21.膝を合わせて話をしましょう【レイ後編】
「次期、女王の護衛だ」
「はっ!!!」
だが、ひとつだけ憂いがある。
「陛下、私は姉君…シャロン前女王と『不戦の契り』を交わしています。なにか不測の事態が生じた場合、私は身を代わりに差し出すことしかできません。護衛として不十分では?」
「…わかっている。だが、お前以外の人間が考えられないんだ。できるだけ、そういう事態に陥らないように先々を読み、人心を掌握できるような人間が…あのとてつもなく優秀な令嬢に並の人間では付いていくことすらできないだろう」
あと、と言って国王は言葉を続けた。
「サラ嬢は、あのシャロンをメロメロデレデレにして『大好き』と言わせた子だ。…お前もきっと好きになる。似てるからな。イグレシアス姉弟」
くっくっくとそう言って国王が笑った。
―――――
「『不戦の契り』というのは王族だけに求められる契約です。シャロン前女王陛…すいません長いのでもう姉君と言いますね。姉君が十八年前に近隣諸国と制定した『不戦の誓い』。これについてはもうお二人ともよくご存じだとは思いますが、同盟国同士絶対に戦いを行わない、というものです。それに伴って、俺たち王族は他国の最高権力者を集めてその目の前で『不戦の契り』を行ったんです」
これは文献にも載っていない。マリア殿ほどの人間でもおそらく知らない。だから、サラ様は女王教育の一環で教えられたのだろう。次期女王として就任するときに、サラ様もおそらく同じ儀式を行わなければならない。
「『不戦の契り』は、他者に絶対手を挙げない。たとえ攻撃を受けても絶対に攻撃を返さない。腕を望まれたら腕を。足を望まれたら足を。許されているのは自衛のみです。死ぬような局面においての催涙弾などでの自衛も可能です。ただ、自衛であろうと他者に手を挙げること、血を流すこと殺すことは何があってもしてはなりません」
「なぜわざわざそんなことを?」
マリア殿が尋ねてきた。無理もない。こんな誓いをしたって王族が損をするだけだ。
「…姉君が、『不戦の誓い』を制定するうえで他国を納得させるために行ったんです。ブリタニカの軍事力はまぁ、今もですが当時はさらに強大でした。そんな国があなたたちと平和関係を結びたい、といきなり言ってきても信じられなかったんでしょうね。そう言って油断させて、取り込む気だろうと。最初はなかなか首を縦に振ってくれませんでした」
姉君が苦労していたことを思い出す。毎晩執務室で頭を抱えていた。今となってはもうすでに懐かしい思い出だ。
「俺と姉君、父上と母上や叔父たちを含む王族全員が『不戦の契り』を交わした後に、姉君がその場にいた他国の最高権力者の前で言い放ったんです。「さぁ、私たちブリタニカ大国王族はたった今『不戦の契り』を行いました。どうぞ、私たちを信じられないのであれば今刃で切り付けてください。私たちは抵抗する武器も道具もありません。護衛にも手を出すことを禁じます。あなた方がそう望むのであればこの身が絶えることを甘んじて受け入れましょう」と」
サラ様もマリア殿も顔色が悪い。当たり前だ。一歩間違えれば王族が一瞬で淘汰されていたかもしれないのだ。
「正直」
俺はふはっと笑ってしまう。あの時のことがありありと思い出せる。
「めちゃくちゃ怖かったです。その時俺はまだ五歳で、母上のドレスにぎゅっとしがみついて震えていました。事前に姉君から説明されていましたから」
「そう…でしょうね」
サラ様が泣きそうな顔で言ってくれる。きっと彼女のことだ。五歳の俺の感情を想像して憐れんでくれているのだろう。本当に優しい令嬢だ。
「でも、そのおかげでブリタニカの決意が他国に伝わりました。そしてそれからもう少しで二十年ほどですが、一回も戦争は起きていない。姉君の望んでいた平和が実際実現しているんです」
ですが…と俺は言葉を続けた。
「その『不戦の契り』のせいで、サラ様の危険を確実に取り除くことができなかった。護衛として、失格です。申し訳ありませんでした」
そう言って俺は深々と頭をさげた。
…?返事がない。どうしたのだろうか。訝しみながら顔を上げると、頬を真っ赤にして膨らませているサラ様の顔が見えた。俺は首を傾げる。なにか怒らせるような発言があっただろうか。
「あ、あの、サラ様?」
「…っ!!!!レイの馬鹿!大馬鹿!大馬鹿!!!馬鹿馬鹿馬鹿カーバ!!!!!!」
ん?最後なんか違わないか?というか、なんでこんなにこの令嬢は怒っているんだ?最近よく思い出していたからか、姉君が脳内にひょっと現れて『レディーが怒ったらとりあえず謝りなさい。あなたが悪くなくてもとりあえず謝っておきなさい』と囁いてくる。久しぶりに見ても綺麗な人だ…ってそうじゃない。
理解ができず、マリア殿にも目をやると、頷いて視線だけで『謝っておけ』と言ってくる。
「え、ええと、サラ様…なにか気分を害されて…あの、申し訳ありません?」
首を傾げながら言うとサラ様がその美しいエメラルドグリーンの目をきっと吊り上げて怒った。
「怒らせてる理由もわからずごめんなさいっていう男が一番嫌われるのよ!」
おい、姉君、マリア殿。
「怒るわよ!そんな大変なこと一人で抱えて誰にも言わずに私の我儘のせいで深い傷まで受けて一生懸命守ってくれたのに『護衛として失格』ですって?『申し訳ありません』ですって!?そんなわけないじゃない!あなた以上の護衛なんていないわよ!!!!」
ふー、ふーっとまるで威嚇する小動物のように荒い息を吐きながらサラ様が肩を上下させている。
「…あ、ありがとうございます?」
なんだかよくわからないけれど、護衛である以上護衛対象に傷をつけたらだめですよ…と思うが、俺が役不足でないことだけは確かなようだ。
「なんだかよくわからずにありがとうっていう男も嫌われるのよ!!??」
駄目だ、今日の俺は何をしてもこの令嬢を怒らせる。謝ることも感謝も駄目ならどうしたらいい。困惑していると、サラ様がふらり、と立ち上がってその両手を俺に向かって伸ばしてきた。
―――何、を。
そう思うよりわずかにサラ様が早かった。ふっと、優しい花の香りがしたと思ったら視界がすべて覆われた。ぎゅう、と頭が締め付けられている。すっぽりと、俺の頭まるごと彼女の腕の中に包み込まれた。
「レイ、ありがとう。本当にありがとう。あなたの事情を全部知っていたのに確証がなかったから、無茶なことをしてしまった。…行動に気を付けるわ。二度と危険なことはしない。あなたたち王族が国を守るために、平和を作り出すために行ってくださった『契り』を無駄なものにしない。その高潔な誓いを絶対に破らせない。…謝るのは貴方じゃなく、私のほうよ」
声が震えている。…泣いているのか。
「あなたが、私を『守る価値がある令嬢』として…っ見てくれるよう、に。護衛…っしたいと思えるような令嬢に、頑張って、なるから」
―――なってますよ。すでに。姉君があなたを次期女王として認めた時点で、それだけでも理由は十分です。
…でも、プレッシャーにさせたらいけないからこれは黙っておこう。
サラ様は俺の頭をそっと開放した。そうして体を離して俺に向かって真剣な顔を見せてくる。
―――あぁ、やっぱり、涙に濡れた瞳も本当に美しい。
「だから、今回のこと、本当にごめんなさい」
しっかりと謝罪の言葉を投げかけてくる。そうだ、姉君が選んだという理由がなくても、俺が守りたいと思ったのはサラ様がこういう令嬢だからだ。きちんと他者を思いやり、自身の行動を顧み、非を認めて他人に対して頭を下げることができる。謝らなくていいと返してしまうのは簡単だけれど、それはこの令嬢の謝罪を受け取ったことにならない。
「…もう、無茶はだめですよ?俺の大事な人」
努めて優しく聞こえるように、サラ様に向かって心からの気持ちを伝える。…と、目の前のサラ様の顔がどんどん赤くなっていく。
「ど、どうされましたか!?」
「このド天然!!!!!!」
そうして再びサラ様を怒らせてしまった。どうしたらいいかわからずマリア殿に助けを求めようとするが、ニヤニヤしながらこっちを見て「いいつまみだわー」と言いながら三本目になる瓶を開けようとしている。
助けてほしいのにサラ様の怒りは収まる気配がない。
「もういいわ!なんでレイの存在が隠されていたのかとか、なんで交渉団に入ったのかとか、他にもいろいろ聞きたいことあったけどもういい!後日でいい!寝ます!」
そういってすたすたと歩いてベッドの中に入り込んでしまった。ナイトドレスだったから構わないと思うが、いきなりふて寝をした令嬢の扱いなどわかるわけがない。呆然と立っていると、マリア殿がちょいちょい、と手招きした。王族を手招きなど通常なら絶対に不敬だが、全然気にならない。むしろ変わらない態度が嬉しかった。
「?」
疑問に思いながら近づくと、耳を貸すように言われる。耳を近づけるとマリア殿がこそっと教えてくれた。
「大丈夫、嬉しくて照れてるだけだから。ストレートな愛情表現が一番効果的よ。頑張ってね」
「はぁ…頑張って、とは?」
小声で返すと、マリア殿はそっぽを向いてぶはっと噴出した。
「だめだわ。これ、何年かかるのかしら」
なおもおかしそうに肩を震わせるマリア殿に本当に訳が分からず俺は首を傾げるのだった。