25.これからとレイの秘密について
「それで、これからの旅程はどうされるおつもりでしょうか?」
宿に帰ってきて私の部屋で寛いでいるとき、不意に投げかけられたレイの言葉に私は首を傾げた。
「旅程、というと?」
今度は私の言葉にレイが首を傾げる番だ。
「…決められてなかったんですか?これからどうするか」
そう言われてはた、と何も考えていなかったことを思い出す。思わず隣で手作業をしているマリアを見遣ると、マリアも頷いている。
「…ええとごめんなさい。本当に何も決めてなくって。とりあえずゆっくり数年かけて同盟国を回っていこうかしらって思っていて」
「そうだったんですね…ちなみにつかぬことをお伺いしますが、これからの旅の間のお金や住まいなどはどのようにお考えでしょうか?」
レイの言葉に答えたのはマリアだ。
「お嬢様はすでに三年前から投資家として成功されてるので、ほっといても常にお金が入ってくる状況よ。あと、私も僅かばかりながら懐には余裕があるわ」
そう、マリアは確かに一介の侍女とは比べ物にならないほどのお金持ちだ。交渉団団長を勤め上げ、たくさんの褒賞と、退団金なども貰っている。また、交渉団に属してた団員なら確か将来墓場に行く時まで毎月一定の少なくない額の生活保証金が支払われる。そのため交渉団はかなり人気の就職先だ。何百人に一人しか入れないような狭き門だとマリアから聞いたことがある。
そう考えると、その狭き門の先のさらに狭き門のさらに先の狭き門の本当にたった一人しかなれない、過去に三人しかいない団長のうち二人が目の前にいるってかなりやばいことなのではないかとちょっと冷や汗が出る。
まあ、それはおいおい考えるとして、そういうわけで、マリアは本来侍女などはしなくてもいい。
レイが言葉を続ける。
「そうですか、俺もまぁ、一応団長ですし王族なので…あと、エドワード義兄さ…国王陛下からこれも預かっています」
そう言ってレイは懐中時計を取り出した。数日前私が見つけた時には必死に隠そうとしていた細工を触っていたと思ったら、何のためらいもなくカパリ、と開ける。そうやって中から取り出したのはブリタニカ国王族の印璽だった。
「こ、こんな大事なものを!?」
おもわず声が裏返る。予備を入れても国に二つしかない貴重な貴重な印璽だ。
「ええ、海外滞在中の支払いは全部これで済ませろと言われてます。なんなら各国で滞在用の家を買ってもいいそうです」
むしろ買ってくれと言われました、そう言ってレイはにこりと笑った。おおう、イケメンの笑顔正面不意には心臓に悪い。それよりもその手に持っているものがさらに心臓に悪い。
「れ、レイ…お願いそれはしまっていて。もしそんな貴重なもの失くしでもしたら私ブリタニカに帰れないわ…お金ならきちんとあるし、お父さまから私もヘンリクセン家の国際銀行使用証明書をいただいているので銀行からいつでもいくらでも預金を降ろしていいといわれているわ」
信じられない。こんな国宝持ってきてたのこの人。そしてこんな国宝渡しちゃったの国王陛下…
「もう…本当に陛下は…私を甘やかすんだから」
「甘やかさせてあげてください。あの人にとって、サラ様は本当の娘のように甘やかしたい人なんです。もちろん俺も大事なあなたを甘やかしたい、マリア殿もそうです」
レイの言葉に顔がどんどん赤くなる。もう!どうしてこの人!こんな言葉をくれるの!
「ちなみにレイ、お嬢様がそうやって赤くなるのは、ただ単に嬉しい時よ。決して通じてるわけじゃないからこれからも引き続き頑張ってね」
マリアの言葉に私もレイも首を傾げる。
「えぇ…と、まぁそれじゃあお金の心配はとりあえずはないとして、問題は住むところです。このまま宿を取り続けるのも構わないんですが。どうしましょうか。いっそのこと本当に各地に家でも買いますか?」
「でもそれだと、次の国に移った時に無駄になってしまうわ。確かに宿でもいいけれど、落ち着いたところに住みたい気持ちもあるのよね…やっぱり、建てるしかないのかしら。各地に別荘っていう形で建てていけば、後々使うこともあるかもしれないわね」
「そうですね。そっちのほうがサラ様の健康を維持するのにもいいと思います。やはりずっと宿では疲れは取れませんからね」
「…なんだかんだで、二人とも本当に根っからの上流階級の人間なのよね…」
私たちの会話を聞いていたマリアが頭を抱えながらポツリ、とつぶやいた。思わずマリアを見る。
「いいですか?お嬢様、レイ。こういう方法もあります」
なんだろうと私もレイも耳を傾ける。
「借家を借りるのです」
「「しゃくやをかりる????」」
私とレイの言葉が重なった。
「ええ、とごめんなさい、いくら記憶を呼び起こしてもそれは聞いたことがない文章だわ。それはなんなの?」
私が尋ねるとマリアが教えてくれる。
「もう人が住まなくなった家や、誰かが他人に貸すために建てた家を借りて住むことです。毎月一定額の賃料で住むことができるシステムです」
「なんでそんなことをするの?宿と何が違うの?」
「家を買うだけのお金がないからです。もしくは家を買えるだけのお金を貯める間借家に住む人間もいます。宿と違うのは値段です。借家のひと月の賃料は、宿にひと月泊まったときの数分の一ですから」
はっ、と息を呑んでしまう。また自分の世間知らずに気付かされた。どれほど貴族の生活が普通ではないのかを散々思い知らされる。小さな頃から立派な家があること。それは決して当たり前のことではないのに。
「マリア…私…」
私の言葉にマリアは判ったようにうなずく。
「はいはい、恥ずかしいんですね。大丈夫です。見聞を広げるんでしょう?いまから学んでいけばいいんです。いくら知識量がすごくたって、あなたはただの十六歳の令嬢だということを思い出してください。焦らなくていいんです。時間はたくさんあります」
「はい…」
と小さくなって、ふとレイを見るとレイも固まっている。
「…俺もそんなの全然知らなかったです。てっきり誰もが自分の家を持っているものと…はずかしいです…」
「交渉団で各地に赴くことはあっても、基本的に仕事がメインだし、住宅状況なんかわざわざ酒場でしないわ。レイもまだ二十三歳なんだからこれから知識も見聞も広げていけばいいだけのこと。さて、こういうのもあるよーという話でしたが、お嬢様。どうなさいます?」
そんなの、決まってる。
「家を!借りに行きましょう!!!」
――――
二週間後、私達三人はイランニア国の王都に近い小さな町、グルニクにいた。町はずれの静かな湖畔の傍に建てられた、三人で住むにはちょっと広めの家を借りたのだ。そして今日は引っ越しの日だった。
数年前にどこかの没落した貴族が無理して建てたというその家は、庶民が手を出すにはかなり賃料が高く、貴族が好んで買うほど豪華な建物でもなかったため、長年住人が不在のままだった。私たちが借りるといった時、管理をしていた仲介業者が飛び上がって喜んだほどだ。
でも管理人としてはやはりきちんと管理をしていたようで、私たちが住むときも埃ひとつない状態で綺麗にされていた。ベッドだけは変えてもいいという了承を得て、申し訳ないけれどベッドだけは新調させてもらった。誰かが使ったベッドにはちょっと抵抗があるもの。
そして、今回家を選ぶうえで決め手となったのが、本邸から五メートルほどの位置に建てられた離れの存在だ。本邸とその離れは廊下を渡して自由に行き来できるようになっている。
「いくらなんでも、未婚女性と同じ屋根の下で暮らすわけにはいきません!俺は、毎晩外で野営を張りますから!もしマリア殿の手助けもいただけるのならたまには宿で休ませてもらうこともしますから!」
「一緒の宿に泊まるのと何が違うの???」
「全っっっっっ然違いますからね!?」
と若干口調崩壊が始まったので、妥協案として、離れがあるこの家に決まったのだ。
「廊下でつながってるじゃないですか…」
とレイは最後までぶつぶつ言ってはいたけれど、最後には納得して離れに住むことを了承してくれた。
荷物、と言ってもそんなにないのだけれど。
それらをレイとマリアが運び込んでくれて、私はというと手持無沙汰で暇で仕方なく、マリアのところにひょこひょことお邪魔をしたら案の定あちらへいってくださいと言われた。
そして今むーんとなりながら今度はレイのところにお邪魔をしに来たのだ。離れと本邸を繋ぐ廊下のところに彼の後姿を見つけて私は声を掛けた。
「レイ?」
後姿が見えて声を掛けたが、レイは離れの廊下に立ってじっと離れを見つめていたまま気付かない。
珍しいな、と思いながらもそろりそろりとレイの傍に寄り、そっと「レイ?」と声を掛けようとして息を呑んだ。
これ以上ない険しい顔をしたレイがそこにいたから。
「…レイ?どうしたの?」
「…っ!サラ様、すみません、ちょっと考え事をしていて。ひょっとして何回か呼ばれました?」
瞬時にいつもの穏やかな顔つきに戻ったレイにほっとする。
「いいえ、何でもないわ。…どうしたの?」
「大丈夫です、なんでもないです」
そう言って笑って見せてくれたが、ほっとくわけにはいかない。こんな時に使わないでどうする私の特技。あの目は…。
「…なにかを思い出してしまった?それは辛いもの?私たちにも話してもらえないこと?」
私の言葉にレイははっと、目を見開いた。
「…普通の会話で読み取ることはないから安心して…って言ってたじゃないですか」
力無く笑いながら言う。でも、ここで引き下がれない。
「だってこれ普通の会話じゃないもの」
「何の基準ですか」
「私の基準」
ふはっとレイが笑う。ああ、あなたのその笑い方大好き。
「まだ、あの夜の続き、話してませんでしたね。話します。マリア殿にも。…なんで俺の存在が隠されてたのか」
うん、…待ってたわ。