26.王弟が隠された理由
「すみません、マリア殿も。お疲れのところ」
あのあと簡単に片付けを済ませて、夕食を取り湯浴みを終えたところで、皆で一番広い真中の部屋へと集まった。おそらくは没落したという貴族がここでパーティでも開く予定だったのだろう。だが今は管理人の手により、一般家庭にあるようなソファとテーブルでゆったりと寛ぐ空間へと様変わりさせられていた。
俺は二人掛けのソファに。サラ様とマリア殿は一人掛けのゆったりとしたソファにテーブルを囲んで座っていた。
ほんの少しだけ緊張している。自分が秘匿された理由について知っているのは王族と、俺の世話をしてくれていた四人の侍女、当時の護衛、宰相だけだ。
過去を話すというのは初めての経験だ。
どこから話そうか。あまり楽しい話でもない。無理して笑って話す話でもない。かといって暗い思い出ばかりでもないから、意味ありげに話すのも違う。
「レイ、お酒飲む?」
俯いてなかなか口を開かなかった俺にマリア殿が言ってくれる。
「それがいいわ、マリア。私もなにか甘いお酒飲みたい」
「サラ様はダメです!」
反射で言ってしまう。と、サラ様がふふふ、と笑った。
「いつものレイだわ。冗談よ、大丈夫。マリア、私はご迷惑お掛けしちゃうから、レイの話が終わったあとに少しだけ頂戴。レイとマリアは飲んで?その方が幾分楽に話せるでしょう」
サラ様の言葉にマリア殿がわかりました、と言って席を外した。この広い部屋にサラ様と二人取り残され、なんとなく緊張する。
「ねぇ、レイ、無理してない?大丈夫?私がいずれ聞くと言っていたことだし、確かに待ってはいたんだけど、まだ気が乗らないなら話さなくてもいいのよ?」
本当に優しい令嬢だ。話しなさい、と一言命令すればいいものを。実際の立場がどうであれ、今俺は確かにこの令嬢に仕えているのだから。
「大丈夫です。ただ、誰にも話したことがなかったからほんの少しだけ、緊張してて」
両手を組むようにして握る。震えが来るほどの緊張ではないが、握る手の力に思っているより緊張していたのだと知る。
「…左手、治ったわね」
ふと声がして左横を見ると、いつのまにか隣にサラ様が移動してきていた。ぴとり、とくっつく腕がなんだか落ち着かなくさせる。そして湯浴みを終えたばかりで、男性には絶対出せない甘い香りが漂ってくる。なんだかその香りだけでくらりと眩暈がしそうだ。
その細い両手が伸びてきて、そっと俺の手を包んだ。
「よかった。傷もあんまり残ってなくて」
サラ様がにこりと笑う。なんだかその笑顔に胸がぎゅうと締め付けられる。
「サラ様こそ…」
そっとサラ様から包まれた手を解き、持ち上げた右手で彼女の唇の端に親指の腹で触れた。
「よかった…傷が残らなくて」
俺の言葉に、真似されたわ、ふふっと、サラ様は花のように笑う。
「私の傷なんか擦り傷だったから、一週間程度で治ったじゃない。なのに毎日心配そうに手当してくれるんだものマリアってば。お陰で傷口も綺麗に消えてくれたわ」
「大事な体なんだから、もう傷なんか作らないでくださいよ?」
サラ様がはい、といってコクンと頷く。本当に可愛らしい令嬢だ。
そのとき、後ろからマリア殿の呆れた声が聞こえた。
「本当に今そんなことしてても全く何も考えてないんでしょうし感じてないんでしょうし他意などないんでしょうけど…はい今回はレイも距離感思い出す!!!」
マリア殿の言葉に、俺とサラ様は数秒思考をフル回転させた後、大慌てで離れるのだった。
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「ええと、何から話しましょうか。まずは、俺は五歳から存在を秘匿されていました。五歳までの名前はデイヴィス・イグレシアス。これは国民にも大々的に公表されていたのでご存知だと思います。」
マリア殿が持ってきてくれたワインにそっと口をつける。常温で飲む赤ワインをわざとうんと冷やしている。香りは少なくなるが、今みたいな状況の時だと逆にするすると飲めるそれがありがたかった。
「そして、五歳の時に姉君は国民に大々的に告げました。『王弟デイヴィスは、病の床に付した。もはや人前に出ることも、国民はこの先顔を見ることも不可能だろう。実質薨去したものとせよ』と。サラ様はおそらくまだお生まれになっていませんからご存知ないと思いますが」
俺がいうと、歴史書でだけは読んだわ、と返ってくる。
「そして、五歳からは名前を変え、十六歳になるまで城から出ることも諸国の要人や国内の貴族が集まる場所に顔を出すことも許されませんでした」
ごくり、とマリア殿とサラ様が喉を鳴らす。口を開いたのはサラ様の方だった。
「それは…なぜ?」
そうだ、その問いこそがこの話の本質だ。
「覚えてらっしゃいますか?先日した話を。俺が五歳の時に何があったか」
俺の言葉に、目の前の二人があっ、と声を出す。
「『不戦の契り』…」
マリア殿の声に俺は頷いた。
「当時一番小さかった俺は、尋常じゃないほど狙われてしまったんです。自分の護衛だった男に、同盟国の間者に。一、二回ではないです。何度も何度も。それこそ世界の全てがひっくり返りました。今まで俺に傅いていたはずの人間が、血走った目で言うんです。『お前は逆らえないんだろう?』って」
五歳の子どもに自衛など無理だ。何度も何度も夜会や日常生活の隙を狙い、俺は拐われそうになった。
「目的は、人質だったり金だったり観賞用だったり様々でしたが、とにかく一番狙いやすい俺を手に入れて俺を悪用しようとしていることだけは確かでした。いつも間一髪で生き延びられましたが」
二人が押し黙る。こんな話聞いている方が心がささくれだって痛いだろうに。
「普段冷静な姉君ですが、やはりあの時は近隣諸国を納得させるために必死だったのでしょう。五歳の子どもが『不戦の契り』を結ぶことで生じる弊害まで考えられなかった」
俺は言葉を続けた。
「何度か不穏なことが続いたのち、姉君は、泣きながら言いました。『ごめんなさいデイヴィス。あなたを守るにはこれしかないの。お願い、あなたの存在を隠させて。あなたを死んだものと同等に扱わせて。私の考え無しの言動のせいであなたをしばらくの間失ってしまうことを許して』と」
姉君の悲痛な顔を思い出す。苦しそうに苦しそうに、平和のためにあなたを犠牲にしてしまった私を許して、と。
そうして、と俺は言葉を続ける。
「俺は病の床に付して、回復の見込みのない人間として公表されました。そして、デイヴィス・イグレシアスは実質上、『死んだ』王族となりました」
回復の見込みのない人間だ。いざとなったときにそんな人物ならたとえ王族といえど重要な取引の材料にはならない。また、夜会や茶会などの公共の場で俺の不在を証明すれば狙われることは格段と減る。
そしてそれは姉君の思惑通りだった。
「…それからは、俺のレイモンド・デイヴィスとしての人生が始まりました」
俺を皆の目から避けて住まわせるために建てた小さな部屋には姉君が信頼を寄せる人間だけが配備された。
「許して、と口ではいうのに、あの頃の姉君は許さないで欲しいと全身から叫び声をあげていました」
「…だから女王陛下は、不戦の契りの年齢を一定以上に引き上げたのね?私は十八になったら結ぶように言われたわ」
サラ様の言葉に俺は頷く。
「女性なら十八以上、男性なら十六以上と引き上げました。その頃の年齢になれば少なくとも力はありますし、ある程度の自衛は可能ですから。だから俺は望むなら十六になった後、王弟として奇跡的な復活を遂げたというシナリオで、皆の前に姿を現すことも可能でした。でも、十年以上レイモンド・デイヴィスとして王族の務めとは無縁に生きてきて、今更王族として皆の前に出るのはなんだかだめで。というか、交渉団に絶対入るから王族としての生き方は捨てる、って姉君に言って」
そこまで言って俺は笑ってしまう。
「…それが姉君と交わせた最後の言葉でした」
…
しばらくの沈黙ののち俺は言った。
「…ちょっと、似てるんです。あの、渡り廊下からの離れの部屋への景色が」
まるで言葉を発さない二人に俺は笑いかける。
「皆がいる王宮から、一人離れに帰る感じが。姉君が、俺に作ってくれた離れにとても似てて…」
目を伏せる。今でもありありと思い出せる。温かなティータイムのあと、なぜ自分だけ離れに帰らなきゃならないのか。なぜ父上と母上はそこまで悲しい顔をしているのか。
…なぜ姉君は毎回毎回泣いているのか。
「あの、どうしようもない寂しさを思い出すんです」
ブクマや、ポイントありがとうございます。めちゃくちゃ嬉しいです。ほんと、拙い作品ですし、改稿も多いですけど、たくさんの人が見ていてくださることに感謝します。
ありがとうございます。コメントとかもお待ちしてます!!