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3.令嬢の愛情と国王陛下

「陛下!?どうしてこんなところへ」


 翌朝、お父様から執務室に呼ばれた先にいた人物に私は喜びの声を上げる。昨夜あんな別れ方をしたのだけはずっと心に引っかかっていたのだ。

「サラ…私の愛しい義娘(むすめ)よ」

 そういってお父様とお兄様に向かい合う形でソファに腰かけていた陛下がそのままの体勢で両手を広げてくる。白い口髭を蓄え、金の流れる美しい髪を後ろに流し、優しい蒼の瞳を持つ心優しいこの国の第一権力者。私の大好きな義父になるはずだった人。迷いなくその胸に飛び込む。

「お会いできて嬉しいです、陛下!」

 私が弾ませた声を上げると、抱き込める腕の力がさらに強くなった。あまりに強い力に思わず笑ってしまう。

「陛下!陛下!ちょっと苦しいわ」

「…すまなかった。昨夜、ヴィンセントからすべて聞いた」

 ヴィンセント・ヘンリクセン。私の父の名だ。陛下は腕の力を緩めながらも私を抱きしめたままだ。

「父から…そうですか。…陛下、御放し頂けますか」

 私からの言葉に陛下が名残惜しそうにその腕を完全に解いてくれた。私は数歩後ろに下がり、膝を折る。同時にお父様とお兄様もソファから立ち上がり陛下の前に跪くのを目の端がとらえた。私は自分の言葉に力が入るように全神経を集中させる。三年前からずっとずっと心の中にあった謝罪をするために。

「サラ…」

「ここにサラ・ヘンリクセン。心よりの謝罪を申し上げます。三年間、国の最高権威たるあなたを、そして私に全幅の信頼を置いてくださっていた父のようなあなたを、騙し、情報を秘匿いたしましたこと。昨晩のアース様の断罪がなくとも私は国外追放を言い渡されるにふさわしい罪を犯しました。お許しくださいと言える立場にはございません。信じてくれと言える立場にはございません。ただ、私が陛下を義娘(むすめ)として心からお慕いしていたこと、これだけは疑わないでください」

 しばらくの沈黙が執務室を包む。お父様とお兄様までに頭を下げさせてしまったことにも心が痛む。

 やがて、小さなため息とともに陛下が顔を上げてくれ、と言葉を放った。ゆっくり顔を上げると、目の前には泣きそうな、怒っているような複雑な顔をした陛下がいた。

「まず、安心してくれ。今回のことでヘンリクセン家に何かを咎めることはしない」

 陛下の言葉にほっと胸をなでおろす。お父様もお母さまもお兄様も「没落したらその時はその時さ」と言ってはくれていたものの、この家で働く使用人やその家族のことを考えると、その一点だけが気がかりだったのだ。

「…サラよ」

 陛下の弱弱しい声におもわず泣きそうになる。そんな顔しないで欲しいのに。

「なぜ、私を頼らなかった。ヴィンセントの話によると、三年前にはアースの変化に気づいていたんだろう?義娘(むすめ)であるお前が一言言ってくれれば、ベアトリス嬢とアースを離すことなど容易いことだ」

 陛下の言葉に私は黙ってしまう。

「…私と、……アースの為か」

 肯定も否定もせずに私は陛下に向かってあいまいな笑いを見せてしまう。さすがは陛下。優しいだけじゃないこの国王は時にひどく目聡い。

「…それほどの深い愛情を、あいつは気付いていない。それがまた腹立たしい」

 陛下の言葉に私は目を伏せる。


――――――


 三年前


 ここ、大国ブリタニカの王都に建てられた王立イグレック学園。爵位をもつ貴族の子が、齢三歳から十八の成人になるまで通うことができる学園だ。全ての年齢に合わせた授業内容のカリキュラムは組まれているが、実際は能力に合わせて飛び級も留年制度もある。

 私、サラと婚約者アースは年齢こそ二つ離れているものの、同学年だった。私が早々に飛び級をしたせいだ。本来ならアースを越えて更に上の学年にいけるくらいの学力はあったが、流石にそれはアースのプライドをボロボロに崩しかねないからやめておけとお兄様に釘を刺されたのだ。

 同じ学年ではあったものの、先生たちの配慮でクラスは別々にあてがわれた。おそらく、私との顕著な学力の差をアースに悟られないための措置だろう。



「転入生?こんな時期にですか?」

 ランチタイムの時間、私とアースは学内にある王族専用個室で目の前の料理を楽しんでいた。と言っても、私の方はサンドイッチと紅茶という軽食だ。

「ああ、どこぞの伯爵が養女を取ったらしい。元が庶民だったため、作法やマナーを学ばなければならないそうだ。だが、元庶民ゆえ、話すことが面白い。私とは全く違う視点の意見というのも将来の王政に役立ちそうだ。」

 なによりです、と微笑みながらもその転校生のことを話すアースの表情に胸がざわりとする。まるで何か愛おしいものを見つめるような。私には向けられたことのない視線だった。


――――――


 アースがベアトリスに恋をするまでそう時間はかからなかった。まるで転がり落ちるように恋に落ちていく彼を止めることなどできなかった。ランチタイム中の会話にベアトリスの名前が増え、やがてベアトリスの話しかしなくなり、やがて二人でランチをする回数が減り、ついにはそこの個室への出入りを禁じられた時にああ、もう手遅れなのだと感じた。と、同時に一抹の寂しさが胸を掠めた。でもそれは彼が心変わりをしたことに対する寂しさではなかった。

「言ってくれたらよかったのに…」

 相談してくれたらよかったのに。ベアトリスに恋をしたと、彼女と生きていきたいときちんと言ってくれればよかったのに。そのためにお前を傷つけることになると、きちんと言ってくれればよかったのに。政治的婚約とはいえ、十歳から三年間ずっと一緒にいたのだ。恋愛感情はなくとも、少なくとも彼にとって私は『味方』だとは思っていたのに。

 彼にとってはそうでなかったのだ。そのことが、本当に寂しかった。

 それでも憎む気持ちなど一切湧き上がってこなかった。それよりも、数年ではあっても、最も近い存在だった彼に幸せになってほしい。その気持ちが大きかった。


 だから、本当に私は何もしなかった。


 彼の父親である国王に現状を報告することも、ベアトリスと話すことも、近づくことも全くしなかった。アースに幸せになってほしいから。心優しい国王に不本意な介入をさせて愛息子との関係を悪くさせたくなかったから。

 

 だから、本当に私は何もしていない。


 ベアトリスに嫌がらせも、彼女の悪評を流すこともしていない。なにも証拠などない上にすべてが事実無根なのだ。もちろん何もしていないのに、生徒の目撃証言があるわけでもない。


 だって本当に何もしていないのだ。

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 何の落ち度もない私に、一方的に婚約破棄を告げてしまうことで自分の立場が悪くなることをアースは恐れていた。だから、そのきっかけを作ってあげたのだ。私の悪評が広まれば婚約破棄を言い渡すのは容易になる。ここブリタニカでは悪評の多い令嬢は結婚相手として不足とみられ、婚約破棄となる文化は珍しくないからだ。

 だが思った以上に効果は高く速かった。当たり前だ。第一王子の寵愛をベアトリスか私のどちらかが受けているのかは、一目瞭然だったからだ。


『サラ・ヘンリクセン嬢が第一王子をとられた腹いせにベアトリス・レーシュ嬢に嫌がらせをしているらしい』


 静かな水面に一石を投じた時のように、噂は波紋のように広がっていった。尾ひれをたくさんたくさんつけて、三年をかけて私の悪評は広まっていった。

 もちろん、家名を汚してはいけない。事前に侍女であるマリア、それからお父様とお兄様、お母様に相談した。自分の悪評を広める、家名を汚さぬよう絶対に悪評のようなことはしない。不利になることがないようにベアトリス嬢とは絶対に接触しない、と話したときはさすがに驚いていたけれど、最後には私がいいのなら、ということで納得してくれた。もともと公爵という立場にもさほど興味のない我が家らしいな、と思わず笑ってしまった。

 予想通りであるし、そうなるように仕向けたのは私だったけれど、私の悪評を聞いたアースはまるで餌に食らいつく魚のようだった。私に関する悪評を集めるだけ集め、困惑するベアトリス嬢の意見も聞かず、これを根拠に婚約破棄のシナリオを作り上げていった。ひょんなことからそのシナリオを作っていると知った時、あまりにも単純すぎて王子として大丈夫かしら…と頭を抱えてしまった。

 

 ただ一つだけ予想外だったのが、あの大勢の前での断罪だ。婚約破棄を行うにしても、国王陛下と宰相、お父様などの貴族が少数いる内輪だけの場を設けると思っていた。本当に、あの王子があれほどアホだとは思わなかった。

 あれだけ多くの貴族の前で断罪を行ってしまったら、貴族中に噂が広がるのも時間の問題だろう。人の口に戸は立てられない。誰もが学園の中で行われたことが本当なのかと興味を持つだろう。そして私の無実が証明されたとき、一気に彼の立場は悪くなる。無実の令嬢を冤罪に陥れた第一王子の王政などだれも望まない。ベアトリスちゃんと婚姻関係は結べても、これから先、王政に関わることはほぼ不可能となった。

 内内で処理しておけば、誰も知らないまま、婚約解消も行えて、無実の断罪もなかったことにできただろうに。

 だけどもう私には関わりのないことだ。あとは国王やお父様に任せればいい。


――――――


「サラ…私は自分も自分の息子も恥ずかしい。齢十六の令嬢の深い愛情に知らず守られていた国王など、だれが望むだろうか」

 そういって国王は深く頭を落とした。

「すまない…婚約破棄も国外追放も、息子が発言した以上、そなたの冤罪が調査によりはっきりと明確にされない以上撤回ができないのだ」

「存じておりますわ、国王。そしておおよその調査期間も。王族の言葉を覆すのです。より調査も慎重になり、年単位のものとなりましょう。王族の命が即座に遂行されなければ貴族の不信感も募るでしょう。大丈夫です。そのために国外にいつ出てもいいよう三年前から準備はしておりました」

 私の言葉に、さらに陛下が項垂れる。すまない、すまない、と繰り返す陛下に心が痛む。

「陛下、もとはといえば私が自分で蒔いた種です。出た芽はきちんと責任もって回収いたしますわ。…それに、アース様があのような場で発言するとは考えが及ばず、逆にお手を煩わせると同時に、王族の名に泥を塗るようなことになってしまい、本当に申し訳ございません。」

 私のほうがご迷惑をおかけして、と笑うが、陛下の顔色は優れない。

「私は近日中にこの国を去ります。いろんな世界を見て、見聞を広げてまいりますわ。そしていつかお会いした時、あなたの前で堂々と胸を張れるレディーになって見せます」

 それで…と私は言葉を続ける。


「お父様にお願いしていた、付き人の件なのですが…どなたを紹介していただけるのでしょうか」


 

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