2.元・次期女王と侍女
「サラ次期女王!!」
国王の声に、シン、と広間が静まり返る。一体国王は何を言っているのだ。ご乱心されたのか?という貴族たちの声なき声が聞こえてくるようだった。
静寂を破ったのは、第一王子、アースだった。
「父っ上、なにを…」
かなり動揺しているのだろう。来賓の前で呼び方が『陛下』から『父上』に戻ってしまっている。アースのその反応に国王ははぁ…と長い長い溜息をついた。
「この十年、お前は何を学んできたんだ」
「父上、意味が分かりません。なぜサラを女王などとっ…!」
「わかってないのはお前だ。アース。王族としてそれ以上恥をさらすな」
厳しい口調に、国王がアースへと閉口を言外に命じたことがわかる。そして彼はそのまま言葉を続けた。
「この国は元々」
その物言いに比較的最近社交の場に顔を出した若者たちは首を傾げ、古参の貴族は何かを思い出したように目を見開いた。
「女王制だ。」
国王の大きく響く言葉に、来賓から「そういえば…授業で」とか「確かに、十年前までは…」などといったひそひそ話が持ち上がる。そして、と国王は言葉を続けた。
「サラは、先代の亡き女王、そして私の妻であったシャロン・ペトラ・イグレシアスが正式に認めた『次期女王』だ!!!」
広間に響く国王の言葉に今度はアースのみならず誰もが口をあんぐりと開ける。
「なっ、そ、そんなの聞いていません」
アースのアホのような言い訳にサラは思わず頭を抱えた。そんなの聞いてないも何も、あなたは将来の王婿としての教育を受けてきたでしょうに。
―――本当に何も聞いてこなかったのね…
アースは基本的にあまり頭がいいほうではない。それ自体は別に構わない。実質私が女王となったら、国政を取り仕切るのは私と宰相だ。もちろん王婿としての役割は果たさなければならないけれど。
時には女王の配偶者として、時には疲れた女王を癒すパートナーとして。時には慢心してしまいそうな女王を諫める助言者としてたくさんの立ち居振る舞いが求められる。だからこその教育を受けてきたはずなのに。
―――自分が王となると信じて疑わなかったのでしょうね。
それはさておき、とサラはどうにかこの場を退出できないかと考える。扉の前でいつまで佇まなければならないのか。今度こそ誰にも聞かれぬようにため息をついて、サラは国王へと声を掛けた。
「陛下」
その一言でざわざわとした広間がまたシン、と静寂を取り戻した。
「確かに私はシャロン陛下より次期女王にと認定されました。しかしそれはこの国の第一王子、アース様との婚姻あってのこと。婚姻がかなわなければ女王の立場に就くことは不可能です。そして私はたった今婚約を破棄されました。」
そこまで言って大げさに俯く。まるで女優みたい。悲劇のヒロインに見えるかしら?とちょっとだけ楽しい。
「お願いです。公爵家の令嬢の矜持を守らせてくださいませ。これ以上立場や権力に縋り、この場に立っていられる醜聞をさらし続けさせないでくださいませ。どうか」
退出の許可を、と言って最後には顔を覆って悲痛な声を出して見せる。
「サラ…」
父親のような、人だった。いつも女王教育を受ける私のところに内緒だよ、と言って甘いものを差し入れてくれるようなとても優しい愛情に溢れた国王だった。義父となるのに何一つ不安などなかった。
そんな人が今、苦虫を噛むような顔と声で言う。
「退出を。…サラ嬢」
「陛下、今まで、ありがとうございました」
今度こそ、きちんと、丁寧に礼をして私は扉を通った。
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「はー。疲れた!」
あのあとすぐに馬車に乗り込み、ヘンリクセン邸宅に戻り、自室に入ると一気に疲れが押し寄せてきた。令嬢らしからぬ振る舞いと分かってはいるが、ふかふかのソファにドサリと雪崩れ込む。
「サラお嬢様、お行儀が悪いですよ」
くすくすと笑いながらもやんわりと私を窘める彼女はマリア。わたしの侍女だ。私が手渡した外套に丁寧にブラッシングを施してくれている。
「ごめんね、マリア。女王付き王宮筆頭侍女の座を手に入れてあげられなかったわ」
私のその言葉にマリアはきょとん、と首を傾げてまたくすくす笑い出す。
「私はそんなものに露程の興味もないこと、ご存知でしょう??」
あと、それに。とマリアは言葉を続けた。
「最初から婚約破棄に抗う気などないお嬢様のお話を聞いていたんですもの。鼻から期待なんかしていませんわ」
ちょっとその物言い、仮にも自分の主人にどうなの、と言いながら私も思わず笑う。でも、彼女の気軽さがとても心地よい。
「それに、アース第一王子と結婚されなくてよかったです。あんなアホで短絡的で向こう見ずな性格が許されるのは子どものうちだけですわ。あんな男性に私の大事な大事なお嬢様を取られるなんて考えただけで身の毛がよだちます」
ーーー出た。強火私担侍女マリアの毒舌。
「お嬢様の才能は世界一です。どこを探しても貴方様程女王の器にふさわしい人はいらっしゃらないでしょう」
「それもう耳タコよ」
苦笑しながら手元にあったクッションを胸に抱えてぎゅうと抱きしめてまたごろん、と寝返りを打つ。夜会用に仕立てられた豪奢なドレスが皺になるのももうどうでもいい。こんなドレスを着ることももうないのだから。
「貴方が統べるこの国の未来を見たかったのですが、仕方ありません。それに、貴方が幸せでなければ意味はありません」
「…ありがとう」
マリアは嘘をつかない。毒舌だろうがなんだろうが彼女の発せられる言葉には裏表がない。だからこそ信頼して傍に置けるのだ。
「ねぇ、マリア。本当に私に着いてきてくれるの?国外追放よ。国王が働きかけるでしょうから、一応永久ではないだろうけど、もしかしたらこの国には帰ってこれないかもしれないわ。」
「今更ですね」
即答に笑ってしまう。
「本当ね。三年前から巻き込んでおいて今更すぎるわよね」
「旦那様からも重々仰せつかっております。サラ様は目を離すと何をしでかすかわからないので、国外追放の折もしっかりと目を光らせておくようにと」
「自分の娘が国外追放になったってのに呑気なもんね…」
「それ以上に呑気なのはサラ様ですけどね。まあ皆様三年前から知っていたことですから」
「あとは、お父様がどんな人を王宮から引っ張ってくるかだけね。明日になるかしらね。今はお城それどころじゃないはずだから」
今頃起こっているであろう王宮の混沌を想像して思わず笑ってしまう。皮肉な笑いではなく、単純に面白い。アースがベアトリスちゃんと次期国政を任される可能性はとてつもなく低くはなっちゃったけど、きちんと想い合ってる同士、結婚はできそうだ。
「…良かったね」
お嬢様?何か仰いました?マリアの言葉に小さく首を振る。
恋愛ではなかった。どう考えても政治的な結婚だった。それでも、大事にしてくれたし、大事にしてあげたいと確かに思い合った時期があったのだ。初恋とも違う、なんだかとても優しい思い出。
だからこそあんな終わり方で残念だと思う。そうでなければいい思い出で終わったのに。だがもうそれすらもどうでもいい。全ては終わったことだ。
「明日からの人生が楽しみだわ、マリア」
ソファの上から呼びかけると、マリアもまた笑ってそうですね、と返してくれた。