170.開いた口が塞がらない
私はアデライド嬢の控室に待機していた。犬笛でマリアとハリスを呼び戻してすぐに、さっきの黒いベールを被った侍女は案内しますと言ってマリアとハリスをエルグラントの元に連れて行った。
マリアは私の元にいるといったけど、その目が言っていたんだもの。エルグラントが心配だと。もうすぐジェイとマシュー、セリナ様も帰ってくるから大丈夫よと告げて、マリアを送り出して私はアデライド嬢の部屋に待機していた。もちろん部屋の外には衛兵が数人いるから、私に危害が加えられることはまずない。
そうして、しばらくした頃。こんこん、というノックの音がした。
「はい…!」
立ち上がりながら声が上ずる。エルグラントは無事だったのかしら。
「マリアです、お嬢様。入ります」
「ええ、ええ!入って!」
そうして、開けた扉の向こうには。
「エルグラント!!!!!!」
マリアとハリスの肩に担がれるようにしてエルグラントが立っていた。
「…嬢!!!」
矢も楯もたまらず私は走りだしてその胸に飛び込んだ。
「エルグラント!エルグラント良かった!!!何もされなかった?どこか叩かれたりひどい扱いを受けなかった??」
「嬢、嬢、落ち着け。俺は大丈夫だ。思ったより早く解放されてびっくりしているくらいだ。ちょっと薬がまだ効いていてうまく歩けねえんだ。許してくれ」
「落ち着けるわけないわ。それにそれくらいで許さないわけないわ…あんな強い薬使われて…」
「ん?ああ、俺が避けた毒針を見つけたのか。さすがだな」
「お取込み中失礼します。我が主アデライド様をお連れしますので、皆さまはしばしこちらでお待ちください」
三人の背後からさっきの黒いベールを被った侍女が声を投げかけてきた。
「アデライド様はエルグラントの元に行っていたのではなかったの?」
「そのように聞き及んでおりましたが、すれ違いが生じていたようです。この城内にいると他の侍女から聞きましたので、お連れします。しばしお待ちくださいませ」
そう言って侍女が去っていく。
「…薄気味悪いわ。何を考えているのかしら」
「あとを追うか?」
マリアが悪態をついてエルグラントが突拍子もないことを言うもんだから怒ってしまう。
「何を言っているのエルグラント!!マリアとハリスの肩を借りないと歩くのもまだままならないくせに!!さ、ソファに座って。…一体何があったの」
マリアとハリスに支えられながらエルグラントがソファに腰を落ち着け、口を開いた。
「…どこかの間者に毒を仕込まれた。ずっと俺を狙っていたようだ。ほら、スカーレット嬢とのひと悶着の後からずっとこっちを伺ってたやつだ」
「やはりエルグラントを狙っていたの?…なぜ?」
「理由は教えてもらえなかった。サラ嬢やレイを狙うのはハイリスクだから…とは言っていたが」
「エルグラント、その間者はどこにいったの?」
私の問いにマリアが答える。
「それが、さっきのベールを被った侍女から案内されたとき、確かにそこにエルグラントともう一人間者の姿はあったのですが。『なら、僕の役目はここまでですね』などとのたまって姿を消してしまい…」
捕らえられませんでした。すみません…とマリアが悔しそうに言う。
「流しの間者らしい。雇われて俺を隔離するように言われたと言っていたな。雇い主は教えてもらえなかったが」
「随分口の軽い間者ね!?」
間違いなくアデライド様に雇われた間者だろう。でも…流しということは。
「…うまいことやったわね」
流しなら、アデライド様との関係性を証明することは不可能だ。素性もわからない。どう叩いたところでどうにでも逃げることは可能だ。
「うまいこと…?」
私の発言にエルグラントが首を傾げる。
「いいえ、こっちの話。それよりもアデライド様、遅―――」
「おやめください!!!誰かっっっっ!!!誰かっーーーーっ!!」
悲痛な女性の叫び声が上の階から聞こえ、私の言葉を遮った。
「なんでしょうか!?今の声」
マリアが驚いている、ハリスもエルグラントも何事かときょろきょろしている。
私は一つ大きなため息を吐いた。
…やっぱり、最初から狙いは『そっち』だったのね。アデライド様。
「行きましょう、マリア、エルグラント、ハリス。エルグラント、歩けそう?二人はまた肩を貸してあげて」
付いてきて。そう言って私は歩き出した。
このアデライド様の部屋の一つ上階にある、さっきまで私とレイが待機していて、そして今はレイが一人で待機している部屋へと向かう。
「お嬢様、これは一体どういうことですか?説明を…」
マリアが後ろから声を掛けてくる。私は歩きながら答える。
「すべて今は憶測の域を出ないの。上階に行って、私の予想通りの光景が広がっていたらその時説明するわ」
―――――――
「くれぐれも気を付けて。この城の中で何かあるとは思わないけれど、可能性はゼロじゃないんだから」
そう言って俺は最愛の婚約者の唇に口づけを送った。そのまま抱きしめて彼女の美しい髪の毛に鼻をすり寄せる。花のような蜜のような甘い匂いが優しく香ってくらりと眩暈を起こしそうになる。
「大丈夫よ、レイ。…さっきも言った通り、もしかしたら狙いは私ではなくあなたかもしれない。エルグラント誘拐はあなたを狙っていると思われないための布石かもしれないわ。くれぐれも気を付けて」
大丈夫だよ。そう言って俺はまた彼女の唇に口づけを送る。
「なんか、もっとこう、心休まるときってないのかな。…敵を作りやすい人間ではないと思うんだけど。俺もサラも」
「上に立つ人間の宿命よ。出る杭は打ちたくなるのが人間。美しいものには嫉妬と羨望の感情を抱くのが人間。手に入らぬものを手に入れている人間を恨んでしまうのが人間。諦めましょう?その都度戦っていけばいいの」
「ほんと可愛い顔して心は闘牛だよねサラ…」
「…嫌い?」
「大好き」
「即答」
ふふっと互いに笑い合ってしまう。
「あなたが居れば怖くないわ」
「俺も。サラが居れば怖くない。今日の晩餐会、デザートにイチゴのタルト用意させてるから。楽しみにしてて。その時には憂いなくそれが食べられますように」
「まあ、あなた昼餐会だけじゃなくて晩餐会の食事にまで注文つけてたの?」
その愛くるしい顔が驚きに満ちるのが好きだ。どれだけでも甘やかしたくなってしまう。どんな権限を使っても喜ばせたいと思ってしまう。
「だってイチゴのタルト見るとサラめちゃくちゃ喜ぶんだもん」
サラの頬にちょっと赤みが差す。ああ、もうそんなところも可愛くて仕方がない。
「初めてレイとデートした時食べていたデザートだもの。…何度見てもあのデートを思い出して嬉しくなってしまうの」
「やめてもうこれ以上理性揺さぶらないで」
なんだこの可愛い生き物は。ああ、もう。次期女王なんて辞めて俺と二人でどっか逃げない?イチゴタルト好きなだけ食べて惰眠を貪るそんな生活してみない?そんなアホなことを考えてしまう。絶対に言わないけど。
「理性?」
「そう、理性が外れそうになる」
「外れちゃったらどうなるの?」
たまにこういう小悪魔的な表情とか問いまでするんだから!もう!
「外れちゃったらもうエルグラントさんとか晩餐会とかアデライド嬢とかそういうのもろもろほっといてサラをずっと抱きしめておく」
「だめよ…?」
「わかってるよ!」
そこなんで真面目に返すのこの子は。ああ、もう本当可愛い。何したって可愛い。
「…もっとくっついていたいけどそろそろいかなきゃ。くれぐれも気を付けて」
「サラも。お互いに気を付けて」
そういって名残惜しみながらサラはこの控室を出て行った。
――――のが、おおよそ三十分前。
コン、コンと部屋にノックの音が響き渡り、俺はぴくりと肩を震わせた。サラか、もしくは…
「突然に失礼します、殿下。アデライド・ルーカスです。お耳に入れたいことがあり、馳せ参じました。よろしければ扉を開けていただけますか」
「お一人でしょうか?」
俺は返事をする。自分でも声が冷たくなっているのがわかる。
「侍女がおります」
「…どうぞ」
失礼いたします。という声と共に、アデライド嬢と、もう一人さっきの黒いベールを被った侍女が入ってきた。ぱたん、と扉が閉まる音がやけに響く。
「耳に入れたいこととは」
軽く挨拶をしようとする動作を手だけで制し、俺は彼女に問う。
「単刀直入に申し上げます。殿下。…お慕いしています。正妻の座をサラ様から奪おうなどとは微塵も考えておりません。ですが、側妻として私を娶ってはいただけませんでしょうか?」
「お断りします。私はサラ以外の人間を娶るつもりは毛頭ありませんから」
突然来て何を言い出すんだ!?
あまりにも突拍子のない提案に薄気味悪ささえ覚える。…と、同時に昨今のルーカス家の経済状況、国においての立場を考える。
ルーカス公爵家。ブリタニカ三大公爵家の中でも社交界においてその立場は一番低い。しかも公爵家にはこのアデライド嬢一人しかいない。側室でも妾でもなんにでもさせて今のうちに王室とのパイプを強くしたいとでも思っているのだろう。ルーカス公爵。狸のような風貌の、あまりいい噂のない野心家だ。
なるほど、その親父殿に言われて直談判に来たのか。この社会において結婚は愛のないものが当たり前とは言え、気持ちの良いものではない。
「どうお願いしても無理なのでしょうか?」
きょるん☆と、あの苦手な感じの上目遣いで言われる。
「私は不器用な男ですから。妻一人以外を愛せるほど器が広くありません。ご容赦ください」
にこり、と。でもぴしゃり、と音がするように言うと。
ここからがまさかの展開だった。
「そうですか…」
そういったアデライド嬢は侍女に向かって頷いて見せた。とその途端。侍女殿がアデライド嬢のドレスの背中側にあった紐をいきなり解いたのだ。
えーえええええええ…!?
開いた口が塞がらない。おいおいおい、一体何のつもりだ?
はらり、とそこまではいかないが、ドレスがズレ落ち、肩が大きくはだけた瞬間アデライド嬢が突如として扉を開けて廊下に出て行き大きな声を上げた。
「おやめください!!!誰かっっっっ!!!誰かっーーーーっ!!」
えええ…
拗らせてる女は怖い




