175.ホーネット家のポトフ
がちがちのホーネット家の皆さまからの挨拶を受けたのちに、私はエルグラントとレイに尋ねた。
「レイはホーネット家に行ったことがあるの?」
「うん、俺、訓練や勉強に没頭しちゃうから休日は食事とか抜きがちで。エルグラントさんがしょっちゅう連れて行ってくれた。エルグラントさんの家でとれた野菜のポトフ、絶品なんだよ。本当世界一美味しいポトフなんだよね。王宮でも食べたことないレベル」
「まぁ!そうなの?私も是非一度いただきたいわ!」
だが私の言葉にホーネット家の皆さんの顔が真っ青になる。主にご夫妻が。
「ごごごごごご勘弁下さい…!次期女王様をお招きできるようなお家ではございません!!!」
「そそそそうです!我が家の質素な野菜のポトフなんて次期女王様のお口に入れられるような代物ではとてもとても!!」
ご主人と奥様が胸の前で手をばんばんと振って全否定。
「…そうです、よね」
ううん…。ちょっとへこむ。わかってる。次期女王はそうそう簡単に市井の人たちと触れあうことが許される立場ではないということもわかってる。
でも、私の大好きなエルグラントのご両親とご兄弟と仲良くなりたいと思うのは当然だし…。
それに最愛のレイの胃袋を満たしてくれていた絶品ポトフも気になる。
だって、レイはやっぱり幼いころから最高級の料理を食べてきていて、本当に舌が肥えている。庶民のものを食べられないとかそういうことは絶対に言わないけど、美味しくないものを美味しいとは絶対言わない。
反対にどれだけ質素なものでも、美味しいものははっきりと美味しいと口にするし、実際レイが美味しいといったものは間違いなく美味しいのだ。
そんなレイが!絶品と言ったエルグラントのご実家のポトフ…!食べたいに決まっているのに!
「…おいおい親父、お袋。サラ嬢は、貴族だとか次期女王だとかそんなん取っ払ってホーネット家のポトフが食いたいっつってんだろ。どうせ野菜なら腐るほどあるんだからけち臭いこと言わずに食わせてやれよ」
「エルグラント、いいのいいの。ごめんね。ホーネットご夫妻も、ごめんなさい。突然不躾なことを言ってしまって」
私が恐縮して言うと、目の前の人の好さそうな夫妻はぐっと言葉に詰まった。
「いや…その…」
ああああ…なんだか申し訳ない…本当発言には気をつけなきゃ…
なんとな~~く微妙な空気が流れる、けど。それを打破したのはマリアの声だった。
「…失礼ですけどよろしいですか?お義父さま、お義母さま」
「「マリアちゃん…」」
半泣きのホーネット夫妻が縋るようにマリアを見る。
「私、お嬢様の侍女として長年仕えてきて言いたいことがあるんですが。…こう見えて、このお嬢様、警戒心だけは人一倍強いお嬢様なんです。誰かれ構わず、「あなたのおうちのポトフを食べさせて」なんて絶対に言わないんです。それこそ毒を盛られたりしては大ごとですから」
「毒…」
ご主人が絶句している。
「…だから、お嬢様がホーネット家のポトフを食べたいと言ったのは、お二人と、ホーネット家の皆が信頼できるに値するって一瞬で見極められたからなんです。そんな信頼を寄せた人間の家がたとえ次期女王に見せられるようなものじゃなくても、お嬢様は一切気にされません」
マリアの言葉に泣きそうになる。確かに、私は誰かれ構わずこんなことは言わない。
「というかですね、ここでお義父さまとお義母さまが断られたら、お嬢様半泣きで今晩ひとりでちーんってなられますから。厚かましい嫁のお願いです。どうかお嬢様にホーネット家のポトフ、食べさせてあげてくれませんか?」
今晩ひとりでちーんは余計だわ!!!
心の中でびしりと突っ込む。けど、まぁ、実際事実だからなぁ…
でも、まぁ厚かましいお願いをしてる自負はある。そりゃ初対面の人間からいきなりおたくのポトフ食べさせてください~って言われて戸惑わないほうがおかしいもんね。
まぁ、…断られてもしょうがない…寂しいけど。すごく寂しいけど。
「あと、もう一つ付け加えるなら。あの味はどうしてもお義母さましか出せないんですよね…エルグラントも大好物だから何回も作るんですけど、どうしてもあの味にはならなくて。もう一回教えて欲しいです」
マリアが、コホンと咳払いをして頬を染めながら言う。かわいい!!!うちの侍女かわいい!!!!
「…本当に、本当に、野菜しか入ってない素朴なポトフですよ?」
「母ちゃん!?」
先に口を開いたのはまさかのご夫人の方だった。
「だってうちの可愛い嫁にここまで言われたら、作らないわけにはいかないでしょう。こうなったら腕に寄りをかけて最高のポトフを作って持ってきますよ」
大きな口をあけてにかっと笑うその顔はやっぱりエルグラントそのもので。私はたちまち嬉しくなる。
「我儘言ってごめんなさい。でも、とても嬉しいわ。心から楽しみにしてます!」
「あ、ねえ、じゃあサラ。その日にお忍びデートとかどう?来てもらうんじゃなくて行こうよ」
レイが嬉しそうに言う。
「さっき言ってた埋め合わせのお忍びデート。どうせだから王都の街並みを楽しんで、ホーネット家に行こうよ。…っと、その前にホーネットご夫妻、俺もまたお邪魔していいですか?」
くしゃりと笑ってレイが伺いを立てる。
「…お願いだから、俺とご夫妻しかいないときは態度変えないでください。エルグラントさんに連れて行ってもらうと、毎回毎回本当に手厚くあったかくもてなしてくれて。俺あの空間と飾らないで気楽に接してくれるお二人が大好きだったんです。それが、立場が変わっただけで態度まで変わってしまうのは…ちょっとつらいです。呼び方もいつもの通りレイモンド君って言ってくれると嬉しいです」
「…いい、のかい?不敬罪とか…」
「公衆の面前でしてしまったら、さすがに少しまずいですけど。事情を知るものしかいないときはぜひ、お願いします」
そういってレイはぺこりと頭を下げた。そんなレイをエルグラントが優しい目で見つめている。時には上司として、でも時には父親のような気持ちでレイを育ててきたエルグラント。まっすぐに素直に、王族として立場を公表した後も、決してお世話になった人に高慢になることなく成長している姿を見るのは嬉しいのだろう。
「…~~~はーーーーーよかった…。もうレイモンド君に対してどうしたらいいか本当に分からなくてね…」
「まさかうちにしょっちゅう来てポトフを何杯もお代わりしていた可愛いエルグラントの後輩が王弟殿下だったなんて思うはずないからね…しかも次期女王の婚約者と来た。もうお父ちゃんと二人でアワアワしてしまったんだよね、城下までちょうど来てたから公表を見に行った日に」
「そうそう、母ちゃんなんかそこで倒れそうになってな」
肩の力がほんの少し抜けたホーネット夫妻が人の良い笑顔で言い合う。
「すみません、なんか騙したみたいな感じになってしまって」
レイがほんの少ししょぼんとして言うのを、夫妻が慌てて止める。
「いやいや、きっとなんか事情があったんだろう?…それに、こうやって雲の上の存在になってもちっとも変わらないのが嬉しいよ」
「そうそう。一番悪いのは黙ってたうちの馬鹿息子さ」
「その馬鹿息子とマリアも、サラ嬢とレイがお忍びで実家行くときは護衛と侍女でついてくからなーよろしくなー」
エルグラントが軽く言ってご両親にじろ、と睨まれている。ふふ、楽しい。
「ホーネットご夫妻、私の我儘にも関わらず、寛大に許容くださりありがとうございます。とてもとても楽しみにしていますね。ご迷惑をおかけしないようにいたします。その折はよろしくお願いいたします」
あまりに嬉しくてしまりのない顔でへにゃりと笑うと、あれ?なんで?ホーネット家の皆さまの顔が赤いんだけど…
「でたよサラの天然人タラシ」
「本当にお嬢様は…」
「うちの野郎ども全員愛妻家だから問題ないけど、独身のやつ居たら危なかったな」
ん!?レイもマリアもエルグラントもなにいってんの!?
次回はお忍びデートだよ!




