28.恋
少し目線がコロコロ変わります。
あのあと、レイが落ち着くまで私はぎゅううと彼を抱きしめ続けた。二十分は経ったころ、やがてレイの呼吸が落ち着いてきたと思って、顔を覗き込んで見たら。
寝ていた。
「ふふふっ」
思わず笑ってしまう。本当に可愛いわこの人。
「どうしようマリア。レイ寝ちゃったわ」
上を向いてマリアに問うとお嬢様は体勢がキツくないですか?と聞かれたので首を横に振る。
「寝かせていても?恋仲でもない男性を抱いたままだなんて公爵令嬢らしくないと怒る?」
私が聞くとマリアは首を横に振る。
「それはそうですが、もう別にいいです…だけど…」
どうしたの?と私が聞くと、珍しくマリが眉間に皺を寄せて言った。
「思った以上に、三代目がヘタレだったもので多少、困惑しています」
マリアの言葉に私はまた笑ってしまう。
「そんなこと言わないであげて。誰だって抱えているものはあるのだから。マリアが屈強すぎるのよ。今でもまだまだ現役なのになんで若いうちに辞めちゃったの?」
私の問いにマリアはさっと顔色を変える。
「…そう、ですね。一言で言えば…知らなくていいことを知ってしまって…それ以上在籍するのは無理でした」
「…ん。……そう」
マリアの回答にこれ以上踏み込んではならないと感じる。いずれ、時が来て、彼女がよしとするときに話してくれるだろう。そう思いながら腕の中に抱き込めた男性をじっと見る。
長く美しい金色のまつ毛。鼻筋はすぅっと通っており、薄い色の唇はとても魅力的だ。金色の髪が多少乱れているのすら綺麗だと思わせる。
「ねぇ、マリア?」
「なんですか?」
「私、ちょっと嫉妬してしまったわ。レイの将来の奥様に」
「…なぜ?」
マリアが問う。なぜって…
「こんな美しい男性の寝顔を独り占めできるのよ。外見だけではなくて、内面もこんな純粋で美しい彼を。彼の未来の奥方は、他の男性など目にも入らないでしょうね」
とても、羨ましいと思う。レイから頬を撫で、口づけを貰えて、惜しみない愛情を注げてもらえるその存在が。愛してると告げられ、愛おしいと何度も言われる女性が、いずれレイにもできる、と言うことがとてつもなく寂しい、そしてそれ以上に羨ましい。
「なんだかとても不思議な気分。人生で初めて味わう気分だわ。アースのときにもなかった独占欲が沸々と湧き上がってしまうの」
おかしいわね。護衛ってこんな愛おしくて可愛い存在かしら、と私はマリアに向かって笑ってみせた。
ーーーー
それを、『恋』と呼ぶんです。お嬢様。と私は声には出さず心の中で言ってあげた。
お嬢様は警戒心が恐ろしく強い。感情の機微を読み取ることに長けているのは勿論のこと、小さい頃から見てきた権力間のあれこれ。それらを見てきてしまったがゆえか、他者に穏やかに振る舞いながらも、ほぼ初対面の人間に心は絶対に許さない令嬢だった。
ところが、レイに対してはどうだ。一番初めに驚いたのが、
『じゃあ、あの…抱きしめて、もらっていい???』
あの言葉だった。男性に肌を触れさせるなど絶対にしない普段のあなたはどこに?!と言いたくなるほどに。アース王子とすら、手を握ることも躊躇っていたのに。
あのときすでに彼女の中でレイが特別な存在になるという確信があった。
おそらく今はまだ、彼女の中では『兄さまみたい』な存在なのだと思う。
でも、異性のことを、「愛しい」とか、「可愛い」と思い出したら。…その感情が意味することを本当に理解できるのはもう少し先になってからだろう。
そして私も別にそれを気付かせる気はない。自分で気付いたときに味わう多幸感と戸惑いをお嬢様にも味わって欲しい。
そしてレイ。
「…ふっ」
私はお嬢様に聞こえないように笑いを噛み殺した。
ーーー毎晩あなたが寝付くまでそばにいて抱きしめて髪を撫でて少しでも寂しさを和らげてあげたい。
まるで愛の告白だ。しかもかなり熱烈な。こちらも全然気付いてないのだろう。旅に出始めたときの、お嬢様が寂しいと泣いたときに放った自分の言葉がどう言うものだったか。
ーーー私は異性ですのでできることは限られていますが、あなたが一瞬でも寂しさを忘れてくださるならどんな花でも甘い菓子でもすぐに持ってまいりましょう。あなたが望むところに連れて行きます。あなたが望むことを行いましょう。
もう最初と言っていることが全然違う。花と甘い菓子はどうした。どこかに連れて行く話はどこ行った。
よく考えてみてほしい。仮に私が寂しいと言ったら、果たして毎晩そばにいて抱きしめて髪を撫でるか??絶対しないだろう。
「…ブッ」
ダメだ堪えきれない。これでお嬢様に対して恋心を抱くわけがないと完全に思っているのが面白すぎる。おそらく二十三歳の自分が、十六歳の令嬢に恋心を抱くなど想像できないのだろう今は。
レイもまた、未だ自分の中ではお嬢様を「全身全霊を尽くして御守りする令嬢』扱いなのだろう。
お嬢様はともかく、いい歳した大人が自分の感情にすら気付かないとは。
ーーー三代目団長、超ヘタレ。
面白いから、絶対に教えてあげないけど。
ーーーーーーー
「ほ、本当に俺…すみません。まさか…そのまま寝てしまうなんて思わなくて」
あのあと泣き疲れて眠ったレイは一時間ほどしてから私の腕の中で静かに目を覚ました。
目を覚ましてしばらくはキョトンとしていた彼だったが状況が理解できるとともに顔を真っ赤にして私から慌てて離れた。
ベッドから飛び降り、私に深々と頭を下げて謝罪をする。急に温もりが消えてしまった腕の中がとても寂しい。
「私はレイを抱っこできて幸せだったわ。あなたの綺麗な寝顔、ずっと見ていられちゃう」
ふふふっ、と笑うと、レイは顔を真っ赤にしてその大きな手で顔を覆った。
「毎晩一緒に眠れたら幸せでしょうね」
「いや…それは、俺の身がもたない気がする、というか。すみませんサラ様。そろそろ身を起こしていただけませんか…その体勢でそういうこと言われるとなんかもうちょっと色々無理です」
寝っ転がってるだけなのに???キョトンとしていると、マリアが「失礼します」と言って、私の身を起こして、ベッドにきちんと腰掛けさせてから髪や衣服を整えてくれた。
「さて、私も傍観するのに疲れましたので、お酒を飲みたいと思います。お嬢様も甘くて弱いのを少しだけ飲まれますか?」
マリアの言葉に勿論っ!と返して、私はレイの方を見る。
「レイは?」
「…いただきます。あの…本当に」
「また未婚だのなんだの言ったら怒るわよ。あなたの部屋はここ。わかった?」
レイの言いたいことがわかってしまい、私は念押しした。はい、と返事をしてくれて、とりあえずほっとする。
「…俺」
レイが言葉を続けた。
「全然、気付いていませんでした。あれだけ我慢してたことに。五歳のときのことを引きずってたことに…泣いて、初めて気付きました。…でもなんか今とってもスッキリしてて……」
そこでレイは言葉を止める。そうして私に深々と頭を下げた。
「…ありがとうございました」
そう言った後に顔をあげて満面でくしゃっと笑うレイにつられて、私も笑った。