183.仲裁
「お嬢様…」
「嬢…」
一応まだ来賓扱いではあるものの、実質的に私の部屋として割り当てられている一部屋で、私は王宮に割り当てられた2人が私を挟んで座って、泣きじゃくっている私の背中を優しくさすってくれる。
その優しさがまたさらに涙を加速させる。
「…お嬢様は間違っていませんよ。確かに言付け一つ置いていかなかったレイが一番悪いんです」
「そうだ。あいつが悪い。まだまだ未熟な男だと思って、許してやってくれないか?」
2人の言葉に泣きながらも私は首をブンブンと横にふる。
「ちが…っ!ちがう、の。…わかってる…っ!レイだって、わざとやったわけじゃ…っ。私も…っ、許すつもり、だっ、のに…っ!なんであんな…っ、試すような…っ!」
『釣った魚に餌はいらない』
私を溺愛してるレイに、あんな言葉は一番傷付けると分かってたのに言ってしまった。
前言われたのに。試すようなことを言うのはやめて。って。嫌なことがあれば嫌ってきちんと言ってって。確かにそう言われたのに。
試したくなった。慌てて『そんなわけないじゃない』と言って、ドロドロに拗ねる私を甘やかしてほしくて。
それがレイの逆鱗に触れた。
完全にわたしの失言。しかも、相手を試すために言ったのだから失言レベルじゃない。
そんなことを泣きながら2人に伝えると、マリアがゆっくりと口を開いた。
「…お嬢様。昔ですね、1人の男をただひたすらに愛してたバカな女がいたんです。大好きで大好きで、何もかもを捨ててでも、その人と一緒になりたいと思うほど愛していた人が。そして、相手の人も心をくれました」
すぐに、察した。マリアのことだ。
「…でも、その女は最後にかける言葉を間違ったんです。『これからのことを一緒に考えてほしい』と言わなければならなかったのに、『別れましょう』と」
ちら、と見るとエルグラントの瞳が揺れる。懐かしいような、寂しいようなそんな感情。
「かける言葉を間違った女は、失意の中をひたすら彷徨い、間違った言葉をかけられた男は、14年間、そのバカな女に縛り付けられて、新しい恋人を作ることも出来ず、苦しみの中にいたんです」
話を聞いているうちに涙も少しずつ収まってきた。続きを促すようにマリアをじっと見ると、私の顔を見てふ、と笑ってくれた。
「怒っていいです。怒っていいんです。さっきのお嬢様は正しかった。ただ、最後の言葉だけ間違えました。『釣った魚に餌はいらない』では、レイの愛情を疑っているのと一緒です。違います。違うんですよ、お嬢様。ああ言う時は正しい言葉を使わなくては」
そう言って、マリアはもっともっと優しく微笑んだ。諭すように、ゆっくりと紡がれる言葉がす、っと頭の中に、心の中に入ってくる。
「『寂しかった』ーーーそう言うだけでよかったのです。どんな言葉よりレイに反省させられる。そして、どんな言葉よりお嬢様の全ての感情を伝えられる正しい言葉です」
「あ…」
その言葉はどんな嫌味を言うよりも怒るよりもす、と私の中に入ってきてどこかに着地点を見つけてすとん、と落ちた。
そうだわ、私は。寂しかったんだわ。忘れられたようで、蔑ろにされているようで。ただただ寂しかっただけなんだわ。それを伝えるだけでよかったのに…!
「マリア、エルグラント…私…!」
うんうん、と言って私の頭や背中を撫でてくれる2人が優しい。
「レイのとこ今すぐ行きたいと思うよな。だが嬢、少し時間切れだ。嬢の教育が始まる時間だ。終わったらいくらでも付き合うから」
「そうですよ、お嬢様。…女王たるもの、私より公を優先せねばならぬことなどこれからたくさん出てきます。気持ちはわかりますが、少し待ってください」
「…大丈夫。こんな顔でレイのところに行ったら、あの人を心配させすぎるから」
「…それでこそ、嬢だ。…っと、すまない嬢、マリア、少し席を外していいか?今からハリスも合流するし」
「?いいわよ」
「……。いいわよ」
私とマリアが返事をすると、エルグラントは少し困ったように笑った。
「…悪いな。嬢も大事なのと同じくらい、レイも俺にとっちゃ息子みたいに大事なんだ。最後の拳を打ちつけたような物音がどうしても気になってな。悪い」
そう言ってエルグラントは私の頭をポンポンと叩くと、部屋を出ていった。
ーーーーーーーーーー
サラが出て行った後、本当に衝動だった。衝動で俺は一番近い壁にこぶしを打ち付けていた。自分に対する怒り、伝わらない焦燥、サラに対する怒りはほぼ無くて、彼女に対する困惑。色んな感情が綯交ぜになって、拳に集まった。
「殿下!!!!!」
ジェイが血相を変えて俺の手を掴む。打ちつけた衝撃で肉が割れ、血がポタポタと落ちていた。
「血が…殿下、血が…」
「いい、そのままで」
「いいわけありますか!!!そこの君!止血帯と消毒液を」
「必要ないと言ってるだろう!!!!!」
自分でも驚くほどの怒鳴り声にジェイのみならず、部屋の隅に控えていた衛兵や侍女たちも肩を震わせた。
「全員出て行ってくれ。少し頭を冷やしたい」
俺の言葉に、ジェイを残す全員が一礼して出て行った。
「俺は、全員と言ったぞ、ジェイ」
「…ですが…」
「ジェイ」
「………っ。…っ、わかりました。せめて我が君よ。こちらをお使いください」
そう言ってジェイは懐からハンカチを取り出し俺の前にそっと置いた。
「控えておりますから、いつでもお呼びください」
ジェイも一礼して部屋から出て行く。
パタン、と扉が閉じられた瞬間、俺はソファにドサリと倒れ込み、天を仰いだ。
「…くそっ」
どれくらいそうしていただろうか。1分程度のことかもしれない。5分以上経っていたのかもしれない。
思考回路がぐちゃぐちゃで、問題点も改善しなきゃいけないところもわかってるのに、感情がついていかない。
ただこのままじゃいけない、分かってるのに。仕事も始まる。動かなきゃいけない。分かってるのに。
「動かねえくそ…」
ヒューゴの言葉遣い!という窘める声が聞こえて笑ってしまう。ほんと、もう、ぐちゃぐちゃ。
そんな時だった。扉の向こうから、トン、トンとこの部屋をノックする音が聞こえた。俺は天を仰いだままひゅ、と眉を顰める。
「なんだ、ジェイ、言っただーーー」
「俺だ。レイ」
その声の主に俺はガバリと起き上がる。
「エルグラントさん?!」
「ああ…入っても?」
「す、少し待ってください」
俺は慌てて立ち上がり、足早に扉へ向かい、それを開いた。
「おう、悪いな。1人になりたかったろうに」
「いえ…」
むしろ、今は無性にサラでもマリア殿でも他の誰でもないエルグラントさんに会いたかった。なんでかはわからないけど。
「入るぞ…ああ、全く無茶する」
そう言ってエルグラントさんは小脇に抱えていた救急箱をテーブルの上に置いて、俺をソファに座らせた。
そのまま俺の左手を取り、「うえ、痛そうだ」と言いながら顔を顰めて、テキパキと消毒し、血を拭き取り、包帯を巻いて行く。
「懐かしいなぁ。お前は契りのせいで、訓練の時も受け身ばっかだったから、よく怪我してたもんなぁ」
懐かしそうに目を細めるエルグラントに、なぜだかわからないけどすごく泣きたくなる。
俺はこの人の前ではいつでもどこでも、子どもにもどったような感覚に陥る。気がつけば、ぽろっと言葉が口から出てきた。
「…エルグラントさん、俺。俺、本当に自分が悪かったってわかってんです。結婚の打ち合わせに彼女だけ残して仕事に行って」
「…おう」
言葉を紡ぐのをエルグラントさんはじっと待ってくれる。
そう、昔からこの人はこういう人だ。
「でも、ほんの少しだけ、サラならちょっと怒っても許してくれるって…最近言いたいことを言い合えるようになったぶん、甘えが出たんです」
「…そうだな」
「それが…あんな…サラを都合いいように扱ってるみたいな発言されて、頭に血が上って」
「…ああ」
気がつけば、エルグラントさんは俺の横に座り、肩を抱いてくれた。
「今でも感情がぐちゃぐちゃで。悪かったって気持ちと反省と、なんであんな言い方されなきゃなんないんだっていう困惑の気持ちと、これからどうしたらいいのかわからない気持ちと、混乱、して」
頭を抱え、はぁ…吐息を吐きだす。
「…昔な、1人の女にアホみたいに惚れた男がいたんだ。そいつのためならなんでも頑張れる。その女の隣に立ちたい、ただそれだけで手前のクソ悪い頭で死ぬほど勉強しちゃうようなアホな男がな」
エルグラントさんが、とつ、とつと語りだした。
「努力して、努力してそいつの隣に立てて、そいつの心ももらった。…バカな男は舞い上がったんだ。嬉しくて嬉しくて、楽しくて、毎日が幸せで」
そこで唐突に理解する。これ、エルグラントさんの話だと。
「幸せだと、そう思ってた。でも、一瞬で崩れた。幸せに目がいきすぎて、楽しいことしか考えてなくて、俺は一番大事なことを忘れてたんだ。そのツケが回ってきて、俺は彼女を失った。一番大事なこと…なんだかわかるか?」
エルグラントさんの言葉に俺は首を横に振った。
エルグラントさんは、ふ、と笑う。
「…相手の気持ちを、きちんと確かめること。決めつけないこと」
エルグラントさんの言葉に俺は心臓を掴まれた気分になる。あまりにも今回の俺に当てはまりすぎて。
「そのバカな男はな、自分が幸せすぎて、相手の気持ちを聞いてやれなかったんだ。…相手の気持ちが自分にあると思って疑わなかった。…最大の傲慢だ。その結果、彼女は何も言わずに、去った。チャンスはいくらでもあったんだ。少し沈んだ顔をしたとき、何かを忘れるみたいに酒を煽ってたとき。…ほんとうに、いくらでもあったんだ。なぁ、レイ」
「はい…」
か細い返事に、エルグラントさんはまた優しく笑んだ。
「…お前はさっきの謝罪の時、嬢の気持ちをきちんと聞いたか?相手の気持ちを、分かった気になっちゃいかん。すれ違いが生じそうなときほど、きちんと話し合え」
ぐうの音も出ない。何もかもが正論で、自分がどれだけ子どもなのかを思い知る。もう、いい歳なのにほんとうに情けなくなる。
「…エルグラントさん、おれ…」
すぐに俺の気持ちを察したエルグラントさんが、頭を2回ぽんぽんと叩いてから、すっと立ち上がった。
「嬢は今日は夕方まで女王教育だ。お前は?」
「俺は午前中王婿教育、午後から交渉団で訓練と会議。それが夕方まで続いてから、少し間が空いて夕餉の後に王族たちと貴族院の会合。それが夜まで続いて、夜から夜中までは溜まってる事務仕事を片付けます」
「…すげえなぁ、お前」
エルグラントさんが一瞬目を丸くしてからくっくっくと笑う。
「そんなスケジュールじゃ、周りへの配慮は薄くなって当然だというのもわかる。だが、嬢だけは違う。彼女だけは大事にしないとな…そうか。それなら夕方は少し時間があるな。
嬢を部屋に待機させておくから、お前が来い。せめてもの誠意だ」
「わかりました…!!あの、エルグラントさん」
そのまま立ち去ろうとするエルグラントさんに俺は声をかける。
「どうした?」
「あの…あの、ありがとうございました」
俺の言葉にエルグラントさんは一度にかっと笑って、そして出て行…く直前振り返ってまた笑っていった。
「お前、ジェイももう少し信頼してやれ。かわいそうに。叱られた子犬のように項垂れてたぞ」
はい、という俺の返事をきいてから、今度こそエルグラントさんは部屋から出ていった。




