156.レイの決意
「ええと、それはいつもの『結婚しよ』的なノリではないわよね?」
「こういうとき、茶化しちゃだめだよサラ。男は結構口から心臓出そうなほど緊張してるから」
「そうなの?」
「そうだよ。…もう一回言うね」
わかってるわ。ごめんなさいレイ。わかってるけど。
だっていつもあなた適当なノリで『結婚しよ』って言ってて。そんなのがいきなり真顔で目にとんでもなく緊張の色を浮かばせて、手をこんなに冷たくして。
こっちだって不意打ち過ぎて心の準備なんかできてなかったんだもの。あなたがいつもするように思わず茶化しちゃったのよ。
ああ、色々言ってやりたいんだけど、喉がぐっと詰まって声が出てこない。
「…俺と、結婚してください」
だめ。堪えきれない。私は自分の目からぽろぽろと涙が溢れるのが分かる。ぎゅっと目を瞑る。『はい』って、すぐに言いたいのに声が出ない。
そんな私を見てレイがふ、と微笑んだ。
「俺ね、決めてたんだ。…サラにきちんとプロポーズするなら絶対に自分の立場をきちんと公表してからだって。『出自の分からぬ』『交渉団団長』の俺ではサラの隣に立てないから。でも、『正式な王族』としての俺ならなんの憂いもなくサラの隣に立てる」
だからね、と言ってレイのごわごわとした右手が私の左頬に触れる。
「ごめんね、今まで茶化して軽く『結婚しよ』なんて言っちゃって。もちろん全部本気だけど。…でも、これは正式なプロポーズなんだ。しつこいけど、もう一回言わせて?」
レイの空いている左手が私の右頬にそっと添えられた。
「…ちっちゃい顔」
ふ、とレイが笑う。
「目を開けてもらっていい?…そして、俺の目を見て、俺の心を読んで」
もうその言葉だけでこの人がどれだけ本気で言葉を発してくれているかわかってしまって、私は本当に涙が止まらない。でも、そんな溢れ出る涙をレイの手が丁寧に、丁寧に拭ってくれる。
「俺を、見て?サラ」
甘ったるい声で。言葉で伝えるよりずっと雄弁に私のことを好きだと語るその声音でレイが言う。
私はゆっくりと濡れそぼった瞳でレイを見た。
美しい美しいまるで宝石のような淀みのない蒼い瞳が、これ以上ないほどの優しい光をその中に灯して私を見つめている。
「一生、愛します。一生、大事にします。一生、愛を囁くよ。そして、一生君の傍にいる。サラ。…俺と、結婚してください」
何一つ嘘など読み取れない、まっすぐな決意しかない瞳が私を貫く。
こんなの、答え一択じゃない。
「…は、い」
私でよければよろしくお願いしますとか。不束者ですがよろしくお願いしますとか。こういう時にふさわしい言葉ってきっと山ほどあるんだろうけど。だめ。こんなまっすぐな決意を受けて、もう言葉が出ない。
「なんで泣くの」
ぽすっと、レイがその胸に私を引き寄せて言うけど。
「…こんなの…っ!泣かないわけ、ない…っ!いつも、っ冗談、ぽく言ってた…から」
ぐしゅぐしゅと鼻水なのか涙なのかわからないけど、とにかく溢れて止まらない。
「俺はきちんと言えて今めちゃくちゃ嬉しいけどね」
「私…だって、っうれ、しい」
そっか、と言いながらレイが私の頭をポンポンと叩いた。
――――――――
「これは?」
「異国の風習でね。左手の薬指に婚約の証として指輪を贈るっていうのがあるんだ。で、結婚した後ももう一回指輪を贈る。それを見せておくことによって自分が既婚者であるっていう証になるんだ」
隣に座るレイが教えてくれる。
「それは…便利ね!」
「まぁ、ブリタニカには浸透していない風習だから気持ちの問題ではあるんだけど」
私は左手の薬指にはめられた華奢な指輪を見つめてぽわっと幸せな気持ちになっていた。
あのあと私が泣き止むまでずっと優しく抱きしめてくれて。泣き止んでから優しく口付けを何度も送られて。
そうして完全に落ち着いた頃、レイが私の指に指輪をはめてくれたのだ。
「これが男除けになるくらいこの国でも浸透してくれたらいいんだけどなぁ」
レイがぽつっと言って私は首を傾げる。
「でもレイ、私何度も言うけどそんなにモテないわよ?釣書も一枚だって来ないし。今日のダンスのお誘いだって珍獣を一目見たい群衆の心理のそれと一緒よ」
「………アー…ウン。ソウダネ」
「なんでカタコト?!」
「正式な婚約発表の場が果てしなく長く感じるよ…」
レイの言葉にそういえば?と首を傾げる。
「私陛下から何も聞いてはいないのだけど、私の王位継承の正式発表とあなたとの婚約発表って同時にするのよね?」
「まぁ、そうなると思うよ」
「いつ頃なのかしら?」
「発表の時期はわからないけど、婚姻に関しては一年以内にって言ってたけど」
レイの言葉に私はびっくりする。
「一年?!そんなに早く!?」
びっくりしてる私にレイがびっくりしている。
「え…な、なにその反応…嫌だった?」
「あ、いえ、ごめんなさい、嫌とかじゃなくて。…思ったより早くて。…嬉しいわ。私、そんなに早くあなたのものになれるのね」
私の言葉にレイがぎょっとした顔を見せた。え、なにその反応。
だけどじわじわとレイの頬に赤みが差して。やがて口元を覆って照れたようにそっぽを向いた。
「…意味わかって言ってる?」
「???わかってるわよ。あなたの奥さんになるってことでしょ?さすがに婚姻の意味くらいわかってるわよ」
「…まぁ全然わかってないってことはわかった」
まるでため息でもつかんばかりの呆れた声をレイが出すものだからむうっとしてしまう。
「わかってるってば」
「…アーウン、ソウダネ」
「だからなんでカタコト?!」
レイは視線を逸らしたままだったけど、ちら、と私を見ると少し言いにくそうに口を開いた。
「俺のものになるってのは、心も、名目上もだけど。…身体もだからね?もうこれ以上は言わないけど」
「…から、だ…も?」
しまったわ、私全然考えてなかった。そ、そうよね。夫婦になるってそういうことだものね?!
ええと、ええとつまりそれは…
ぼんっと、頭が爆発しそうになるのをレイが慌てて話を変えて止めてくれた。
「はい、この話終わり。それはその時考えよう!!今考えることじゃないから!」
「え!ええ!そ、そうね!」
ふーとお互いに熱くなった顔をパタパタと手で仰ぐ。
私も話題を変えた。
「でもね、私もアースが婚約者となった時点で、自分の意思が伴う結婚ってできないものだって思ってたから。…まさかレイと気持ちを通わせあえて、本当に大好きな人と結婚できることになれるだなんて思っていなかったの。…こんな幸せってないわ」
「俺もだよ。まさか愛する人を見つけられるだなんて思ってなかった。一生独身で、交渉団に骨を埋める覚悟だったから」
「ふふっ、あなたみたいな素敵な人、女性が放っておくわけないじゃない」
「まぁ、確かに俺はモテる」
嫌々言うものだから笑ってしまう。普通こんな発言したら嫌味に聞こえるのに、全く嫌味に聞こえないのはレイの性格の成せる技ね。
「でもね、俺の本質を見抜いた上で好きだって言ってくれたのは、サラだけだった。他の女性は、肩書きとか外見とか。団長のいつでも寡黙なところが大好きです!とか言われたこともあったなぁ。…全然見てないよね、俺のこと」
そう言ってレイがふはっと笑う。ううんきゅん。
「俺はどちらかと言うとのんびりしてて、寡黙っていうよりお喋りで、こと自分の恋愛となると全然ダメで。真面目な顔してるより笑う方が好きで。感情がダダ漏れなタイプなんだけど」
「知ってるわ」
知ってる。そういうレイだから好きになったんだもの。
「…そんな俺を知ってくれたのは、そして知った上で好きだって言ってくれたのは、サラだけだった。…ありがとう」
気がつけば腕が伸びてレイを抱きしめていた。
「私、…だらしがないところもあるし、すぐ泣いちゃうこともある。ちょっと抜けてるし、ズレてるところも沢山あるわ」
「…知ってるよ」
レイが私を抱きしめ返して優しく囁いてくれる。
「…でもそんな取り繕わない私をあなたはいつも愛しいって言ってくれるの。飾らなくても、可愛いと、大好きだと伝えてくれるの。…それがどれほど嬉しいことか。私の方こそありがとう」
ぎゅうっとお互いに力を込めて抱きしめ合う。世界に二人しかいないみたい。まるで温もりを求めてくっつく小さな動物みたい。
「愛してる、サラ」
「私も、愛しているわ」
そのまま少しだけ離れて、どちらからともなく口付けをする。すっかり慣れてしまった、唇への口付け。
こんなことができる相手なんて、世界に一人しかいない。どれだけ仲良い友でも、どれだけ信頼している侍女でも、どれだけ愛する家族でも、これだけはできないもの。
レイにしかできないもの。
そして、そんな相手がいる私は世界一幸福だと、そう思うの。




