182.大ゲンカ。
レイ→サラ目線へ変わって話が戻ります。
――――――
正直に言うと、頭の片隅にサラのことはあった。
あー、やばいな、そのまま置いてきてしまったな、とか。連絡もしなきゃな。とか。ゼロだったわけじゃない。
だけど、マシューと飲んだ次の日、本当に目が回るような忙しさで、頭の片隅にありながらも「あとで連絡しよう、あとで連絡しよう」と思いながら動いて、気が付けばヘンリクセン家に手紙を出すのも失礼な時間帯になってしまった。
「…明日の朝。朝一で」
そう思って、ふらふらしながら一日仕事を終え、眠りについて。
「…殿下、失礼します。おはようございます。サラ様が、お会いしたいと王宮に来てらっしゃいますが」
ジェイの言葉にがばり!と。まるで本当にその効果音が聞こえるほど俺は次の日の朝ベッドから慌てて飛び起きた。
「サラが!?」
驚きもだけど、嬉しさがじわじわとこみ上げてくる。朝一でこんなに早く会いに来てくれるなんて。
向こうも今日は女王教育で朝から登城する予定だったのは知っている。ちょっと早めに出て、教育の時間が始まる前に会いに来てくれたんだろうな~などと本当に呑気に構えていた俺は、自室に通されたサラの顔を見て、ひやっと背中に汗が流れるのを感じた。
めっちゃ…怒ってはる…。
サラの張り付けただけの笑顔…マジ怖い…だけじゃなくて、後ろに控えるマリア殿も呆れた顔をしているし、エルグラントさんもいつもなら苦笑するところを、マリア殿と同じく若干その顔に呆れを浮かばせてる。
―――マジか…これぜってー詰んだ。
ヒューゴが聞いたらすぐに『言葉遣い!!!』と窘められるんだろうなと、こんな時に妙に冷静になりながらも、俺はソファに座るように促したのだ。
――――――
本当に本当に心配した。
交渉団で揉め事と聞いて、すぐ帰ってくるって言ったのにレイはなかなか帰ってこなくて。
いくら団長とはいえ、レイは王族。「不戦の契り」もある。他者に手だしできない。危害を加えられないというもの。もし巻き込まれでもしたら。ぞわり、と背筋が寒くなる。
でも、大丈夫。彼は本当に強く威厳がある人だもの。団員だってすぐに落ち着くわ。
そう、思っていたのに、夜遅くになってもレイは帰ってこなかった。
お母さまとマリアの意見も取り入れてドレスもだいたい絞れて、あとはレイともっと煮詰めれば終わりというところまで話し込んでいたので、とっぷりと日は暮れていた。
「もう、これ以上は城に滞在できないわね。帰らなくては」
お母さまがそう言い、私も頷くしかなかった。
でも、どうしても気になる。本当に大丈夫なのか、本当に無事なのか不安で不安で。
馬車の準備が整いましたという衛兵の声に皆が立ち上がり、城外に出ようとした時だった。
「ジェイ!!」
そう、交渉団宿舎のある方向からこちらへ歩いてくるジェイの姿を捉え、私は矢も楯もたまらず彼に向かって駆けだした。
「サラ様!危ないです!そんなに急がれては!」
私に気付いたジェイが慌てて走ってきてくれる。
ジェイの元にたどり着き、はあ、はあ、と彼を見あげて私はどうにか声を出す。
「れ、レイは?無事なの?無事処理できたの??」
「あっ…」
…あっ?予想外のジェイの言葉に私は首を傾げた。まるで何かを忘れていたことを思い出したような。
「あ、ってなに?何かあったの?」
「あ、いえ…あの、先ほど、きちんと全員の処分まで終わり…その。はい。今日は宿舎に泊まられると。サラ様に申し訳ないと…あのはい、すみません…」
私はジェイのその言葉に奈落に落とされたように感じる。だって…
「なんで私に向かって嘘つくの?ジェイ」
「…っ!!!!」
だった!この方は目で感情の機微を正確に読み取られるんだった…!みたいな表情してるけど。
「…レイは別に私に何も言ってないわね。私たちの存在を今思い出したのねジェイも。」
無言。だけど、この場合の無言は下手に言葉を発するより雄弁に答えを語っている。私ははぁ、と溜め息を吐いた。
「レイが何も言っていなかったことに私が落ち込むと思って咄嗟に「申し訳ない」と言ってたなんて嘘を吐いたんでしょうけど、逆効果よ。やめて頂戴。あなたのことを信頼できなくなるわ」
「…なにも、申し訳が…できません」
「二度とやめて」
きっぱりと言うと、ジェイがこれ以上小さくなることはないのではないかというレベルでしゅん、としてはい…と消え入りそうな声で言った。
「それで、レイは?」
ジェイの目が泳ぐ。どうしたのかしら。
「やっぱり!何かあったの!?」
「いえ!誓って!誓って物事は収束しました」
「じゃあなんでそんな目を泳がせてるのよ」
「…あの、その…物事を収束させた後…その…副団長と今お酒を飲まれていまして…」
…はあああああああああああああ!!!!!?????????
ジェイの言葉にぶわりと怒りが沸き起こる。
「…こちらはぎりぎりまでレイが帰ってくるのを待っていて…言づけも何もなしに、マシューとお酒…??信じられない」
レイはそこまで気遣いのできない男だっただろうか。
「あ、あの、差し出がましい事とは存じますが…その、我が主は今回すごく疲れてらっしゃって…その、とても優秀な方ですが、万能なわけではありませんのでそれで…」
「だとしても言付けくらい出せるでしょう。ヘンリクセン邸で打ち合わせならともかく、今日は王宮で打ち合わせだったのだから。あなたに一言いえばいい話じゃない」
「…ごもっともです」
「まあ、もういいわ。ジェイを叱ったって仕方がないもの。…とりあえず、あなたの顔を立てて今日は待ちましょう。あなたの言う通り、本当に精神が疲弊していたのなら、言付けを忘れることだって十分にありえるから。…明日まで連絡を待ってみるわ」
「…痛み入ります」
「レイが自分で気づかなきゃ意味がないから、あなたから進言したら駄目よ。もしそんなことしたら二度と私は貴方のことを信用しない」
頭に血が上ってたのは重々わかってる。でも、ちょっとここまで言わないと溜飲は下がりそうになかった。
私ひとりじゃない。お母さま、マリア、エルグラント、ハリスすべての時間をいただいておいて言付け一つせずに酒を飲むだなんて信じられない。
そして次の日レイから何も連絡はなくて。
もう私の怒りは沸点に達していた。これは一言言わないと気が済まないと早朝レイを訪ねて、レイの部屋に入った瞬間の、レイの腑抜けたへにゃりとした顔。
―――ぷちん、と何かがキレた。ソファに座るよう言われたが、そんな気すら起きず、立ったまま話しかける。
「レイモンド殿下」
すっと、私の呼び掛けにレイの顔色が変わった。
「おはようございます。よくお眠りになられましたか?」
「あ、…うん、あ、はい」
それはそれは、ようございました。私が言葉を紡げば紡ぐほど、レイの顔から血色が失われていく。
「さて、おとといの話ですが」
びく、とレイの肩が上がる。
「交渉団での荒事、無事収束されたようで何よりです」
「あ、はい…」
「ですが、それと同時になにかお忘れになっておりませんでしたか?例えば、婚約者の衣装選びの最中に抜け出した事実とか」
「いや…!ほんとに!それは本当に俺が悪かったです…!ごめん、ごめんなさい」
私は続ける。
「まぁ、殿方の仕事のことは女にはわかりませんもの。ただ、副団長殿とお酒を飲みかわす時間があれば、側近に言付けのたった一つ届けさせるくらいの配慮があったら良かったのではないでしょうか?」
「…ごもっともです。言い返す言葉もないです」
レイがしゅん、とする。
…べつに、しゅんとさせたいわけじゃない。私はふう、と息を吐きながら言う。
「…本当に心配したのよ。あなたが何かに巻き込まれてないか。王族の誓いによって、窮地に立たされていないか。次の日もずっとあなたのことを考えていたのに」
「いや、俺もちゃんと、頭のどこかにはあったんだよ。連絡しなきゃ、連絡しなきゃって」
「文の一つ。書けないほどの忙しさだったの?」
「…忙しかった」
「そう。ではあなたは昨日はご飯は食べたの?お茶は飲んだの?」
「え…あ、うん、一応は」
「…寝食より私を優先しろと言っているわけではないの。一昨日あんなことがあって、私たちがあなたのことを気にかけてるって、聡明なあなたなら気付くでしょう?…例えば、食事を摂ろうとする直前の一分間で文なんか書けるわ。「昨日はごめん。無事だったよ。忙しいから追って連絡するね」たったこれだけの短文を文にしたためて、側近に渡せばすぐ終わるの。それだけで私がどれだけ安心するか、あなたわからなかったの?
「…ごめん」
「結局、釣った魚に餌はいらないってことね」
「え」
その一言を発したレイの目には困惑と、わずかに、ごくわずかに怒りの色が浮かんでいた。しまった。と思ったけど、思ったより私は怒っていたらしい。
「言葉通りの意味よ。私は貴方と婚約した。でも、それであなたは安心したんでしょう?もうこれ以上大切にしなくても、なにも与えなくても、心配している私に連絡一つ寄越さなくても婚約の儀を行った以上離れることはないと高でも括っているんでしょうけど」
「…んだよ、それ」
「なんであなたが怒るのよ。ここで一番怒る権利はないはずだわ」
「…確かに言付け一つ出さなかった俺が悪い。そこに関しては、言い訳もできないほど俺が悪い。…でも、さっきの言葉は許せない。なに?釣った魚に餌はいらないって。それ本気で言ってるの?」
レイの言葉に怒りが滲む。でも、私も止まらなかった。
「ええ、本気よ」
「…心外すぎて吐き気がする。俺がそういう男だと思ってるの?」
「そういう男だと思われても仕方のない行動をしたってことよ」
「だからってなんでサラが俺の感情を決めつけるんだ。俺はサラのことを釣った魚と思ったこともないし、餌をやるだなんて、そんな考えで好きになったんじゃない。計算なんか一つもない」
「じゃあ、なぜ連絡もせずにマシューと飲むのよ!なぜ少しの時間を買い取って文の一つ寄越さないのよ!どう考えても私が正論だわ」
「ああ、ド正論だよ!だから、そこに関しては謝ってるだろ!!」
「それが謝ってる人間の態度!?」
「サラが釣った魚に餌はいらないとか、俺をそんな男だと見くびってるからだよ!俺が怒ってるのはそこだけだよ!」
「だから、そう思われるような行動を取ったのはあなたじゃない!!!!」
「だから謝ってるじゃないか!」
だめ。脳内からもう一人の私が顔を出す。こんなの無限ループ。わかってる。わかってるけどもう止まらない。
「…!もうレイなんかしらない!!!」
「俺だってもう知らない!好きにすればいい!」
その言葉に私は本日二度目のぷちん、が訪れたのを感じた。
マリア!エルグラント!行きましょ!!!!と二人を引っ張って退出する。
退出したあと、扉の向こう、レイの部屋から、ものすごい物音が聞こえた。拳で何かを叩きつけるような、そんな音。




