭く。
「それを言うならサラ様だって。お互い小さい頃からマナーはとくと叩き込まれた環境でしょうしね」
「どれだけマナーを知ってても、『アホ』くらいはいうわよ」
私は先ほど階段でレイから言われた言葉を思い出しながら言った。
「ブッ!!!」
「フフッ」
堪えきれないと言った風に笑うレイに私もつられて笑ってしまう。まさかあの時のあれをレイに聞かれているなんて思わなかった。
「俺あの時思ったんですよ。あ、この令嬢アースのことよく見てたんだな、って」
「やはり、アホだアホだとは思っていたのだけれど…王族の中の評価でもアースはアホなの?」
私の質問にまたレイが噴出した。
「あんま…っ、ご令嬢がアホアホ連呼しないでください。…はーそうですね」
涙目になりながらレイが足を組み替える。だからそういうのがいちいち美しいのはなんでなの。
「…サラ様には悪いけれど、アースは、本当はいい子なんです」
「知ってるわ」
知ってる。共に過ごした十年という年月でそれは痛いほど知っている。内緒だよ、と言って王宮のお菓子を持ってきてくれたこともあった。学園に入ってからはどれだけ忙しくてもランチの時間には遅れずに来てくれた。悪いことばかりじゃなかったのだ、本当に。
「…ただ、アホなんです」
ブッ!と噴出したいのを一生懸命堪える。さすがに公衆の面前でそんなはしたない笑い方はできない。肩が震えるほど笑いをかみ殺した。
「ひ、ひどいわ、レイ…絶対笑わそうとして言ったでしょ」
「いやまさかそんな」
両手を胸の前で上げて見せて、わざとらしくレイが否定する。勘弁して頂戴!
「…アースはですね、本当の王子なんです。気品に溢れていて、とても素直で、誰からも好かれる。自身が嘘を吐けない。基本的に正当な理由なく人を傷つけない」
だが次にレイから放たれた声が急に真面目になり、私の笑いも止まってしまう。自然と視線が手元に落ちてしまう。
そう、アースは本当に優しくて素直だった。自分から婚約破棄を切り出せないほどに。私が流した浅はかな悪評をほいほいと信じてしまうほどに。
「俺としては、サラ様がいながらベアトリス嬢に心変わりしたことも、あなたに関する嘘の悪評を信じそれを正当な理由だとして、あなたをあんな大勢の前で傷つけたことも全く許せません。あなたの溢れるほどの深い愛情に気付いていないことも本当に腹立たしい。…ただ、それでも俺にとっては可愛い甥なんです」
…そう、よね。アースは、レイにとって大事で大事で堪らないシャロン女王の息子だもの。
あんまり、アホアホ言っちゃいけないわよね。ごめんなさい、と言おうとした瞬間、
「…ただ、アホなんです」
「ブッッッッ!!!!!」
だめ、もう堪えきれないわ。まさかの王弟殿下二度のボケ。
「ぜったい、わざと、言ったでしょっ…!」
だめ、もう駄目。おかしくて堪らない。肩が震えて止まらない。どこか部屋に行って大声で笑いたい。
「いやまさかそんな」
レイを見ると確実にしてやったりの顔をしている。やられちゃった…けど、だめ今はそれどころじゃない。呼吸困難に陥りそう。
「あなたがっ…真面目な声を出したときに、目を見てやればよかったわっ…!」
ひー、ひー、と口には出さないけれど、もうそんな感じだ。酸素が足りない。
「目を見られたらバレるな、って思いながらしゃべってました。俯いてくださって助かったです」
な!に!が、助かったよ!この馬鹿!と思いながら、私はもう笑いが止まらなかった。
―――――
「はー、笑いすぎて苦しいわ。とっても楽しかった。ありがとうレイ」
「いえいえ」
レイのエスコートを受けながら私たちはカフェの外に出た。カフェの外と言ってもホテルの敷地内なので、実質ホテルのエントランスにいる状態だ。
「そういえば、ホテル内だけどカフェでは使えないの?あれ」
図書室に向かいながら私はレイに尋ねる。
「あれ?とは?」
「懐中時計。さっきお金で払っていたでしょう?」
そう、先ほどのカフェでは懐中時計ではなく、レイの財布から支払われた。
「さすがにこういう飲食代は経費じゃ落ちないの?それなら私が部屋に戻ってから払うわ。レイに出させるわけにはいかないもの」
「懐中時計使えますよ。ホテル内ならどんな場所でも。カフェ代なら経費で落ちます」
「え…、じゃあなんで」
領収証的なものは受け取っていなかったのだとおもうけど。
私の疑問にレイはうーん、と口元にエスコートしていないほうの手を当てて考える仕草をした。
「俺が、護衛任務とは関係なく、個人的にサラ様との時間を楽しんだので。デートみたいで、すごく楽しかった。仕事の括りでまとめちゃうのは、なんかもったいないなって。だから俺に払わせてください」
そういって満面の笑顔を私に向けてくる。もう!この人は!いっつも嬉しい言葉をくれるんだから!
でも、ふと聞き慣れない言葉に思いが集中する。
「…デート?」
「はい、デートです。アースともしたことあったでしょう?」
「確かに…デートって言われて何回かお出かけとかはあったけど…」
私はそう言いながらアースとのデートを思い出す。確かに楽しい時間だったけれど、今日のように心から笑ったり、満足したことはなかった。
――――全然、違う。
「…レイ、私今日がおそらく初めてのデートだわ」
「ん?アースともしたことあったんでしょう?」
「名ばかりのデートは、何度も。でも、今日みたいにあなたの笑顔を見て幸せだとかあーんできて嬉しいとか、心から笑ったりとかしたことはなかったもの、これがデートと言うのね!なんてすばらしいものなの。ねえ、またいつかデートしましょう?」
駄目だ、顔が綻ぶ。レイといるといつもの令嬢笑顔が作れない。ただただ心から笑ってしまう。幸せで楽しくて。
もっと触れたくなって、レイにぴとりとくっついてしまう。身長が全然違うから、肩に頭を乗っけたいのに全然届かない。そんなことを思っていると、レイの頭がこつん、と私の頭にやさしく当てられた。
そうしてとっても優しい声が降ってくる。
「…喜んで」
距離感ツッコミ(マリア)不在
ブクマ・評価などありがとうございます!思っていたよりたくさん見て頂いてることに感謝です!
自分の好きなものだけを詰め込んでいきます、もう少しお付き合いください~!