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36.マリアとエルグラントは語り始める

 私は部屋を見渡した。四年間使ってきてすっかり愛着の沸いた部屋。何度も何度もここでエルグラントと楽しくお酒を飲んだ。時には他の団員も交えて楽しい時間を過ごした。

 少しずつ、少しずつ悟られないように減らしていった荷物も、もう手元の箱一つを残すのみとなった。

 がらんとした部屋に、一瞬エルグラントと笑い合っていた頃の映像が重なって泣きそうになる。

 

 不意に後ろから声が聞こえた。

「マリア、どうした?こんな時間に話って。お?えらい片付いてねえか?団長室引っ越しか?」

 部屋まで訪ねてきたエルグラントに体ごと振り返り、私はそっと頭を振る。そうして、ゆっくりと彼を見つめた。大きくてあったかくて、優しくて、大好きでただ大好きで堪らなかった人。

「…先程、退団届を出して、受理されたわ。明日には皆に通知がいくから」

 みるみるうちにエルグラントの瞳が開かれた。

「なっ…っんだと…っ!?なんかの冗談か!?」

「いいえ。…本気」

 つかつかと私に向かって歩いてきたエルグラントが、両肩をぐっとその大きな手で掴んだ。何度も何度も私に優しく触れてくれたその手に触れられるのが、今日はひどく悲しい。

「ちょっと待て、何でいきなりそんなことになってんだ?訳がわからない。説明してくれ!」

「…ごめんね、エルグラント」

「だめだ!きちんと説明しろ!何かとてつもない違反でも犯したのか?それなら俺も一緒に頭を下げるから」

「違うわ」

「じゃあ何でだよ!!!」

 エルグラントの悲痛な声が部屋中にこだまする。

 団長室は特別棟にあってよかった。それじゃなきゃ他の団員がびっくりして起きてきちゃう。

「…言えない」

「俺にもか!?俺にも言えないのか?」

「ごめんなさい」

「待てよ、ちょっと待てよ。一日待てよ。お前今冷静じゃないんだよ。シャロン女王に直談判してくる!そんなのお前の本意じゃないんだろ!!??」 

「やめなさい、不敬罪で捕まるわ。…私がいると後輩が育たない、そう思ったの。それだけよ」

「嘘をつけ」

 エルグラントにばっさりと切り捨てられる。

「後輩のことを考えたらお前は絶対に団長をこんな形で辞めたりしない。お前が責任感に溢れるやつだってのは俺が一番知ってる」

 両肩に置かれたエルグラントの手が震えてる。




 ごめんね。




 …ごめんね。本当にごめんね。



 私は息を吸い込む。ダメだわ唇が震える。こんなこと死んでも言いたくなかった。いつまでも幸せでいたかった。涙が溢れそうになるのを必死で堪える。



「…もう一つ。エルグラント。私たちも終わりにしましょう」 

「…なっ!?」

「もう、いろいろと無理だったの」

「待て!それこそ納得がいかない。話し合いもせずに無理ってなんだよ?!理由くらい聞かせろよ!」

「……」

「マリア、頼む」

 沈黙を貫く私に、頼むから…とついにエルグラントが項垂れる。

「ごめんなさい…でも信じて。嘘だけは、嘘だけはなかったわ」

 どれくらい経っただろうか。身動きの取れないまま項垂れたエルグラントの手に自分の手を重ねて、一つずつそっと肩から外した。力なく、ダラリと腕が下がるのをどうしようもないほどの切なさで見つめる。


 これ以上、悲しいことなんてきっと一生ないだろう。


「大好きだった。愛してた。心から愛してたわ、エルグラント。お願い、幸せになって。素敵な人と出会って新しい人生を送って。



…私のことは忘れて」




ーーーーさよなら。






ーーーーーーーーーーー







「…サラ嬢は、気付いてるんじゃないか?」

「おそらく。恐ろしく勘のいい令嬢だからね」


 エルグラントの言葉に私はため息を吐かずにはいられない。恐らくお嬢様の事だ。すぐに私たちのことを見抜いて、何かしらのわだかまりがあることを察し、レイを連れて出ていったのだろう。


 もうわだかまりを解決する理由も方法もないのに。


「…久しぶりね。元気にしてた?」

 思ったより声が柔らかくなってしまったことに驚いてしまう。もう以前のような感情は持ち合わせていないはずだというのに。

「…十四年ぶりか。…ほんと変わらないな。相変わらず可愛いな。マリアは」

 眩しいものを見るようなエルグラントの視線に目を逸らしてしまう。そうだ。この人はこういう人だ。思ったことをそのまま口にする。

「やめてよ私もう四十よ」

「ヘンリクセン公爵の令嬢のところに侍女として入ってたなんて知らなかった。…意外と近くにいたんだな」

「内緒にしててもらったもの…公の場所には絶対に出なかったわ。私は公爵邸でお嬢様のお世話をするのみ。…シャロンすらも知らなかったわ」

 私の言葉にエルグラントが驚いた顔を見せる。そう、私は顔が皆に知れ渡りすぎていたため、お嬢様が外、主に王宮に出向くときは他の侍女をつけてもらっていた。


「…そこまで、団長としての自分を捨てたかったのか?俺に会いたくなかったのか?」

 どきり、とした。返答をはぐらかす。

「過去の話よ。今更蒸し返さないで頂戴」

 声が大きくなる。胸がザワザワする。お願い踏み込まないで。


「教えてくれマリア」

 優しい、大好きだったエルグラントの声が耳に届く。やめて。話したくない。


「過去の話なら尚更のこと教えてくれ。…なんで、俺から離れた?それならまだしもなんで、団長まで…いや、交渉団まで辞める必要があった。そんなに俺のことが嫌いだったのか?嫌になったのか?それならそう言えばよかっただろう?」

 言葉が出ない。胸の奥で何か熱いものが上がってくる。だがダメだ。十四年ひた隠しにしてきた感情だ。彼の元を逃げるように去って頑張って頑張って押し殺して蓋をした感情なのに。



 一目エルグラントを見ただけで、いとも簡単に蓋が外れそうになるなんて。



「言えないわ…」

 俯いてしまう。だめ、こんな情けない顔見せられるわけないじゃない。

 だがエルグラントは畳み掛けてくる。

「俺には知る権利があるはずだ。なぜ、俺の元から去ったのか。なぜ、責任感の強いお前が突然全権を俺に委ねて交渉団を辞めたのか」

 声を出せない。そんなの重々わかってる。エルグラントにはその権利がある。彼は私のかつての恋人で、私が団の全責任を押し付けた人。私が身勝手に振り回した人。

「…ごめんなさい…」

 力なく俯く私の肩にそっと両手が置かれた。ああ、だめ、この手の感触すらひどく懐かしい。

「マリア…俺は、…今日お前を見つけたとき、神に感謝した。十四年間、ずっと、ずっと…一時も忘れたことはなかったんだ。ただ、ただお前に会いたいと思って生きてきた」

 その言葉に私は目を丸くして顔を上げる。

「ま…って、十四年間って…あなた」

「ああ、結婚もしてない。なんならお前と別れてからも誰とも交際していない。さらに言っちまうと、未だにお前を愛してる。あの時から変わらずずっと」

「嘘でしょ?何考えてるの!あなたなら素晴らしい伴侶を見つけられたでしょうに!!幸せになってね、って言ったじゃない!私のことは忘れて、って言ったじゃない!」

 思わず悲痛な声が出る。

「そんなこと言ったか?」

「言ったわよ!最後の夜、それで…別れて…」

「俺は了承した覚えはない」

 きっぱりと告げられ、私は怯んでしまう。たしかに、了承された訳じゃないけど…

「だから、俺にとってはこれはあの夜の話し合いの続きだ。聞かせてくれ。なぜ団を辞めた。なぜ俺から離れた」

 答える義務はないわ…と返そうとして私は息を呑んだ。



 …震えている。


 両手に置かれたエルグラントの手が。




 彼はまだあの寂しい夜に置いてきぼりにされたままなのだ。私のせいで。十四年間ずっと。




 その事実に気付いた途端に、私の体が震え出した。

「あ…あ…」

「マリア?」

 ガタガタと震える。なんてこと。私はこんな優しい人になんてことを。十四年間もなんてことを…っ!

「ごめん…っ!ごめんなさい…っごめんなさいエルグラント!ごめんなさ…っ」

「落ち着け!大丈夫だから。どう…」





「大好きだったの!!!!!」

 もう堪えられなかった。心を閉じていた蓋はとっくに開いてしまった。感情が爆発したら言葉が止まらなかった。金切り声のような声だと思ったが止まらなかった。次から次から想いが溢れる。


「大好きで大好きで堪らなかった!あなたを愛して愛して我を忘れるほどあなたを愛して!だから望んでしまったの!あなたとの未来を!あなたと共にある未来を!団長という立場を捨ててでもあなたと共にある未来を望んでしまったのよ!!!!」


 はぁ、はぁ…と肩が息をする。

「…愚かな二十代の女が考えそうなことよ。あなたとの幸せな未来を心から望んでしまったの…やがて団長という立場よりもあなたとの未来を願い出した時に、もういよいよ無理なんだわと思ったわ。でも、その未来を叶えるために団長を辞めるというのは、私が許せなかった…」

 涙が溢れ出す。もう取り繕うものなど、無い。

「交渉団に属せよ、と大勢の人間を牽引して人生を変えさせた自分が、ただ己が幸せのために交渉団を辞めるだなんて、無責任だと、許されないと思ったの」

 エルグラントが口を真横に結び、私の話を真剣に聞いてくれる。その事が嬉しい。きっとずっと、ずっと私は彼に言いたかったんだわ。

「でも、だからといって交渉団に留まるとあなたといることになる。そうすると私はあなたとの未来を望んでしまう。だから、どちらも捨てるしかなかったの…」

 ごめんなさい…と再び言葉を繋げようとしたとき、エルグラントの怒号が部屋中に響いた。



「ふざけるな!!!!」



 あまりの大声に私はびっくりして肩を強張らせた。


「ただ己が幸せのために交渉団を辞めるのが許されないだと!!!???結局お前は辞めたじゃねえか!!ふざけんな!!お前が辞めた後どれだけ大変だったと思ってる!どれだけの人間が退団願いを出したと思う!どれだけの人間が泣いたと思う!!!消息もわからなくなったお前に『ただ生きて笑っていてほしい』と願う人間がどれだけいたと思ってる!どうせ辞めるなら幸せになって辞めろよ!誰が咎めるんだ?誰が咎める!思いつくなら言ってみろ!!!お前の勝手な思い込みで話を進めるな!」

 

 久しぶりのエルグラントの怒号にまるで体が動かない。


「俺との未来もだ!求めろよ!求めてたんなら俺に言えよ!俺はお前のなんだったんだよ!ふざけるなよ!本当にふざけるな!勝手に話を進めるなよ!勝手に話を進めて勝手にいなくなりやがって!俺が…っ、俺がどれだけ!!!」



 言葉の荒さと反比例して、ぐいっと力強い腕が私を優しく抱きしめてきた。





 ーーーああ…なんて懐かしい。




 そう思ったら、また涙が溢れてきた。



 




 

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